59.不運
クララとの会話を楽しんだ後も、ひっきりなしにたくさんの貴族に話しかけられた。顔見知りの貴族や初対面の貴族たち。会話をするのは疲れるけれど、過ぎ去りし未来の記憶が役に立ち、なんとか社交界での立ち振る舞いをすることができた。
人の波が引いて、やっと一息つくことができて隅の方で休憩していると、狩猟祭にぶりに耳にする声が聞こえてきた。
「ラウラ嬢、お久しぶりですね」
振り返ると、そこにはエルミラがいた。そういえば冬は帝都で過ごしていると言っていた覚えがある。寒いのが苦手だからとも。因みに兄のカイルも寒いのは得意ではないらしい。
「お久しぶりです、エルミラ嬢」
今日のエルミラはタイトなドレスを着ている。晴れ渡ったような青空のような色が、大人っぽい彼女にとてもよく似合っている。
あまり帝都の社交界に参加しないからか、エルミラの存在はひと際目立っていた。周囲にいた令息たちが彼女を意識するような視線をチラチラ向けている。
「エルミラ嬢は、おひとりですか?」
訊ねると、エルミラは静かに頷いてから口を開いた。
「ええ。従弟にエスコートを頼みましたが、いまはお友だちといるのでひとりで暇を持て余していたところです」
彼女なら多くの令息からダンスに誘われそうなものだけれど、静かに佇む姿は崇高な一輪の花のようで、近寄りがたいのかもしれない。
――それにしても、彼女と話をするのは少し緊張する。
狩猟祭の後、ゼブル様から聞いた話を思い出してしまうからだろうか。
狩猟祭での騒動の後、ゼブル様から事のあらましを伝えられた。
暗黒の森に施していた結界に綻びが生じたことが何者かの仕業だということ。
黒竜を封印していた結界が何者かによって壊された可能性があるということ。
黒竜や魔物との戦いの後、まるでそれを見計らったかのように隣国の兵士から襲撃を受けたこと。
それら一連の出来事が、偶然とは思えないこと。
その中で少なくとも黒竜を封じていた結界が壊れた理由は分からずじまいだったらしい。なぜなら黒竜が封じられていた洞窟は、黒竜の出現により崩れ中に入るのが困難になってしまったらしい。洞窟の中の捜索ができないままで、理由は分からずじまいだ。
だけど他の二つ――暗黒の森の結界と、隣国からの襲撃を手引きしたと思われる犯人に、名前の挙がっている人物がいる。
カトレイヤ侯爵。エルミラの父親だ。
まだ調査中だけれど、カトレイヤ家の夜会に招待された帰り道に受けた襲撃も、侯爵の仕業だろうと思われるらしい。
なぜならカトレイヤ侯爵の書斎から、隣国との繋がりを示す、密書の切れ端が見つかったから――。
その切れ端は確たる証拠には繋がらないことからまだ公にはされていない。
ゼブル様は、侯爵を泳がせることにしたようだ。
これらのことにエルミラが関与しているかはわからない。
でも警戒しろというゼブル様の忠告を思い出してしまう。
「――エルミラ嬢は、最近は変わりありませんか?」
「……ええ、特にありません。でも強いて言えば、風景も人間関係もほとんど変わり映えのしない北部と違って、帝都は多くの人がいて退屈はしませんね」
エルミラは涼やかな笑顔を見せた。
「そういえば、招待状が届いていましたよ」
「招待状?」
何の招待状だろう。疑問に思っていると、エルミラが言葉を続ける。
「結婚式の招待状です」
「……あ!」
聖女の務めとして北部を発つ前に、ゼブル様とジョンに頼んでいたんだった。
北部の知人や貴族、それから家族に宛てた結婚式の招待状。
大公家と公爵家の結婚式は、本来なら帝都で盛大に行うような一大行事なのだけれど、ゼブル様は北部を離れることがほとんどできない。だからランデンス城の広間で結婚式を挙げることになった。
招待するのは北部の貴族がほとんどで、後はエルミラやロザリーなどの知人、それから私の家族。
「直接お祝いを伝えておきたかったのです。ラウラ嬢、ご結婚おめでとうございます」
「ありがとうございます」
それから少しの間、エルミラと話をしていた。
夜はすっかり深まっていき、空には月が浮かんでいる。その月は北部と比べると、遠くにあるように思えた。
深夜を過ぎると、舞踏会も解散となった。
私はこのまま皇宮に泊まることになるのだけれど、客間に向かう前にアリシアとエリックに呼ばれた。
「謁見室で、陛下がお待ちだそうです」
どこか沈痛な面持ちで口を開いたアリシア。
彼女の様子に不安を覚えながらも、私たちは案内をしてくれる侍従について謁見室に向かった。
謁見室には陛下と、皇室第一騎士団の団員と思われる人や、第二騎士団のピーターとアルベルト様などが集まっていた。
玉座に深く座った陛下の前で、私たちは静かに跪く。
「顔を上げよ」
静かだけど深みのある声音に顔を上げる。陛下はまだ五十にも届いていない歳をしていると聞いているけれど、いままで苦労してきたのか顔には深い皺がある。皺が無ければ、まだ若い顔立ちをしているだろう。
「聖女よ。新たな任務だ」
帝都に戻ってきたばかりなのに、新たな任務。
過ぎ去りし未来で黄点病が終息した後に、何か大きな出来事があっただろうか。記憶を探ってみるけれど、思い出せるものはなかった。
胸騒ぎだ。舞踏会の途中に出ていく皇帝陛下と騎士を見かけてから、ずっとそれは続いている。
「先ほど北部より急報が届いた」
「……」
北部。急報。
問いかけたいけれど、ここで問いかけるのは無礼にあたってしまうので、私は陛下の言葉を静かに待った。
「隣国が、とうとうわが帝国の領土に攻め入ってきたのだ」
「……!?」
思わず声が出そうになった。
「そして、ひとつの村があちらの手に落ちた」
「……村、が……」
「ああ、隣国の進軍が思ったよりも早かったようだ。それに不運も重なった」
不運。
「二月に入ったばかりの頃、北部の暗黒の森でスタンピードが起こったのだ」
スタンピード。魔物の大量出現があったんだ。
二月の北部は雪や氷に覆われることになる。だから多くの魔物が冬の寒さを耐え忍ぶために洞窟などに閉じこもる――いわゆる、冬眠状態になるというのに。どうして?
「大公たちはそのスタンピードの対処に当たっていたため、隣国の進軍に対応するのが遅れた。いまは体制を立て直しているらしいのだが、何より人員が足りていないそうだ。よって、聖女、並びに第二騎士団に命ずる」
陛下は、ここにいるすべての人間を見渡して淡々と告げた。
「聖女と第二騎士団は、これから北部の支援に向かうのだ」