58.胸騒ぎ
皇室第二騎士団長のピーターやアルベルト様とともに皇帝陛下への謁見を終えると、私たちは一緒に謁見の間を後にした。
外に出てしばらくしてから、アルベルト様に話しかけられた。
「ラウラ嬢。今夜の舞踏会のエスコートは決まっているか?」
「……はい。ユリウスお兄様と約束をしています」
本当はそんな約束はしていないけれど、ユリウスお兄様なら後からお願いしたら受けてくれるだろう。
「それは残念だな。ぜひとも聖女様のエスコートの栄光を預かりたかったんだがな」
「……殿下には、もっと相応しい方がいるはずです」
過ぎ去りし未来で死ぬ前に、牢獄でアルベルト様とカルロスお兄様が話していたことが脳裏に浮かぶ。確かアルベルト様には、私ではない恋人がいたはずだ。それも私たちが隣国との長い戦争に赴く四年前から。
あの戦争はいまから一年半後の夏の終わりから始まった。だから現在もその侯爵令嬢と交流があってもおかしくはない。
過ぎ去りし未来では気付かなかったけれど、どこの家門の令嬢なんだろうか。
そんな疑問を、首を振って追い払う。もう私はゼブル様と婚約しているのだ。だからそんなことを考えても意味がない。そもそもアルベルト様は、私を利用するためだけに近づいてきていたのだから。
「相応しい人、か……。ふむ、それは聖女であるラウラ嬢以外思いつかないんだがな」
彼の人の良い笑みに騙されてはいけない。
一歩、アルベルト様が近づいてくる。
「私にはゼブル様がいますから」
「……大公か。だがな、ラウラ嬢。大公は平気で人を殺せる――」
「殿下。嫌がるレディに無理やり迫るのはいけませんよ」
言葉を続けようとしたアルベルト様だったが、ピーターに止められて少し不機嫌な顔を見せる。「ピーター」と呟いた瞬間にはいつもの笑みに戻っていたけれど。
「聖女様が困っているではありませんか。それに殿下でしたら、多くのご令嬢から引く手あまたなのでは?」
「……ああ、それもそうだな。嫌がる令嬢に無理やり迫るのは皇族としても紳士としてもみっともない行いだ。すまなかった、ラウラ嬢。エスコートは無理でも、ダンス一曲は相手してくれよ」
「……喜んで」
皇族の誘いをこれ以上断ることはできないので、ダンスの誘いは受けるしかなかった。
◇◆◇
「ボタニーア公爵家の令嬢であり、聖女様でもあるラウラ・ボタニーア様の入場です」
ユリウスお兄様に手を引かれて、私は舞踏会の会場に足を踏み入れた。
キャーという歓声はユリウスお兄様の笑顔に見せられた令嬢の声だろう。黒髪はすっかり白に戻っていて、白に統一された礼装姿も相まって儚さに磨きがかかっている。
舞踏会会場の中にはもう多くの貴族たちが集まっている。私は用意されていたうす桃色のドレス姿だった。このドレスはクララがデザイナーに依頼して用意してくれたそうだ。
「あとでクララにお礼を言わなくちゃ」
クララは皇太子と入場するので、まだ会場内にはいない。
会場内を見渡してみると、カルロスお兄様がこっちを見ていた。
「そういえばカルロスも婚約したんだっけ?」
「はい。お兄様もご存知のルクリエ伯爵家のリーズです」
「リーズ? そういえば昔、よく家に遊びに来てたね。……でもそうか、彼女かぁ」
会場内で隅の方に移動していると、カルロスお兄様が近づいてきた。その横には、パートナーのリーズもいる。いつも派手なドレスを着ているけれど、今日は少し控えめの格好のようだった。
リーズは扇子を閉じると、深くお辞儀をした。
「ラウラ、久しぶりね。その、伝えたいことがあるの」
「なんでしょうか?」
「狩猟祭の後の舞踏会でのことなのだけれど……悪いことをしたと思っているわ」
普段の自信満々な態度からは窺うことができない、とてもしおらしい謝罪だった。心の底から謝っていると、捉えられなくもない。
「私への謝罪は受け入れるわ。でも、クララにはちゃんと謝ったのかしら?」
「ええ、ちゃんと謝っているわ! クララも謝罪を受け入れてくれたのよ」
さっきまでのしおらしさはどこへやら、笑顔で近づいてきたリーズが両手で私の手を握った。
「ありがとう、ラウラ。私たち本当の家族になるのだから、しんみりとしたままだとお互い居心地が悪いでしょう? だから、許してくれて本当によかったわ」
すっかりいつもの態度に戻っている。いっそ潔いほどに。
本当に心の底から謝罪したのかしら? そんな疑問が湧き起こって、ため息を吐きそうになる。
そんなこんなしていると、会場に皇族が入場してきた。
皇帝陛下の口上のあと、舞踏会が幕を開ける。
「さあ、ラウラ。まずはファーストダンスを踊ろうか。大公を差し置いて踊るのは気が引けるけど、ファーストダンスは大事だからね」
ユリウスお兄様に手を引かれて、ダンスを踊りはじめる。
この後、アルベルト様や、久しぶりにカルロスお兄様ともダンスを踊った。
三曲続けて踊ってさすがに疲れた私はグラスで喉を潤した後、クララの姿を探した。レオナルト様と踊っているのを見かけたけれど、その後姿は見ていない。レオナルト様も皇族の席に戻っているけれど、傍にクララの姿はないから会場内で友人たちと一緒にいるのだろう。
そう思って探していると、会場の入口から一人の騎士が会場内に駆け込んでくる姿を見つけた。皇室第一騎士団の近衛騎士の格好をしている。会場の雰囲気を壊さないように気をつけているが、その顔は鬼気迫っているように見えた。
どうしたのだろう。
様子を観察していると、騎士は皇帝陛下に声を掛けている。話を聞いた皇帝陛下の瞳が驚愕に見開かれた。
「お姉様、どうかなさいましたか?」
「――あ、クララ」
こちらから探し出すよりも先に、クララの方が私を見つけたようだ。
「いえ、そのなんだかあったみたいで」
皇族の席を見上げると、クララもその視線を追う。
近衛騎士とともに陛下が会場を後にしようとしているところだった。
「どうしたのかしら? ――でも、いまは楽しい舞踏会の最中ですよ。お姉様、久しぶりに会ったのですからお話ししませんか?」
「……ええ、そうよね。そうだ、クララ、このドレス選んでくれたのよね? とても嬉しいわ」
何があったのかはわからないけれど、きっと私の杞憂で終わるだろう。
そう思いたいのに、胸騒ぎは収まらなかった。