55.雪
黄点病の治療を始めてから十二月はあっという間に過ぎて、気づいたら一月になっていた。
キバナでの黄点病の治療は終息が見えている。でも、まだほかの領地まで手が回っていない。
ふと先日見た患者のことを思い出して、掌を見下ろす。
回帰してから二度目の人生。黄点病が流行るのは知っていたのに、それでも救えない命があった。
黄点病とは怖ろしい病だ。病の進行度合いは標準だと一週間ほどだけれど、それでもお年寄りや体の弱いものだと耐え切れずに、発症をすると早くて一日で亡くなってしまうこともある。いくら聖女の力があったとしても治療が間に合わない。
過ぎ去りし未来も、二度目の人生でも、多くの患者の命が目の前で儚くなった。
為すすべなく見守ることしかできない命もあった。もしかしたらこれからもあるかもしれない。
ギュッと手を握りしめる。
いま、ここで立ち止まっているわけにはいかない。
キバナの黄点病は落ち着きを見せているけれど、別の領地はこれからなのだ。
私は教会の前で馬車を待っていた。そろそろ騎士たちを連れて別の領地に向かうために。
馬車の姿が見えてきたころに、ピーターが近づいてきた。
「聖女様。先日の件ですが……」
「何か、わかったの?」
「はい。他の病の状況などを調べていた兵士たちの証言によると、南部の端の領地で信じられないことがあったようです。子爵の領地なのですが、子爵領の兵士たちは子爵に脅されていて口を割らなかったようですが、近隣の領地などに逃げてきた領地民から聞きだすことができました」
ピーターの口から伝えられたのは一度経験していた未来と、同じことだった。だけどあの時はほとんど手遅れで、でもいまはまだ間に合いそうなこと。
過ぎ去りし未来、黄点病によりとんでもない政策をしていた領地があった。
領内で黄点病にかかったと思われる患者を、領地の外に放り出し、治療もせずに放置したのだ。患者の家族が付き添って、患者の家族などが付近の町などに助けを求めて一命をとりとめた患者もいるが、半数以上は冬の寒さもあり耐えられずに亡くなってしまった。
一度目の人生では、黄点病が終息したころになってその異変に気付いたけれど、もうその時には遅かったのだ。気づいたときにはその出来事は終息していた。
子爵を非難する声も多かったけれど、子爵により命を救われたと声を上げる領民もいて、子爵は罰を受けながらもその後も領主を続けていたのよね。
そんな未来の出来事を知っていたから、私はピーターに他の領地について調べてもらっていた。
「本当に信じられません。子爵のことは陛下にもお伝えしておきます」
「ありがとう。――でもいまは患者の安全が先ね」
「数人の回復士を向かわせています。ですが、聖女様は……」
「……わかっているわ」
すぐにその領地に向かいたいのは山々だけれど、それでもキバナ周辺の町や村でもまだ黄点病は猛威を振るっている。まずはその治療をしなければいけない。
「まだ、患者はたくさんいるのだから……。そろそろ、近くの町に向かいましょう」
「はい。もうじき準備も終わります。聖女様は、先に馬車に乗っていてください」
ピーターはそう告げると、そそくさと教会に戻って行った。
それと入れ違いに、教会の中から子供たちが出てきた。私はあっという間に子供たちに囲まれる。
「お嬢様!」
「大丈夫よ、アリシア。心配しないで」
少し驚いたものの、私は駆け寄ってこようとしていたアリシアを制する。
「聖女様!」
「聖女様!」
「どうしたの?」
子供たちのなかには見覚えのある顔もあった。この子は、一週間前に治療をした患者だ。あの時は高熱でせん妄状態になっていたと思うけれど、いまは見る影もなく元気そうだ。目を輝かせながら、一輪の花を差し出してくる。
「これ、お礼!」
そこかしこに生えている雑草のような花だったけれど、私は大切そうに受け取った。
「ありがとう。もう体調は大丈夫?」
「平気だよ。聖女様が助けてくれたから」
歯を見せて笑う姿を見ると、胸の辺りに溜まっていた靄がすこしすっきりするようだった。先ほど握りしめた掌を開くと、そこに空から白いものが落ちてきた。
「雪だ!」
「積もるかな?」
「南部で積もるわけないだろ」
「でもわからないじゃん」
「……積もったらいいなぁ」
先ほどまで私を取り駆けこんでいた子供たちが「雪だ、雪だ」と口々に言いながら走っていく。
花をくれた子供がひとりだけ、雪が降ってきた空を見上げてポツリと呟いた。
「ねえ、聖女様。春祭りはやってくれるのかな」
黄点病の影響もあり、南部で冬祭りは開催されなかった。
「ええ、きっとあるわよ」
「本当?」
目を輝かした子供に私はにっこり微笑みかける。
嬉しそうな顔をした子供が、仲間の元に走って離れて行く。
パラパラとした雪が、掌に積み重なっていく。それらはすぐに溶けてしまうだろう。
「南部でこれだけ雪が降ってるということは、北部は大変そうね」
「たくさん積もってるでしょうね。北部が心配っすか? でも大丈夫ですよ、北部の人は雪には馴れているっすから」
私の呟きに近づいてきたエリックがなんてことないように答える。
「……ええ、そうよね」
「体を冷やしたらいけません。馬車に乗りましょう」
アリシアの言葉に頷いて、私は馬車に乗った。
座席に腰かけながら、雪が降っている空を見上げる。
黄点病の治療は二月には終息するだろう。そうしたら北部に戻れるはずだ。
北部に戻って春になったら、結婚式がある。
でもその前に――。
「お父様、婚姻届に、サインしてくれたかしら?」