54.治療
帝都では毎年寒い時期になると流行る感染症がある。
その時のための対策も設けられていて、まず第一に感染患者の隔離の措置が取られる。大きな街だと病院や神殿、教会などに隔離されることがあるけれど、小さな町や村だと家の中から出ることを禁止される。
そして感染患者と接した家族なども一週間ほど家から出ることを禁止されて、それが見つかると罰金などの罰が与えられることになる。
大体の流行り病は高熱などの風邪症状だけで、平民なら医者から処方された薬、貴族たちなら回復魔法士やポーションの力を借りて感染症は比較的速やかに収まるのだけれど、新たに発見された疫病――黄点病にはこれらの方法は通用しなかった。
いくら隔離措置や治療を繰り返しても、感染症は収まることなく、さらに広がっていく。
あたりまえだ。黄点病の病原菌は人だけではなく、鼠が運んでいたのだから。
「アリシア、エリック。いまからこちらの神殿で患者の治療をすることになるのだけれど、絶対に守ってもらいたい約束があるの」
キバナの神殿に入る前に、私は馬車のなかで二人に声を掛けた。
「まず、必ずこの布を口の周りに巻いて。息苦しくなっても、絶対に外したら駄目よ。この布手袋も、素肌が露出しないようにつけて」
「わかりました」
私が差し出した布で口の周りを覆いながら、二人は返事をした。
「それから患者が咳をしたら絶対に近寄らないで。血を吐いても同じよ。たとえ目の前で患者が苦しみながら血を吐いたとしても、その血には絶対に触れたら駄目だわ。水魔法を使える人がその血を流してくれると思うから、それまでは絶対に触っては駄目よ」
アリシアもエリックも私の話を真剣に聞いてくれている。
黄点病の人から人への感染の多くは飛沫感染だ。咳などはもちろん、血に触れたりするとそれで感染する場合がある。
だからこそ、黄点病の感染は穏やかにだけれど、南部中に広まってしまった。南部は商人たちが行きかうことが多いから。
準備を済ますと、私たちは馬車から降りた。神殿の前に神官が立っている。その神官やほかの騎士たちもみんな私やアリシアと同じような格好をしている。
今回の騎士団のメンバーの多くは、水の魔法が使える人たちが集められているはずだ。ピーターは風、アルベルト様は炎魔法が得意だけれど、カルロスお兄様は水魔法を得意としている。
ピーターと一緒に神官に挨拶をすると、神官は重々しい雰囲気のまま本殿の近くにある患者を隔離するための建物に案内してくれた。
扉が開いた瞬間、むわっとした空気とともに、患者の呻き声が聞こえてきた。
「ピーター、空気の入れ替えができる?」
「可能ですが、外にいる人間が感染する恐れがあります」
「そう、よね。でも、この建物の空気は危険だわ。どうにかできると良いのだけれど」
「浄化魔法を使える神官を探しましょうか」
ピーターが神官に話しかけている。神官は頷くと、本殿に駆け足で向かって行った。
浄化魔法を使える人間は、回復魔法を使える人間よりも少ない。それも、ここまで淀んだ空気を浄化できる人間は限られているだろう。
それに、いままで全く空気を浄化してこなかったわけではないはずだ。浄化魔法を使える神官がいても、いま力が残っているかはわからない。
先ほどの神官が駆け足で戻ってくると、ピーターに頭を下げている。
「聖女様。申し訳ないのですが、魔力の残っている神官が少ないそうで、いますぐには無理だそうです。出直しますか?」
「いいえ。私は行くわ」
「ですが危険です。聖女様が倒れられたら」
「あら、大丈夫よ。だって私は聖女だもの。自分の病は自分で治せるわ」
ニッコリ笑顔を浮かべて言うと、プッと傍で話を聞いていたアルベルト様が噴出した。
「クク……ラウラ嬢、意外と面白いところがあるんだな」
どこか懐かしさを覚える笑顔とともに、過ぎ去りし未来の記憶がよみがえる。
あの時の私は、聖女の任務でキバナに来て、多くの患者の姿を前に震えることしかできなかった。病の恐怖だけではない、救えない命があることを知ってしまったからだ。
そんな私を元気づけるために、アルベルト様は優しく傍で見守ってくれた。時にはジョークなどを言って笑わせてくれたり、私が気負わないように気遣ってくれたり――。
あの時と似た笑顔に、知らないうちに私の顔が強張っていたのかもしれない。
アルベルト様が困ったように首を傾げた。
「すまない。令嬢をからかうつもりはなかったんだがな」
「い、いいえ。謝らないでください」
「妹がどうかしましたか、殿下」
「カルロス。いや、これは俺が悪いんだ。いまは笑っている場合ではないしな」
コホン、とピーターが場を取り直すような咳をする。
「聖女様。あなたが入られるのなら、僕たちも共に行きます」
「でも、ピーターたちが感染したら……」
「そのときは、聖女様が治してくださるのでは?」
先ほどのわたしの言葉をなぞるように言って、ピーターは白い歯を見せて笑った。
彼の笑顔を見ていると、すこし心が安らぐような気がする。
「……建物の中は危険だわ。それでもいいのなら、ついてきてくれる?」
「ええ、それが僕たち皇室第二騎士団のお役目ですから」
「ありがとう」
真剣な顔になったピーターが、背後にいる騎士たちに告げる。
「おまえら、くれぐれも感染には気をつけて、聖女様の足手まといにならないようにするんだぞ」
張りのある返事が響いた。
中にいた医師の一人に声を掛けて、重症者のところに案内をしてもらった。
聖女の力は表面的な傷とから、簡単な病なら一瞬で治せるけれど、黄点病となると別だった。病原菌をしらみつぶしに探し出し、治療しなくてはいけない。黄点病の治療は簡単にはできないのだ。
「重症者は私が請け負うわ。他の方をお願いします」
「かしこまりました、聖女様」
「病状が急変したり、異変があったらすぐに呼んでね」
数人の回復魔法士も一緒に連れてきている。まだ病を発症したばかりの患者なら彼らの力を借りても良さそうね。
今年最後の更新になります。本年はありがとうございました。また来年もよろしくお願いします。