51.書簡
その書簡が届いたのは、昼前だった。ゼブル様の姿が見えなかったのと、私宛てのだったことから、ジョンは私にその書簡を渡してくれた。
書簡を開く前から、私はその内容に目星をつけていたのだけれど、内容を見てギュッと書簡を握りしめてしまった。
「――これが、その書簡か」
ゼブル様の執務室で、しわくちゃになったのをどうにか伸ばした書簡にゼブル様が目を通している。
その書簡の封には皇室の印章が使われていた。聖女の私に、皇室から届いた勅令だ。いくら春先に結婚式を控えているからといって、皇帝からの勅令を無視することはできない。それに内容が内容であるから、たとえ婚姻した後でも届いていただろう。
「疫病か?」
「はい。南部で大きな被害が出ているようです」
その疫病は、南部の港町から広がった後、緩やかに帝国中に広がって行った。最初こそ南部付近だけで広まっていた疫病だけれど、その感染力は強力で次第に範囲を広げていき、いまは帝都のある西部近くまで進行してきているらしい。
「最初はただの風邪だと思われていたらしいのですが、少しずつ死者が増えているそうです」
一度この疫病に罹れば一週間は苦しむことになる。死者も多く、病に苦しんだのちに、全身に黄色い斑模様ができて亡くなるのがこの病の特徴だ。
そして私はこの病に覚えがあった。過ぎ去りし未来――私が聖女の力を覚醒して、初めての冬を迎える前に、同じ病が南部で流行っていた。当時帝都にいた私は、皇室の勅令で南部に赴き、村や町を巡回して病を治した覚えがある。
確か未来でも、回復魔法士の手に負えなくなってから、聖女に要請がきたのよね。
「……帝都に行くのか?」
「はい。私が聖女である限り、勅令には逆らえませんので」
「……そうだな」
「それに何より、病で苦しんでいる人がいるのなら、早く治してあげたいのです」
この病に罹ると待っているのは最悪、死だ。しかも疫病での死者は弔うこともできずにすぐ埋葬されるので、家族たちは死者との別れもままならない。
聖女の力は国のために使わなければいけない。そのため、私は皇室の命令なしでは行動に移すことができなかった。事前に病が流行ることがわかっていたとしても、私一人の一存では動くことができないのだ。
だから、聖女の力を覚醒してからこれまで、勅令が来たらすぐに動けるように準備をしていた。
「明日には出発したいと思います」
「随分と急だな」
「はい。聖女の力は、民のために使うのが当然ですから」
未来の記憶があるからとは言えなかった。
聖女の力を覚醒したからには、聖女の義務を果たさなければならない。
それにこの疫病さえなんとかすれば、しばらくは特に大きいことは起こらないはずだ。
春になれば結婚式を挙げて、ゼブル様の死までは穏やかに暮らすことができるだろう。結婚しなかったらそうもいかないだろうけれど。
――でも、なんだろう。そう考えると、胸の奥が少しざわつくような……。
「すぐにワープゲートが使えるように、シランに遣いを出そう」
「ありがとうございます」
「オレもシランまではついて行く」
「……っ、本当ですか?」
「ああ。帝都までは行くことはできないが、心配だからな。……結婚も控えているのだから」
最後の方は小声でよく聞き取れなかったけれど、帝都に行くのには不安があった。少しでもゼブル様が傍にいてくれるのなら心強い。
「今日はしっかり休め」
「はい。ゼブル様も」
聖女の力を覚醒してから、静かな一カ月だった。
だけど冬の始まりからは、忙しくなりそうだ。
◇◆◇
ワープゲートのあるシランの町までは、馬で駆けると二日ほどだった。ランデンスに来たときは馬車だったけれど、馬だと一日早く着くのね。
馬車じゃなくて馬を選択したのは、少しでも早く疫病の蔓延する地域に行くためだ。アリシアからは馬車を勧められたけれど、私が断った。
シランに着いた頃にすっかり気温が下がっていて、空からは雪がぱらつき始めている。このまま本格的に降ってくるかもしれない。
馬から降りようとしたら、先に下りていたゼブル様が手を差し出している。乗る時もそうだけれど、こういう時もエスコートしてくれるんだ。
お礼言いながら降りると、手に雪が降りてきた。
「本格的に降りそうですね」
「ああ、北部の雪は毎年厳しい。だからラウラ嬢も、北部にいるより、帝都にいる方が安全かもしれないな」
北部の貴族の多くは、冬になると帝都の別邸に行くらしい。それほどまでに冬が厳しいからというのもあり、普段あまり帝都の社交会に出ない北部の貴族たちも、冬の社交シーズンではよく見かけるようになる。だからか、シランの町にも数人貴族らしい人たちを見かけた。
「冬の間は戦争も起きないだろう。だから春先に向けて結婚式の準備をしておくから、雪が解けるまでは帝都でのんびりしてきてもいい」
「……いえ、雪が解ける前までには帰ってきます」
北部の雪が解けた頃となると、三月ごろになるだろう。過ぎ去りし未来での疫病は、二月には終息していたはずだ。だから雪が解けて花が咲く前までには戻ってきたい。
「そうか。待っている」
ギュッと握りしめられた手は、手袋越しなのになぜだか温かかった。
ワープゲートはすでに準備されていた。私はアリシアとエリックを護衛として連れて魔法陣の中心に立つ。
「必ず、帰ってきますから」
「ああ、オレも待っている」
ゼブル様と挨拶を交わすと、魔法陣が光を放ち始める。私は酔うのも忘れて、灰色の瞳が消えるまで見つめ続けていた。