番外編 過ぎ去りし未来(ユリウス編)
ユリウス・ボタニーアがその話を聞いたのは、約一年振りに帝都に戻ってきた時のことだった。
ユリウスは幼い頃に図鑑の片隅で見た薬草を探すために、いろいろな国を渡り歩いてきた。豊かな国、いまにも滅びそうな国。スカーニャ帝国の貴族である身分を隠していろいろな国を渡り歩いてきて、やっと似た薬草を見つけることができた。
その薬草は、神の奇跡みたいなものでとても貴重なものだった。とある国でしか自生できない花の根からしか採取できなくて、ポーションにするのにも時間がかかった。けれど研究を繰り返してどうにかポーションを作ることができたというのに。
「聖女が処刑されるだって? いったいどうしてそうなことになっているんだ」
帝都に入ってから、そこここで囁かれている噂話。信じられないその内容を確かめるために、ユリウスは皇室騎士である兄の元を訪れた。
ユリウスの実の兄であり、次期公爵でもあるカルロスは、ユリウスの姿を見つけると、目を大きく見開いた後、はあと盛大なため息を吐く。
「久しぶりに戻ってきたと思ったら、なんて顔をしている」
「聖女が――ラウラが処刑されるという噂を聞いたんだ。カルロスが傍にいながら、どうしてそんなことになっているんだい?」
「どうしてって……。話聞いていないの?」
そうして語ったカルロスの話は衝撃的なものだった。
ラウラが聖女の義務を果たすことなく、騎士団長であるアルベルトの命令を聞かずに逃げ出した。その影響で第二騎士団の第一小隊の半数が亡くなったらしい。
皇室の騎士団は、皇族や皇宮を護る近衛騎士である第一騎士団を除き、第二騎士団以降は実力によって選ばれている。その第二騎士団のメンバー、それも聖女と行動を共にしていた小隊の半数が無くなったのは信じられない。ラウラが命令を無視して逃げ出したからなんて。
「そんなことあるわけがない」
「ラウラだって怖かったんだろうさ」
カルロスはそう言うが、ユリウスはいまいち信じられない思いだった。
聖女になってからのラウラとは顔を合わせた回数も少ない。でも彼女は母に似て、聖女としての使命感があったはずだ。それは一緒にいたカルロスならよく知っているだろうに。
「ラウラが戦場から逃げるなんて、そんなことあるわけない」
「実際にあったんだから、仕方がないだろう」
「仕方がない?」
カルロスの言動に、ユリウスは疑問に思った。
ラウラは聖女である前に、自分たちの妹だ。その妹が処刑されるのを「仕方がない」とどうして簡単に受け入れられるんだ?
なにかがおかしい。でも肝心のなにがおかしいのかよくわからなかった。
「ラウラはいまどこにいるんだ?」
「牢獄だよ。罪人なんだから当たり前だろう」
「っ。会ってくる」
「それは無理だろうね。死刑囚に面会はできないんだ。死んだあとなら会えると思うけどさ」
衝動的にカルロスの胸倉を掴んだ。
ぐっと苦しそうに呻きながら、カルロスがその藍色の瞳でにらんでくる。
「おまえも捕まりたいのか?」
「そんなのどうでもいいんだ。カルロス、君はいままで何をしていた?」
「なにって?」
「どうしてラウラの処刑を止めようとしないんだ!」
「どうして俺が止めなくてはいけない。……それに何をしていたってのはこっちの台詞だ。ユリウス、おまえは昔から領地にも顔を出さず、騎士団にも入らずに何をしていたんだ?」
「っ!?」
胸倉を掴む腕から力が抜ける。咳をしながら服を整えるカルロスは、冷たい瞳をユリウスに向ける。
「俺は騎士として戦争に参加して、きちんと成果をあげたんだよ。それに比べておまえってやつは、遊び歩いているだけでなにひとつ貴族の義務なんて果たしていないじゃないか」
「……やっと、探していた薬草を見つけたんだ」
「薬草?」
嘲笑うように鼻を鳴らされた。
「聖女の力があるのに薬草なんて。それが必要なのは、平民ぐらいだと思うけどね」
「いいや、違う。その薬草はただの薬草とは違うんだ。数は少ないけれど、聖女の力と似たような性質を持っていて。そのポーションがやっと完成したから、帰ってきたんだ」
「聖女の力と似た性質?」
「このポーションがあれば、ラウラが聖女の義務から少しでも解放されると思ったのに……」
もう遅かった。
戦争は終わり、ラウラは罪を犯したとして処刑される。
こんなポーションがあっても、もう意味なんてない。
「確かにそれはもう必要ないな」
カルロスはうっすらと笑った。そっとユリウスの耳元に口を寄せる。
「良いことを教えてあげようか? 聖女は処刑される。――でもそれは表向きなんだ」
「っ。どういう意味?」
「聖女の血を途絶えさせるわけにはいかないからね。ラウラには死んだことになってもらって、ひっそりと領地で暮らしてもらうつもりなんだ。ラウラもそっちの方がいいだろうさ。聖女の義務から解放されて、後は領地で子供を産んで育てるだけでいいんだから」
「――っ!?」
鈍い音がして、カルロスが少しよろめく。力いっぱい殴ったつもりだったが、鍛えているだけあって、ユリウスの力で彼を吹っ飛ばすことは不可能だったみたいだ。
胸倉を掴み上げる。もう一度、拳を振り上げていた。
口のなかが切れたのか、カルロスの顎を血が垂れていく。
「痛いじゃないか、ユリウス。おまえも牢にぶち込んであげようか?」
「そんなのどうでもいい! ほんっとうに見損なったよ、カルロス」
「見損なった、か。昔、おまえは言ってたよね。座学や剣術の稽古がつまらないからサボるんだって。でも俺はそれがいつも嘘だって知っていた。おまえは才能があったから、俺よりも優秀だと思われたくないだけだったんだろ。……そうやっていつも俺を見下して」
「それは違う。才能は僕よりもカルロスの方がある。だから皇室騎士団に入団できたんだ」
「はっ、おまえだってちゃんと剣術を習っていたら、いまごろ騎士団に入団していたさ。俺と違って、殿下におべっかを使わなくても済んだだろうし」
藍色の瞳が射貫くように向けられる。
昔からカルロスの瞳は貪欲さを秘めていた。それがなにから来るものか、ユリウスはわかっているつもりだった。ボタニーアの聖女の血を一番濃く受け継いでいるのは母親にそっくりな自分自身だと思っていた。そしてカルロスはボタニーアではない父親の血を強く受け継いでいる。あくまで見た目だけだけれど、それにコンプレックスを持っていたことを、ユリウスは理解しているつもりだった。
それがさらに歪んでいたなんて。
ふとユリウスは思い出した。ラウラが聖女の力を覚醒した後、カルロスはなぜかボタニーアの傍系から婚約者を選んだ。その理由をカルロス自身は、意気投合して彼女となら将来穏やかに過ごせそうだからだと口にしていたけれど、思えば変だ。
カルロスの婚約者である、リーズ・ルクリエとは幼少期に会ったことがある。気が強く見栄っ張りな彼女は、お世辞にも公爵夫人を立派に務められる人間とは思えなかった。それでもカルロスが自分の意思で選んだのだから応援しようと思っていたのだけれど。
とても嫌な考えが脳裏に浮かんだ。
「ねえ、リーズと婚約したのはどうして?」
「……どうしていまさらそんなことを聞く?」
「もしかして、ボタニーアの血を薄くだけれど継いでいるから?」
カルロスは答えることなく、胸倉を掴むユリウスの腕を振り払う。
服を整えると、彼は拒絶するように背を向けた。
「出ていけ。これ以上横暴なことをしたら、いくら弟だろうと、容赦はしない」
「カルロス、おまえっ!」
部屋の扉が勢いよく開き、数人の騎士が入ってきた。
「副団長、ご無事ですか? 男が部屋の中で暴れていると兵士から応援要請がありましたが」
「ああ、ただの兄弟喧嘩だ。それに弟はもう帰るそうだ。皇宮の外まで丁寧に見送ってくれ」
「承知しました」
ユリウスの左右を騎士が挟む。開いたドアの外には、兵士も数人控えていた。
ここでまたカルロスに殴り掛かったら、今度こそユリウスは牢獄に入れられるだろう。そうしたらラウラの処刑まで外に出られないかもしれない。そうなってしまえばもう本当にラウラを救うことはできなくなる。
奥歯を噛み締めると、ユリウスは騎士の誘導に身を任せた。どうにかしてラウラの処刑を止めないと。頼れそうな人もいるにはいる。どうにかなるかもしれない。
――だけど、その数日後。
ユリウスの元に訪れたのは、悲報だけだった。
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