49.提案(ゼブル視点)
――早朝、朝日が昇ったとき、仲間のほとんどは魔力や体力を使い果たしていた。ゼブルも例外ではなく、剣を地面に突きたてて立っているのがやっとの状態だった。
そこに頬を掠めて行く弓矢があった。
まるで騎士たちが疲弊するのを見計らったかのような、敵襲。
「団長!」
「どうなってるんだ、クソっ」
カイルの切羽詰まった声や、アルベルトの悪態。
ゼブルは気力を振り絞ると、声を荒げた。
「攻撃範囲から逃げろ」
「まさか団長、また魔力をお使いになられるのですか!? 無茶ですよ!」
「そうするしか、ないだろう」
カイルはまだ言いたげな顔をしていたけれど、状況は最悪だ。いまは木を陰にして弓矢を凌いでいるけれど、それもいつまで持つかわからない。
「行け!」
「承知しましたよ! 死なないでくださいね!」
「俺が手を貸そう。魔力は少ないが、目くらましぐらいならできるはずだ。どうせ氷魔法を使うんだろう?」
「ああ、頼んだ」
近くで話を聞いていたアルベルトの提案に、ゼブルは頷いた。アルベルトは服も顔も泥や血で汚れていて、普段の美貌が台無しだ。だけどその碧い目はまだ死んでない。
(さすが実力派が揃っている皇室第二騎士団で副団長をしているだけあるか)
森で炎魔法を使うのは危険が伴うけれど、氷魔法を使えばおそらく消火できるだろう。
ゆっくりを息を吐く。冷たい吐息が掌にあたる。
(いけるか)
「それでは行くぞ!」
アルベルトの炎魔法が敵と味方の間に炎の壁を作る。
それを合図に、仲間たちが二方向に分かれて散って行った。
距離はもう稼げただろうか。騎士を兵士が追いかけて行くのが見える。時間がない。仲間を巻き込まないことを祈るしかない。
息をゆっくり吐いていく。
冷たい空気が周囲に充満しているのがわかる。
炎の壁が凍りつく前に消えた。魔力が足りなくて、限界だったのだろう。森の一部が焼けていて微かな炎が燻っているが、それも次第に凍るはずだ。
弓矢が頬を掠めて行く。次は足、腕。
血が流れる前に凍りついていく。
――それから十分後。
そこら一帯は冷たい氷で凍てついていた。
◇
冷たく凍りついていた全身が、温もりに包み込まれたような感じがした。
意識を取り戻したゼブルが目を開けると、白に近い桃色の髪の少女が、ゼブルの胸に倒れ込んでいた。
「ら、ラウラ……」
消え入りそうな声で名前を呼ぶが、彼女は反応しない。
(どうして、こんなところに……)
次第に意識がはっきりしてくる。ここは森のなかだ。ついさきほどまで敵国の兵士を氷魔法で倒したばかりだというのに、こんな危ないところにどうして彼女がいるのだろうか。
それに氷魔法を使った後なのに体が軽い。いったい、何があったのだろう。
それら疑問は数分もしないうちに判明した。
「お嬢様!」
ラウラの名前を呼んでやってきたのは、騎士団員のアリシアだ。狩猟祭に参加していなかった彼女がここにいるということは、増援がやってきたのだろう。
「団長、無事だったんですね! それにしても先程の光は、いったい……」
アリシアは理解できていないようだ。それはゼブルも同じだったが、そのあと駆けつけてきたラウラの兄――カルロスやほかの目撃者の言葉により判明する。
ラウラ・ボタニーアが当代の聖女として覚醒したということを――。
◇◆◇
「――以上が報告になります」
「やはり犯人の手掛かりはないか」
ラウラが聖女の力を覚醒した翌日。ゼブルは執務室でカイルの報告を聞いていた。
狩猟祭で結界が崩壊したことや突然の黒竜の襲来。それから騎士たちが疲弊したのを見計らったかのような隣国兵士の襲撃。
これらが偶然起こったことだとは思えなかった。この意見は皇子たちも同じらしく、原因を究明して皇室に連絡してくれと言われている。
「黒竜が封印されていた洞窟の調査はまた後日するとしても、結界の崩壊と隣国兵士の襲撃は偶然が重なりすぎています。おそらく誰かが企んだものだと」
「狩猟祭には多くの貴族はもちろん、皇族も参加しているからな」
「それに団長もですね」
ゼブル・ランデンス大公の能力を隣国は常に注視している。ゼブルがいるからこそここ数年、隣国との間で大きな戦争が起こっていない程だ。
だけどもしゼブルが死んだら、隣国はすぐさま北部に乗り込んでくるだろう。
【青蘭騎士団】の騎士はもちろんのこと、スカーニャ帝国の騎士たちは手練れが多い。だからゼブルひとりがいなくなったところで、隣国が勝利する可能性は少ないのだけれど、それでも懸念はあった。
「あの国はどうなんだ?」
「密偵によると、兵力を集めているそうです。ですがその伝達も二カ月前から途絶えたままでして」
ルティーナ王国を挟んだその隣にある大国。ルティーナ王国との関係が険悪なため交易などの繋がりは一切ないその大国が最近不穏な動きを見せているらしい。
ルティーナ王国だけなら戦争で勝利することも容易くないのだけれど、その大国は閉鎖的なところだった。どれほどの軍事力があるのかほとんどわからないのだ。
もし大国が隣国と手を組んだら、北部も無事では済まないかもしれない。
「それからラウラ様のことですが、どうされるのですか?」
「どうとは?」
「ラウラ様は聖女の力を覚醒されました。聖女は地位こそ他の貴族よりも高く尊い存在とされていますけど、実際は皇室の命令を拒否できない立場にあります」
「……知っている」
ボタニーア家が代々受け継いでいる、類まれな回復能力と膨大な魔力を持った【聖女】。
その力を実際に目にしたことは一度もなかった。先代の大公はあるそうで、その力をまるで神のようだったと称していたのは覚えている。
死んでいなければどんな傷でも病でも治すことができる聖女の力。
聖女は、莫大な魔力と引き換えに、その一生を皇室に捧げて自由のない人生を送ることになる。
自由がないのはゼブルも同じだ。
だから昔から聖女には興味があったけれど、手に入れたいとは思わなかった。
それがまさか、ラウラが聖女だったとは。
矢が降り注ぎ、血が飛び散る戦場。
ふと、脳裏に嫌な光景が思い浮かんで、ゼブルは首を振った。
「どうされましたか?」
「いや、なんでもない」
戦場は常に死と隣り合わせだ。気を許した友人や家族でも、隣に立っている人間がいつの間にか死体になっていることもある。いくらゼブルの氷魔法が強力だといっても、制約があってほとんど使えない。
だから今回の隣国の襲撃で、ゼブルは死を覚悟していた。
もう目を覚ますことはないかもしれない、そう思っていた。
けれど実際はラウラの聖女の力により、ゼブルは死ななかった。
しかも、あの時に聖女の覚醒の恩恵を受けたのはゼブルだけではない。
ゼブルの氷魔法の範囲外に逃げていた仲間の騎士やアルベルトも、光に包まれたかと思うと傷が治っていたという。
あまりにも大きな力だ。皇室がラウラを手放すことはないだろう。
ラウラが聖女の力を覚醒させた直後の戸惑ったレオナルトの顔と、忌々しげにゼブルをにらみつけてきたアルベルトの顔を思い出す。
(このままだと、婚約もどうなるかわからないな)
覚醒直後、ゼブルの体の上に倒れ込んで気絶していたラウラの顔を思い出す。
「……どうにかしたいな」
そう遠くない未来、いやもう一年も満たないかもしれない。いずれ隣国との間で戦争が勃発するだろう。それを止めることはできない。
もし戦争が始まれば、ラウラも戦場に行かなければいけなくなる。
ふと、先ほどの嫌な光景がまた脳裏に浮かぶ。
「顔が怖いですよ、団長。不気味な百面相ですか?」
「……カイル。聖女が戦場に行かなくて済む方法はあるのか?」
カイルの軽口を聞き流して問いかける。
淡い紫色の瞳を見開いたかと思うと、カイルは「へー」と意味ありげに微笑んだ。
「ありますよ、聞きたいですか?」
腹立たしく思ったものの、ゼブルは頷く。
「結婚をすればいいんですよ!」
「結婚、だと……?」
その後のカイルの話を聞き、ゼブルは決意した。
彼女に提案してみようと。
※お読みいただきありがとうございます。第三章はこれで終わりです。
第四章の開始は、二週間後を予定しています。それまでしばらくお待ちいただければ幸いです。
それから第四章開始までの間にユリウス視点の過ぎ去りし未来の番外編を追加予定です。