48.カヒナ様
舞踏会の翌日から、ランデンス城に滞在していた貴族たちが帰り始めた。
私はクララとカルロスお兄様の見送りのために外に出ていた。
「お姉様。帝都に来たら会いに来てくださいね」
「もちろんよ。元気でね、クララ」
軽く抱擁を交わすと、クララはカルロスお兄様のエスコートで馬車に乗った。
「カルロスお兄様も、お元気で」
「あ、ああ。……そうだ、リーズのことだけどね、何か勘違いがあったみたいなんだ」
「勘違い、ですか?」
カルロスお兄様はどこか歯切れが悪そうに答える。
「そうだ。それにリーズも反省している。だから、今回は許してくれないかい?」
「許しを請うのは私ではなく、クララだと思いますが」
「ああ、クララにも後で謝らせるよ。リーズはラウラにとっても姉みたいな存在だよね? だからこれからも仲良くしたいって本人は言っているんだ」
確かに幼い頃は一緒に遊んでいた。だけどリーズのしたことはそう簡単に許せるものではない。いくら本人が仲良くしたいと口にしていても、リーズの性格を考えるとまた同じことを繰り返してもおかしくはないだろうし。
「謝罪を受け入れるかどうかを考えるのは、リーズの今後の態度次第です」
「そうか。それが聞けて良かったよ。リーズと正式に婚姻したら、それこそ本当の家族になるんだからね。いまからギスギスしていたら将来が心配だと思っていたんだ」
安堵したように微笑むカルロスお兄様を見て、私は内心ため息を吐いていた。
そういえば過ぎ去りし未来でも、二度目の人生でも、カルロスお兄様はどうしてリーズと婚約したのだろうか?
過ぎ去りし未来では二人とも親密な様子を見せていた。恋仲だからだと思っていたのだけれど、リーズが嘘を吐いてクララを貶めようとしたことを知っていながらも、それでもリーズと婚約関係を続ける理由はなんだろう。
「じゃあ、今度は帝都で会おうね、ラウラ」
カルロスお兄様は笑顔で手を振ると、馬車に乗り込んだ。
私が聖女の力を覚醒したという吉報は、もうすでに帝都中――いや、スカーニャ帝国中に広がっているだろう。
いまはまだランデンス城で暮らすことができるけれど、それもどれだけ続くかはわからない。皇室から勅書が届けば、私はその命令に従わなければいけなくなる。
不安を振り払うように、私は手を振りながら馬車を見送った。
◇◆◇
その日の夕食前、部屋に執事長のジョンが訪ねてきた。
「カヒナ様がお会いしたいと仰っています」
ランデンス城で暮らすようになってから、約三カ月経っているけれど、カヒナ様には一度も会ったことがない。私はジョンの案内でランデンス城の端の方にある、薄暗い廊下にある部屋にやってきた。
部屋の中は廊下とは違いとても明るかった。部屋の中にはいろいろな花が生けられた花瓶がある。季節を問わずいろいろな花があるのだけれど、よく見るとそれは生花ではなく、よくできた造花だった。
「昔、先々代の大公閣下が、カヒナ様に贈られたものでございます」
なかにはルティーナ王国でしか自生しない貴重な花もあるそうだ。故郷の花を思うカヒナ様のために特別に造らせたものらしい。
「こちらです」
ジョンの案内で、私は白い天蓋のベッドに近づいて、思わず息を呑んだ。
輝くほどの白銀の美しく長い髪の老齢の女性だった。顔には深い皺が刻まれているけれど、若い頃たいそうな美貌だったことが窺える。
「カヒナ様。ラウラお嬢様がお見えです」
閉じていた瞼がゆっくりと開いていく。昔は明るかっただろう銀色の瞳は灰色に色褪せているように見えた。だからかわからないけれど、どこかゼブル様に似ている眼差しだと感じた。
「カヒナ様、お初にお目にかかります。ラウラ・ボタニーアと申します」
軽くお辞儀をして挨拶をする。
カヒナ様の瞳が私をじーと見つめるだけで、反応がなかった。
ジョンに勧められて傍にある椅子に腰かける。再び視線を向けると、カヒナ様の唇がゆっくりと開いていく。
「…………よく、顔を見せて」
弱々しい声だったけれど辛うじて聞きとることができた。
再び立ち上がってカヒナ様の傍に寄る。
しわくちゃで骨ばんだ指が私の頬を撫でた。ざらりとしていて、ひんやりと冷たいけれど、不思議と嫌に感じない。
「…………似ているのね」
「似ている、ですか?」
「…………ルナティア様に」
驚いて背後を見る。ジョンは私たちから距離を空けたところに立っている。カヒナ様の声も囁くほど小さいから、聞こえていないだろう。
「私が、あのお方に、似ているのですか?」
「…………あの子が、話していたわ。……とても、似ている人を、見つけたと……」
女神ルナティア。銅像を見たのはあの秘密の温室が初めてだけれど、暗がりでよく顔までは見えなかった。
その女神に、私が似ている……?
にわかには信じられないけれど、もしかしたら見た目ではなく雰囲気の話なのかもしれない。それにカヒナ様は高齢で、よく目も見えないみたいだ。見間違いの可能性もある。
「…………あの子を、見守ってあげてくださいね」
「は、はい、もちろんです」
カヒナ様は私を女神だと思って口にしたのだろうか。
カヒナ様はそれ以上、口を開かなかった。頬を撫でていた手がゆっくりとベッドの上に落ちていく。
驚いて思わず脈を確認したが、弱々しいけれど動いていた。
「久しぶりに長く話したからお疲れなのでしょう。そろそろ夕食のお時間です」
ジョンに案内されて、私はカヒナ様の部屋を後にした。
◇◆◇
夕食の時間、ゼブル様にカヒナ様とお会いしたことを告げると、彼は「そうか」と頷くだけだった。
食事を終えると、それを待っていたかのようにゼブル様が口を開いた。ゼブル様はいつもと同じように先に食べ終えていて、いまは食後のお茶を嗜んでいる。
「少し提案がある」
「なんでしょうか?」
問いかけると、ゼブル様は何とも言い難い表情をしていた。苦虫を噛み潰しているような、喉に魚の骨が引っ掛かっているような、言いたいことがうまく口から出てこないような、そんな顔。
ぐいっとカップのお茶を飲み干すと、彼はじっと灰色の瞳で私を見つめて言った。
「結婚をしないか?」
「え?」
「春になったら挙式をしないか?」
突然の提案に、私の頭は状況を整理するのに時間がかかってしまう。
「結婚、ですか?」
婚約しているのだから、いずれは結婚することが決まっている。けれど、婚約期間は二年の約束で、まだ一年以上も残っているのに。どうして、春に結婚を?
「聖女になった者は、騎士団に所属して皇室の命令に従わなければいけないのは知っている。だが、結婚したら少し猶予ができるんだろう?」
「え、ええ。結婚したら、後継ぎの問題もありますし、長子が生まれるまでは戦場に赴いたりしなくてよくなります。帝都中が疫病の被害に遭ったりなど、特別な出来事でもない限り」
それでも猶予は短くって一年、長くて二年といったところだ。
「だから、結婚をしよう」
有無を言わさぬような灰色の瞳。
私はその瞳を見て、彼の考えが読めた気がした。
きっとゼブル様は私の身を案じて、少しの間だけれど戦場に駆り出されなくてもいいようにしようとしてくれているんだ。
ふと、先ほどカヒナ様に言われた言葉を思い出す。
『…………あの子を、見守ってあげてね』
私は未来を知っている。ゼブル様の最期を知っている。
だけど、どうせなら最期まで彼の傍にいたい。
心を満たす温かい気持ちが満ちて、自然と笑顔がこぼれる。
灰色の瞳を見つめて、私は元気に返事をした。
次回、ゼブル視点です。