46.噂
狩猟祭から三日後の今日。ランデンス城でいちばん広い広間に、多くの貴族が集まっていた。昨日目が覚めたばかりの私も、いつもよりも飾り立てられた衣装を着て立っている。
本来なら狩猟祭の翌日に、この広間で優勝者を讃えるための舞踏会が行われる予定だった。だけど予想外な出来事が立て続けに起こり、舞踏会自体は延期となり本日開催されることになった。
今日の舞踏会の主役の一人である私は、広間の隅でアリシアとともに佇んでいる。周囲にいる人がチラチラとこちらの様子を見て話したそうにしているけれど、話しかけてくる人はいなかった。
そしてもう一人の主役となる人はレオナルト様と向かい合っている。レオナルト様の隣にはアルベルト様もいるが、その碧い瞳は不愉快そうにもう一人の主役を見ている。
レオナルト様の口がゆっくりと開く。
「今年の狩猟祭は不運な事故により、途中で中止とされた。だが、黒竜討伐という功績を無視することはできない。よって、今年の狩猟祭の優勝者は、黒竜討伐という偉業を成し遂げた、ゼブル・ランデンス大公とする!」
狩猟祭の優勝者に送られるという黄金でできたトロフィーを、跪いて頭を垂れているゼブル様が受け取ると、広間は歓声に包まれた。
「それから今年の狩猟祭はもうひとつ、めでたいことがあったな。いままで数年不在だった聖女の席――今代の聖女の誕生だ」
周囲の視線が私に向く。私は頭を下げながら、レオナルト様の前に立った。
「ボタニーア嬢。頭を上げよ」
淡々としたレオナルト様の声に、私は顔を上げる。赤い瞳は淡々と私のことを見ていた。
「聖女は皇族の次に尊い存在だ。そなたはこれからこの帝国のために、その力を使ってくれたまえ」
静々と私は頷いた。聖女としての力を覚醒したからには、私は聖女の力を帝国のために使わなくてはいけない。そのために騎士団に所属して戦争に赴くことになるだろう。
気が重い。過ぎ去りし未来で覚醒した後も、戦争への恐怖に震えて、アルベルト様の甘い誘いに乗ってしまった。
いまも震えている。聖女が皇族の次に尊い存在だとしても、他の貴族令嬢のように聖女に自由はない。人の命を救い、帝国のためにこの身を捧げる。抱えきれない重圧のようなものが圧し掛かってくるのに、私はまた耐えなければいけないのだろうか。
「今日は記念すべき日だ。皆もこの舞踏会を楽しんでくれ」
レオナルト様の宣誓により、舞踏会が始まった。
「大公とボタニーア嬢。そなたたちも今日は舞踏会を楽しんでくれ」
そう告げると、レオナルト様は背を向けて去って行った。
舞踏会の始まりのダンスはパートナーや家族とするのが一般的だから、クララのところに向かったのだろう。
「ラウラ嬢――」
「オレと初めのダンスを踊ってくれないか?」
アルベルト様が何かを言おうとしたが、それよりも早くゼブル様が私に手を差し出してきた。
私はその手を取って微笑む。
「よろこんで」
今後のことを考えると憂鬱になるけれど、いまこの時だけは楽しもう。そのための舞踏会だ。
◇◆◇
「お姉様、おめでとうございます!」
ゼブル様とのダンスが終わり壁側で休んでいると、レオナルト様とのダンスを終えたクララが近づいてきた。
今日の彼女は、白に近い菫色の髪の毛によく似合っている、淡い菫色のドレスを着ている。お似合いねと言うと、レオナルト様からの贈り物だとクララは花開くように微笑んだ。
私たちに気を遣ってか、ゼブル様が離れて行く。
「お姉様、本当に覚醒おめでとうございます。お姉様ならとても素敵な聖女になれますわ」
「ありがとう。帝国の民のためにも、聖女の務めを立派に果たしてみせるわ」
「さすがお姉様です! 応援しています」
にっこにっこ微笑むクララは、多くの人の前だからいつもよりも控えめだった。二人っきりだったら抱き着いてきたかもしれない。
「二人とも揃っているんだな」
声に振り向くと、カルロスお兄様が立っていた。
「まずはラウラ、覚醒おめでとう」
「ありがとう、ございます」
牢獄で、私を見下ろしていた冷たい瞳。それを思い出してしまい、声が上ずる。
私の緊張もお構いなしに、カルロスお兄様は手を差し出してきた。
「麗しいレディたち。よければ次のダンス、どちらか俺と踊ってくれないか?」
手を見つめて後退る。
「ラウラ?」
「あ、私はまだ本調子じゃなくて……。クララ、一緒に行って来たら?」
「いいの? お兄様と踊るのも久しぶりね」
「あ、ああ。それじゃあ行こうか」
カルロスお兄様は何か言いたげな顔をしたものの、クララの手を取り広間の真ん中に向かう。
緊張していたからかほっとため息が口から洩れる。
その時、周囲から「ボタニーア嬢」という囁き声が聞こえてきた。
顔を巡らすと、すこし離れたところで会話をする二人の令嬢がいる。どちらも顔を見たことがあると思えば、狩猟祭前にクララのことを「ニセモノ聖女」と噂し合っていた人たちだ。
「――やはり、嘘だったんですね」
「ええ、自分が聖女だと言い張っていたのに、結局今代の聖女はラウラ嬢で……」
「嘘を吐いて目立ちたいだけなんだって聞いていましたけれど、やはりニセモノで――」
「本当だったようですね。さすが幼い頃からボタニーア家と懇意にしているだけあって、あの人にはお見通しだったらしいです」
今日は特別な日だ。こんな素敵な舞踏会で騒ぎを起こすわけにはいかない。
けれど、狩猟祭前に感じた不安がまだ残っている。私は二人の令嬢に近づいた。
「あの、よろしいかしら?」
「え、あ、聖女様」
「え、ええ。わたくしたちでよろしければ」
二人の令嬢は驚いた顔をしていたものの、すぐに社交スマイルになる。
「先ほどの話なのだけれど、詳しく聞かせてもらえないかしら」
「先ほどの話、ですか?」
「ええ、ニセモノとか、聖女という単語が聞こえてきたから、少し気になってしまって」
青ざめた顔で二人が顔を見合わせる。
こちらから話しかければ、あの時みたいに二人は逃げたりできないだろう。そして私の問いに、無言で返答することもできないはずだ。
聖女になって権力を使ったことは過ぎ去りし未来でもほとんどない。
けれど、ニセモノ聖女の噂を放っておくことは、私にはできなかった。