45.目覚め
早朝。黒竜が現れたと、コーディから伝えられた私の手は震えていた。まるで自分の心の不安や恐怖を見せてくるそれをギュッと握りしめると、私は隣にいるカルロスお兄様に向かい合った。
「私も捜索隊のメンバーに加えてください!」
何を言っているんだ、とカルロスお兄様の目が見開かれる。
「暗黒の森は危険なところなんだ。なんの力もないおまえを連れて行けないよ」
「か、回復の力があります。大きな傷は治せなくても、小さな傷なら」
「それでも駄目だ。森にはブラックドラゴンいるんだから、死にに行くようなものだ」
「でもっ」
「いいからラウラはここで待ってるんだ。――婚約者の身が心配なのはわかるけれど、それで自分の身を危険にさらしてもいいことなんてないからさ」
確かに、私にはなんの力もない。
だけど、それでも心の奥底から湧き上がる震えが、私を突き動かしていた。どうしてもいま行かなければ取り返しがつかなくなると、そんな不安が脳裏をよぎっている。
「自分の身は自分で護ります」
「どうやって? おまえは剣術とか習っていないだろう」
「ご、護身術なら……」
過ぎ去りし未来で、聖女として騎士団に所属することが決まってから、私も自分の身を護るために短剣での護身術を習った。アルベルト様やカルロスお兄様からは俺たちが護るから必要ないだろうと言われたけれど、それでも少しでもみんなの迷惑にならないように。
だけど護身術はどれも対人用で、魔物に通じるかはわからない。過ぎ去りし未来の戦場では、常に騎士の人に護られていて使うこともなかったから。
「いつの間に護身術を? ……いや、でも駄目だ。連れて行くことはできない」
「お願いします、お兄様」
私とカルロスお兄様の言い合う声は徐々に大きくなっていた。周囲にいた人の視線が向いたとき、背後から穏やかな男性の声が間に入ってきた。
「それでしたら、僕の助手として同行を許可していただけませんか?」
「フィル先生」
私の回復魔法士としての師匠、フィル・バーキン先生だ。
「回復魔法士のフィルと申します。ラウラお嬢様の師匠をさせていただいております」
「ラウラの師匠? ……そういえば手紙にそんなことが書いてあったね」
「今回被害の規模がわからないため、捜索隊に一緒について行くことになったのですが、回復魔法士の手が足りていないんです。彼女の力の成長は目覚ましい物がありますので、実技指導も兼ねて同行してもらおうと考えていました」
「……でも、ラウラにはまだ早いと思うけどね」
カルロスお兄様はまだ渋っているようだ。妹を心配する兄として当然のことだろう。過ぎ去りし未来、牢獄の中にいる私を蔑んだ目で見ていたとは思えない、心配そうな震える藍色の瞳から視線を逸らしそうになる。
でもいまここで退くわけにはいかない。
じっと藍色の瞳を見つめていると、カルロスお兄様は大きなため息を吐いた。
「妹がここまで強情な態度をとるのは初めてだよ。言っておくけどこれは遊びじゃないからね。森に入ったらどんな危険があるかもわからない。付け焼刃の護身術如きが役に立つとも思えない。危ないと思ったらすぐに後退するように命令するから、その時は素直に城に戻るんだ」
「わかりました」
「じゃあ俺は、皇太子殿下にこのことを伝えてくるよ」
カルロスお兄様の後ろ姿を見送ると、緊張していた気持ちが解けてため息が漏れる。
「フィル先生。ありがとう」
「いえ、あまりにも必死な姿に力になってあげたくなっただけですよ。もう暫くしたら出発しますから、ラウラ様は動きやすい服装に着替えてきたほうがいいですね」
「ええ、そうするわ」
急いで部屋に戻り、乗馬用の服に着替えて再び広場に出る。
捜索に参加するメンバーは準備万端で、私はアリシアの馬に同乗することになった。
「本来ならお止めしなければいけないでしょう。ですがお嬢様の意思は揺るがなそうですね」
「……アリシア」
「お嬢様は私が護ります。私の傍から離れないでくださいね」
「もちろんよ。ありがとう」
そうして私たちは森の中に入った。
陽の光があるからか魔物の数が少なかったおかげでたいした被害もなく、私たちはコーディの案内で黒竜と対峙したところにやってきた。
そして――。
そして、何があったんだろうか。
確か黒竜の凍りついた死骸を見つけて、その後、多くの兵士たちの死体が――。
それで――。
青い騎士服の男が、木に凭れかかっているのを見つけて――。
それから、私は――。
◇◆◇
はっと目が覚めた。
窓から差し込む陽の光が天蓋を透かして、私のことを照らしている。
ここは、ランデンス城にある自室のベッドの上だ。
体を起こそうとするが重くて動かない。ベッドの脇に吊り下げられている、侍女を呼ぶための紐を引っ張ると、数分もしないうちに侍女がやってきた。彼女と一緒にフィル先生もいる。
「ラウラ様。ご気分はどうですか?」
「……体が、とても重いの」
「そうでしょうね。なんといっても聖女の力を覚醒されたのですから」
「かく、せい……」
そういえばあの時、胸の内側から温かいものを感じて、周囲が光に包まれたかと思うと、意識を失った。
あれは過ぎ去りし未来で感じた、聖女の力を覚醒した時と同じ感覚だった。
この二度目の人生でも、私はとうとう聖女の力を覚醒してしまったんだ。
「っ、フィル先生!」
傍らで椅子に座っているフィル先生の腕を、私は思わず強く引っ張った。
「ゼブル様は!?」
面を食らっていたフィル先生が、落ち着きを取り戻すようにコホンと咳をしてから口を開く。
それと同時に、部屋の扉がノックされる音が響いた。
侍女の案内で中に入ってきたのは、普段と変わらないゼブル様だった。
その灰色の瞳が私を見るとすこし細くなる。
「ゼブル様。体調は、問題ありませんか?」
なんといっても氷魔法の副作用で全身が凍ったように冷たくって、息すらまともにしていなかったのだ。
だからまだどこか悪いところがないか心配して訊ねると、ゼブル様は大きなため息を吐いてから、鋭い灰色の瞳を向けてくる。
「それはこちらの台詞だ。あなたは、もう二日間も眠ったままだったんだぞ」
「二日間?」
「覚醒の副作用らしい」
そういえば過ぎ去りし未来でも、覚醒してから二日間は寝込んでいた。
「問題ありません。ゼブル様が無事なのなら」
「そういう問題では」
「あのー。ラウラお嬢様はまだ本調子ではありませんので、いまは休ませてあげてください」
一歩ベッドに近づこうとしていたゼブル様が、フィル先生の言葉にまた少しため息を吐いた。
「とにかくオレは問題ない。ラウラ嬢のおかげで、五体満足だ」
「それは安心しました」
「だからラウラ嬢もしっかり身体を休めるんだ。……今後の話し合いも必要だろうからな」
今後の話し合い。
二度目の世界。私はとうとう聖女の力を覚醒した。それを多くの人に目撃されている。だからもう聖女の力を隠して生きていくことはできないだろう。
私はこれから、過ぎ去りし未来のように、騎士団に所属して戦場に赴くことになるのだろうか。