43.氷魔法(ゼブル視点)
ルティーナ王国の王族には、氷魔法という王族特有の魔力がある。
五十年ほど前にスカーニャ帝国に嫁いできた、ゼブルの祖母――カヒナもその能力を持ち合わせていたものの、魔力の量は王族の中で最も少なく、粉のような氷しか生みだすことができなかった。
だけどその能力はカヒナの子供からその子供にも受け継がれていくのだが、皮肉にもその能力は代を重ねるごとにより強力となっていった。
スカーニャ帝国の皇族だった祖父と、ルティーナ王国の王族だった祖母を持つゼブルもまた、その能力を受け継いでいる。ゼブルの氷魔法の力は、歴代の王族の中で最も強力なものだった。
◇
身も凍らせかねない冷気。ただの炎ではそう簡単に溶けることのない氷。
実際魔力を調節しないと、身も心も凍りついてしまうだろう。
魔力の消費量も多くて、一日で使える回数は決まっている。
ドラゴンを氷漬けにしていた氷に、ビキビキとひびが入る。
氷が割れる前に、ドラゴンの咆哮が轟いた。
森が震えるが、ゼブルの心は冷静だった。
なんとしてもここで黒竜を倒さなくてはいけない。
黒竜は知性のあるドラゴンが暗黒に染まり変わり果てた姿だ。他のドラゴンが持ち合わせているまともな知性も持ち合わせていない。知性は他の魔物とさほど変わらないだろう。
そして魔物は、人が多いところを襲う習性がある。もしここでゼブルたちが引いたら、ドラゴンは真っ先に森を抜けた先にあるランデンス城に向かうだろう。いくら城が結界で護られているからと言っても、ドラゴンの力に耐えられるとは思えない。
ここで黒竜を倒さなければ、待っているのは阿鼻叫喚となるランデンス城だ。
ふと、脳裏に白に近い桃色の髪の少女が浮かんでくる。
だけどそれは一瞬のことで、冷静な脳裏が冷たく焼けそうになる。
(すぐに終わらせる)
もう使える魔力も残りが少ないので、すぐに倒す必要がある。
黒竜はすでにゼブルを標的に捉えたようだった。
白銀の剣に、魔力をすべて込める。
黒竜の全身が、さらに黒く染まる。
腰の下ほどで剣を構える。
黒竜の口が開いたかと思うと、真っ黒なブレスがゼブルを襲った。
ゼブルは避けなかった。いや、避けられなかった。氷の魔力で全身が凍えていてまともに動けないのだ。
だからただ、魔力を解放する。ブレスはゼブルに当たる直前に、障害物に当たったかのように左右に分かれた。
凍りつきそうな体を動かして、ゼブルは黒竜に近づく。
炎の息吹を吐き出し終えた黒竜の隙を突いて白銀の剣を動かす。
まず黒竜の片翼が飛び、もう片翼も飛んで凍りついた。それから前足が切断されたかと思うと、次は黒竜の首が吹っ飛んだ。
切断面から血が飛び散ることなく、瞬時に凍りついていく。
これは一種の賭けだった。長い間封印されていた黒竜は、まだ本調子ではなかったのだろう。もし黒竜が本気だったらゼブルには倒せなかったかもしれない。
(そろそろ限界だ……)
口からこぼれる冷気で、喉が焼けるように熱い。
氷魔法を解除しても、まだ全身が凍りついたかのように寒かった。頬や腕などの一部に焼けるような痛みを感じる。
不意に視界がぼやける。周囲の状況を確認したくても、そんな余裕はなさそうだ。
(体を、温めなくては。誰か火の魔法を……)
「大公!?」
いまここでゼブルのことを「大公」と呼ぶのはひとりしかいないだろう。
足音が近くで止まる。
「すごいな、ブラックドラゴンを倒したのか。……話に聞いていたが、これが氷魔法というものか……。だが、副作用も強そうだ」
アルベルトは炎魔法を使えると言っていた。だが、はたして彼が素直に力を貸してくれるだろうか。
「体を温めた方がいいんだろ。まだ魔物もいるし、俺が生きて森から出るためには大公の力が必要だからな」
全身が温もりに包まれる。薄っすら目を開けると、ゼブルの周囲にある草だけが燃えている。
「触れるのは嫌だからこれで勘弁してくれよ。大公の嫌いな炎魔法だけどな」
つい先ほど炎魔法と聞いて舌打ちをしてしまったことを根に持っているみたいだ。
何分ぐらいそうしていたのかはわからないけれど、ぼやけていた視界が元に戻り、凍りかけていた体も少しずつ動かせるようになってきた時、仲間たちの声が聞こえてきた。
「団長、大丈夫ですか?」
「ああ、もう体を動かすことができる」
カイルの呼び声に体を起こす。アルベルトの炎魔法が周囲を燃やしてくれているおかげで、もう少しで調子が戻ってきそうだ。
「被害状況はどうだ?」
「多くの魔物がドラゴンの咆哮で逃げていったので、いまのところ死者は出ていません。怪我人は数人いますが」
「馬は戻ってきたか?」
「数頭ですが戻ってきました。ですが森を抜けるのには足りないかと。それにもう深夜を回っています。ドラゴンが倒されたので、逃げた魔物がまた襲ってくる可能性があります」
「今頃、城は騒ぎになっているだろうな」
ゼブルたち騎士団はともかく、皇子が戻っていないのだ。おそらく明日の早朝には捜索隊が派遣されてきてもおかしくないだろう。
「副団長! 魔物が来ます!」
「では私は行ってきますね。団長も調子が戻ったら来てくださいよ」
「ああ」
団員に呼ばれてカイルが向かって行く。
体内はまだ冷えたままで、十月にしては凍るような寒さを感じる。凍傷で体のあちこちが痛み、喋るたびに喉も引き攣るように痛む。
「そろそろ俺の魔力も限界だ。魔法を解くぞ」
「ああ、問題ない」
周囲を囲んでいた炎が消える。アルベルトの顔色もどこか悪かった。
「まだ、戦えるのか?」
「俺を誰だと思ってるんだ? 皇室騎士第二騎士団の副団長で、皇子だぞ」
「それだけ威勢が良ければ大丈夫そうだな」
もう氷魔法が使えないが、まだ剣がある。仲間たちもいる。
「朝までどうにか持ちこたえるぞ」
魔物は夜になると活動が活発になるが、朝日が昇るとそれも少しは落ち着くだろう。
それに早朝になれば捜索隊が森の中を探しにくる。どうにかなるはずだ。
◇
――早朝、朝日が上った時。
ゼブルたちを襲ってきた魔物のほとんどは倒すことができたが、団員のほとんどは魔力を使い果たし、立ち上がれないほど体力を使い果たしている者もいた。
死者が出ることなく、怪我人も数人で済んでいてホッとしていたのも束の間。
まるでそれを見計らっていたかのように、ゼブルの頬を弓矢が掠めて行った。
隣国の兵士による襲撃だ。
それにより、ゼブルはまた氷魔法を使うことを余儀なくされてしまった。
次回からラウラ視点に戻ります。