42.黒竜(ゼブル視点)
森を震わす咆哮と共に現れたのは、暗闇を思わせる漆黒の鱗に、鋭い爪と強靭な肉体を持った、空の支配者――黒竜だった。
しかも成体。たくさんの魔物との死闘を潜り抜けてきているはずの【青蘭騎士団】の団員ですらたじろぐほど、そこにいるだけでも強烈な気配を放っている。
その黒竜をどこかからか連れてきたアルベルトは、ゼブルら【青蘭騎士団】の姿を見つけると、恐怖に歪んでいた顔を輝かせた。
「大公! 助けてくれ!」
アルベルトが一直線にこちらに向かってくるので、ゼブルは顔を歪める。
「団員、避けろ!」
迎撃態勢すらままならず、そう号令するのが精いっぱいだった。
ゼブルの号令に、団員が散り散りになる。ゼブルも黒竜から距離をとるべく馬の腹を蹴って、回れ右をした。
黒竜は真っ直ぐアルベルトに向かっている。そしてその直線状にはやはりゼブルがいるようで、思わず舌打ちをしてしまう。
「……足止めができれば」
もう空は真っ暗だ。魔物が活発となる時間。
手綱を引いて馬を止めると、ゼブルは馬から降りた。
アルベルトとの距離が近づいている。そしてその後ろには黒竜の姿が。
息を吸って、ゆっくりと吐く。
白銀の剣を抜くと、それを構える。魔力をじっくり注いていく。
(足止めぐらいにはなるだろう)
剣を大きく振り上げた。
「避けろ!」
「ッ! 何をする気だ!? くそっ」
アルベルトは悪態を吐きながらも、横の茂みに馬の軌道を変えた。
それでちょうど、直線状にゼブルと黒竜が残される。
(最小限の被害とかを考えている場合じゃないな)
黒竜の底のしれない黒い双眸と視線が交わる。
ゼブルは、魔力を込めた剣を振り下ろした。
白銀の剣の先からひんやりとした霧状のモノが出てきたかと思うと、それが黒竜に当たり、瞬時に凍りつく。
氷は黒竜に纏わりつくと、その全身が凍りついていく。
すっかり全身氷漬けになった黒竜は動きを止めている。
だがゼブルは、まだ強烈な気配を感じ取っていた。
これは足止め程度にしかならないだろう。もし先に黒竜が攻撃してきていれば、ゼブルの命はもうなかったかもしれない。
「や、やったのか?」
まだ危機が去っていないことに気づいていないアルベルトが近づいてくる。
「いや、まだブラックドラゴンは生きている。……殿下、理由を聞かせてくれないか?」
「あ、ああ」
ゼブルの迫力に押されたのか、アルベルトはつらつらと話し始めた。
「もう城に戻ろうとしたとき、大きな足跡を見つけたんだ。大きな獲物がいると思って追っていたら部下たちと逸れてしまってな。それで気づいたら森の奥にいた」
ひとりで魔物を足跡を辿るのは危険だと思ったアルベルトは、城に戻ろうとしたそうだ。その時、森の奥から咆哮が聞こえてきた。
「全身が震えた。これは大物がいると思ったが、俺ひとりだけじゃ太刀打ちできるとは思えないから引き返そうとしたんだ。そうしたら」
森の奥から数匹の魔物が走ってきたそうだ。魔物はアルベルトの姿には目もくれずに逃げ去って行く。その様子に不穏を感じたアルベルトは踵を返した。だが逃げようとした時、背後に気配を感じて振り向くと――。
「アイツが、ブラックドラゴンがいたんだ。それから必死で、必死に逃げて、ここに来た」
「……そうか」
暗黒の森の奥の洞窟に封印されているはずの黒竜がなぜ現れたのかはわからない。
黒竜はそこにいるだけでも他の魔物に影響を与える。黒竜の持っている暗黒の力が、他の魔物を活性化させるのだ。加えていまは夜。
「団長!」
カイルと数人の騎士が近づいてくる。
「カイル。結界で黒竜の足止めをできないか?」
「私の結界ではたかが知れていると思いますが、一度やってみますね」
「それからコーディ」
「はい!」
「城に戻って報告してくれ」
「了解しました!」
馬に乗って去って行くコーディーの姿を見て、アルベルトが不安そうな顔になる。
「お、俺はどうしたらいいんだ?」
「……殿下は、戦えるのか?」
「ああ、これでも皇室第二騎士団の副団長だからな。実力はある。得意なのは炎魔法だ」
「……チッ、よりによって炎か」
「し、舌打ちをしたのか……?」
「していない」
森で炎魔法はあまり役に立たない。特に暗黒の森みたいに木々が密集している場合は、森に飛び火する恐れがある。
皇族のほとんどが炎魔法の使い手で、その威力は高いと聞いている。騎士としての訓練を受けているアルベルトならそれなりに対処法はあると思うが、普段一緒に戦っている団員たちと違い、いま手を取り合って黒竜と戦うのにはリスクしかない。
「なあ、俺もさっきのコーディと一緒に城に戻ったほうが良かったんじゃないのか?」
「死にたいのか?」
「は?」
「夜の森は危険だ。うちの団員はこの森に慣れている。だから一人で戻るだけなら問題はないだろう。だが殿下を守りながらとなると話は別だ。コーディの力では、殿下を守りながら魔物と戦うことはできない。おそらく二人とも死ぬだろうな」
アルベルトの顔が青くなる。ことの重大さがわかったようだ。
「団長!」
血相を変えたカイルが戻ってくる。他の団員も周囲を見渡している。
「黒竜の氷がすぐにでも溶けそうです。それと、魔物の大群が」
「……」
ゼブルは剣の柄を握りしめた。
心を決めるしかないだろう。
「カイル。おまえが指揮をして、魔物と戦ってくれ」
「団長はどうされるのですか?」
「オレは黒竜を討つ」
「おひとりで大丈夫なんですか?」
「いや、魔力を使う。だから一人の方が楽だ」
「……わかりました。健闘をお祈りします」
ゼブルの意思を汲み取ったカイルが離れて行く。団員の多くが馬から降りて、剣を握っていた。
「俺はどうしたらいいんだ?」
「殿下、魔物とは戦えるよな?」
「もちろんだ」
「それならカイルの指示に従ってくれ」
「承知した」
皇族として人の命令に従うのが苦手な性格をしているかと思ったが、アルベルトは思ったよりも柔軟な思考をしているようだ。
鞘に結ばれている青いリボンに軽く触れる。
『ご無事で』
ラウラの言葉を思い出し、心を落ち着かせる。
大きく息を吸うと、ゼブルは剣を構えた。口から漏れる息は、凍えるほど冷たかった。