39.約束
カルロスお兄様が帰ってきて、アルベルト様と逸れたという話をした後、広場は騒然としていた。
皇室騎士団に所属しているカルロスお兄様は、アルベルト様の側近でもある。たしかいまの時期、アルベルト様は第二騎士団の副団長で、カルロスお兄様は補佐についていたと思う。
今回の狩猟祭でもアルベルト様の護衛とともに二人は一緒にいたはずだ。
カルロスお兄様はまだレオナルト様に頭を下げている。レオナルト様の表情は弟の安否がわからないのにも関わらず、特に変わらなかった。
「どうして逸れたんだ?」
「それが、そろそろ城に戻ろうとした時になって、地面に大きな足跡を見つけたのです」
大きな獲物がいるから狩るぞ、とアルベルト様はカルロスお兄様たちに命令して馬で走り出したそうだ。
「もう、すぐ夜になるからと止めたのですが、聞き入れてもらえず。殿下を追いかけている途中で魔物に遭遇してしまい、そこで見失ってしまいました。もちろんすぐに馬の蹄の痕跡を辿って捜したのですが、その後も魔物と遭ったりしているうちに私が怪我を負ってしまい、空も暗くなってきたので、もしかしたら帰っている可能性もあると思い戻ってきたのですが」
「――そうか。あいつはどこに向かったのだ?」
「森の奥、だと思います」
「わかった。もう空も暗い。いまから捜索するのは困難だろう。カルロス卿は怪我の治療をしてくるんだ」
カルロスお兄様はレオナルト様にもう一度頭を下げると、城の中に入って行った。
その後、森から戻ってきた騎士たちと、城に残っていた【青蘭騎士団】の騎士たちとで話し合いが行われた。
もう空はすっかり暗くなっていて、いまから森の中を捜索しに行くのには危険が伴うだろう。特にアルベルト様と、ゼブル様たちが帰ってきていないので、なにかが起こっている可能性もある。だから捜索は明日の早朝から行うことになった。
◇◆◇
その日の夜。
私は自室の椅子に座っていた。ランプの明かりが揺れるだけで暗い部屋の中、私はどうしても眠りにつくことはできなかった。
ゼブル様はとても強い方だ。それに彼が死ぬのは二年後の戦争でのこと。だから彼が死の危険に晒されているとは考えられない。他の騎士団のメンバーも同じだ。
それでも不安に思うのは、私の知っている未来と変わっていることが多すぎるからだ。
私は聖女の力を覚醒していないし、アルベルト様と婚約もしていない。狩猟祭が北部で催されたこともない。
過ぎ去りし未来との相違点が多すぎることが、私を不安にさせていた。
「散歩しようかしら」
アリシアは明日捜索隊に入ることが決まっていて、今日は夜遅くまで作戦会議があると言っていた。アリシアは私の護衛があるからと断ろうとしていたが、私が後押しをしたのだ。彼女も内心は行きたがっていたのか、最後には頷いてくれた。
いまの私に護衛はいない。それでも城の中を歩くぐらい、大丈夫よね。
温かい羽織を纏い、明かりが灯ったランプを持った私は、廊下を歩いていた。もう夜もすっかり更けていて、廊下には誰もいなかった。使用人たちもこの時間はさすがに休んでいるのだろう。
少しでも新鮮な空気が吸いたくて、私は中庭に向かっていた。
「――誰だ」
鋭い声に、私は足を止める。顔を上げると前方に人影があった。近づいてきた影が、私の目の前で止まった。
太陽のように明るい燈色が月の光が輝いている。こんなに綺麗な金髪の持ち主は、いま城の中には一人しかいない。
私は慌てて頭を下げる。私に気づいたのか、息を飲むような音がした。
「……ラウラ嬢か。こんな夜に、なにをしているのだ?」
「眠れないので、すこし散歩をしていました。……殿下」
「そうか。そういえば婚約者が帰ってきていないのだな」
夜の静寂の中だからか、沈黙で余計に息が詰まる。
「――なあ、ラウラ嬢」
「なんでしょう、殿下」
「……幼い頃にした約束を、憶えているか?」
「約束、ですか?」
頭を下げたままなので、レオナルト様がどんな顔をしているのかがわからない。いつもみたいに無表情なのか、それとも過ぎ去りし未来でいつも見せてきた気持ちを押し殺すような冷たい表情なのか――。
「やはり、憶えていないんだな。……もう、頭を上げてもいいぞ」
恐るおそる顔を上げると、レオナルト様はいつもと変わらない顔をしていた。
「呼び止めて悪かったな。夜も遅いから休んだ方がいい。私はもう行く」
レオナルト様の赤い瞳はもう私を見ていなかった。
私を避けるようにレオナルト様は歩いて行く。横を通り過ぎる時、小声で呟く声が耳に届いた。
「――そなたは……君は、なぜ私を選んではくれなかったのだ……?」
選んでくれなかった?
その言葉になにかが脳裏をチラついた。だけどそれはあまりにも遠い記憶過ぎて、よく思い出せない。
私はレオナルト様と、いったいなにを約束したんだろうか。
――その日の夜。
中庭に向かうことなく、レオナルト様の忠告通り部屋に戻ってなんとか眠りについた私は、とても懐かしい夢を見た。
父と母に連れられて訪れた皇宮。その中庭で、太陽を透かしたような金髪の少年と一緒に遊んだ記憶――。
それは確か五歳の頃。聖女の仕事に赴く母から離れたくなくて駄々をこねた私を見かねた父親に、一緒に皇宮に連れてきてもらった。大人たちが話し合っている間、皇宮の付き添い人と一緒に中庭で遊ぶことになった。そこに、勉強を抜け出した金髪の少年がやってきて――。
そしてすっかり仲良くなった後だったか、別の日だったかもしれないけれど。私は確かに彼と約束をした。
いまとは違い人懐っこい笑顔を浮かべていた少し年上の金髪の少年。彼はルビーのように輝く赤い瞳をきらめかせて、小指を差し出して言ったんだ。
「大きくなったら、君が僕を選んでくれ」
どうしてそういう話になったのかはわからない。
それは過ぎ去りし未来の記憶を含めても、ずいぶんと遠い記憶。
幼い頃の、子供の口約束でしかなかったもの。
何回か金髪の少年と遊んだ記憶はあるけれど、そのうち金髪の少年は中庭に現れる回数も少なくなり、私もほとんど領地で過ごすようになり――。
すっかり、忘れてしまっていたのだ。