38.戻らぬ者
いま思えば、初対面の時のロザリーが私に突っかかってきたのは、帝都の貴族と北部の貴族の間に見えない摩擦があったからなのだろう。
私はいままで、北部の貴族は閉鎖的だと思っていた。帝都の社交界にはあまり顔を出すことなく、過ぎ去りし未来の私もあまり社交会に顔を出していなかったから、北部の貴族のことはあまり知らない。北部は帝都の政治に関わることも少なく、閉鎖的なところなのだろうと、そう思っていた。
でも、それは違ったのかもしれない。先ほどのリーズの様子を見ると、偏見を持っているのは帝都の貴族なのだろう。
リーズの騒動の後、広場ではすっかり北部と帝都周辺の派閥に分かれてしまっていた。
互いに距離を空けて、お互いチラチラと視線を向け合いながら、ボソボソと小声で喋る。
最初は和気あいあいとしていたのに、すっかり空気が冷めてしまっている。
空には夕闇が混じり合っている。
頑丈な城門はまだびくともしていないけれど、早いとそろそろ帰ってくる参加者もいそうだ。
「ゼブル様、大丈夫かしら」
「団長やほかのみんなは、ここにいる貴族の誰よりも森に詳しいんです。すぐに戻ってくるでしょう」
私を安心させるアリシアの言葉に頷きながらも、私の心の中には言いようのない不安があった。なんだか不吉な予感がする。
そうこうしていると、城門が音を立てて上がって行く。参加者が帰ってきたのだ。
帰ってきたのは、皇太子殿下率いる数人の騎士と、数人の北部の貴族たちだけだった。それぞれ小さな獲物を抱えている。
「少し、早かったか……?」
「レオナルト様!」
馬から降りたレオナルト様に、真っ先に近づいたのはクララだ。
「ご無事ですか?」
「大事ない。だが、すこし獲物が小さすぎたようだ。明日はもっと頑張らねば」
「レオナルト様なら、絶対優勝できます!」
ふたりの会話を眺めていると、ふとレオナルト様の赤い瞳と目が合った。すぐに逸らされてしまったが、レオナルト様は珍しく口元に笑みを浮かべている。その笑顔が向けられる先は、婚約者であるクララだった。
普段表情を変えることのないレオナルト様だけれど、過ぎ去りし未来でも婚約者であるクララに向けては良く笑顔を浮かべていた。
「そなたからいただいた黄色のリボンがあるからな。今年の狩猟祭は、優勝できそうだ」
端正な顔に浮かべられた笑みに、クララは口元に手を当てて顔を赤らめている。
幸せそうなクララの様子を見て安心していると、近くに居た令嬢二人が会話する声が耳に届いた。人の会話を盗み聞きするのは良くないことだけれど、聞こえてきた単語に思わず耳を傾ける。
「クララ様が聖女なのですか?」
「ええ、――が言っていましたもの。でも、聖女の力を使っているところを見たことがないみたいですわ。だからニセモノなんじゃないかって」
「皇太子殿下はそれをご存知なのでしょうか。婚約した相手が嘘をついているかもなんて」
「でもボタニーア家の長女はもう十六歳でしょう? そうなると、クララ様が聖女の可能性も――」
クララがニセモノの聖女?
確かにボタニーア家の血筋で年頃の少女は少ない。聖女の力を覚醒するのは十代の中頃までと云われているので、クララが今代の聖女だと思われているのもおかしくはない。
でも、どうしてニセモノ、なんだろうか。
クララが覚醒していたら、先日届いた手紙や、再会した時に話してきてもおかしくはないはず。カルロスお兄様なら自慢げに話しそうだ。
だけどそんな素振りは一切なかった。クララが聖女の力に覚醒しているとは思えない。
「自分で言っていたらしいですわ。私が聖女なんだって」
「それを、――様が聞いたらしいです」
名前がよく聞き取れなくって近くによると、私に気づいた二人の令嬢がハッとしたように顔を見合わせた。そのままそそくさと去って行ったので聞きそびれてしまった。
クララはまだレオナルト様と楽しそうに会話している。幸せそうな彼女に水を差すのも悪いし、後でカルロスお兄様に訊いてみようかしら。
◇
狩猟祭の参加者は約百人。その内の半分が戻ってきた時にはもう空はすっかり暗くなっていた。初めての北部で早めに切り上げた帝都などの参加者はほとんど戻ってきていたけれど、その中にゼブル様や【青蘭騎士団】のメンバーはいなかった。アルベルト様の姿もない。
北部の十月の空は、夕闇が立ち込めればすぐに暗くなる。
レオナルト様が戻ってきてから一時間は経過している。まだ夕食には早い時間だけれど、それにしては戻ってくる参加者の数が少ない。夜の森は危険だというのに。
「ゼブル様、大丈夫かしら」
二度目となる呟きが思わず口から漏れ出る。
アリシアが口を開く前に、城門が開く音が響いた。
慌てて視線を向けるが、戻ってきたのは【青蘭騎士団】のメンバーではなかった。
カルロスお兄様と数人の騎士たちだ。一緒にいたはずのアルベルト様の姿はなく、騎士たちの顔色は悪そうだ。カルロスお兄様の右腕から鮮血が滴り落ちている。
「――ッ、おにい」
「お兄様! 大丈夫ですか!」
私が呼びかけるよりも早く、クララが叫んだ。馬から降りたカルロスお兄様は、他の騎士と同じで青い顔をしている。
「傷を見せてください」
「いや、いまはいい。それよりも――皇太子殿下」
クララの手を制してレオナルト様に近づくと、カルロスお兄様は頭を下げた。
「申し訳ありません。森の中で、第二皇子殿下と逸れてしまいました」
その後、日を跨いでも、ゼブル様や騎士団のメンバーが戻ってくることはなかった。アルベルト様もだ。戻ってこなかったのは参加者の四分の一程だった。