37.兄の婚約者
ランデンス城と城門の間には広場がある。普段は木や雑草が生えているだけの何もない殺風景なところだけれど、今日はその一部にお茶会ができるように机や椅子が用意されていた。狩猟祭の参加者の帰りを待つために、令嬢や婦人のために用意されているのだ。自室などで待つこともできるが、帰ってきた主人や婚約者、家族などをすぐにお迎えできるようになっている。
狩猟祭の間、このお茶会が女性にとっての社交場になる。人脈を広げたり、友人との親交を深めたりするために重要な場。
「お姉様!」
机やテーブルが設置されているスペースに向かうと、すぐさま私に気づいたクララに呼びかけられた。クララはひとりではないみたいで、彼女の隣にはローズピンクの華やかな髪色の女性がいた。ドレスも少し派手目だ。
リーズ・ルクリエ。ルクリエ伯爵家の令嬢であり、カルロスお兄様の婚約者だ。
「ラウラ、久しぶりね」
「リーズお姉様も久しぶり」
ルクリエ家はボタニーア家の縁戚でもあり、物心つく前から交流があった。年に一回はボタニーア領の邸宅に泊まりにきていたので、リーズとも会ったことがある。リーズはことあるごとに「お姉ちゃんって呼んで」と口にしていたので、気づいたら姉と呼ぶ癖がついていた。
「まさかこうして会えるとは思わなかったわ。ねえ、あっちで話しましょう?」
「友人とお茶をする約束をしているので、友人たちも一緒でよかったら」
「友人?」
「北部でできた友人たちよ。狩猟祭の間は一緒に過ごす約束をしていたの」
北部という言葉に、リーズの眉がピクリと動いた気がした。
「そう。いいわよ、それでも」
カルロスお兄様に先に伝えていたのに、リーズには伝わっていなかったようね。
扇で口を隠しているからよく見えないけれど、リーズは少し不機嫌そうに見える。クララほどでないけれど、リーズも表情がわかりやすい。だからか社交の場では常に扇で口許を隠していた。
「あ、お姉様。あたしはあちらのテーブルに行ってますね」
「なんで? 私たちと一緒は嫌なの?」
クララが別のテーブルを指さしてそういうと、なぜかそれにリーズが不愉快な声を上げた。それにクララの体がビクッとなる。
「でも、約束があるもの」
「ふーん、そう。なら仕方ないわね」
扇で口許を隠しているから表情はわからないけれど、声音から不機嫌さを感じる。いくら幼少期から付き合いがあるからといっても、公爵令嬢であるクララの方が立場的に上のはずなのに……。
どうして、リーズが仕切っているんだろう?
不思議に思いながらも、その時の私はそんなことしか考えていなかった。
◇◆◇
「ルクリエ伯爵家のリーズよ。よろしくね」
「ええ、よろしくお願いします。エルミラ・カトレイヤと申します」
カルロスお兄様からお話を聞いたときに先に手紙を出していたおかげで、リーズの紹介はスムーズに終わった。エルミラはリーズのことを、淡々とした様子だが快く受け入れてくれた。エリックの妹のロザリーはリーズの挨拶に眉を顰めていたけれど。
私の向かいにエルミラがいて、私の右側にリーズ、私の左側にロザリーの席順で座っている。
そのままお茶をしながらも他愛無い会話が続いていたのだけれど、空気が怪しくなったのはリーズの一言だった。
「カトレイヤって、侯爵家でしょ? 確かもともと隣国と交易があったけれど、戦争の所為で大損をしたっていう」
エルミラの淡々とした表情からはわからないけれど、カップを口に付けようとしたまま固まっている。
五十年前に隣国との戦争が勃発する前まで、スカーニャ帝国とルティーナ王国は隣国ということもあり親交があった。とくに北部は帝都よりもルティーナ王国の方が近かったから交易が盛んに行われていて、その中心となっていたのがカトレイヤ侯爵家だった。
だがスカーニャ帝国がルティーナ王国を裏切ったことにより起こった戦争により、カトレイヤが最大の収入源を失うことになる。だけどそれも数年の間だけで、前に訪れたカトレイヤの街はとても活気があった。そもそもカトレイヤ侯爵家は交易だけで成り立っていた家柄ではないので、そのあと持ち直すことができたのだろう。
だけどこの話題はカトレイヤにとってはあまり話したくないものだ。エルミラの表情はいつもよりも固かった。
「リーズ、言葉が過ぎるわよ」
「ちょっと気になったから聞いただけよ。だってカトレイヤって、大公が来る前は北部一の貴族だったのに、いまは見る影もないようだから」
「どういう意味?」
「だって彼女のドレスって、帝都の流行りから外れているもの。それに昨日、偶然聞いてしまったのよね。たしかカトレイヤ家の長男って――」
言い終わるよりも早く、ロザリーがカップの中身をリーズに浴びせた。
リーズはなにが起きたのかわからずに固まっている。ローズピンクの髪の先から滴った紅茶が、地面に染みを作る。
「あなた、失礼すぎるわよ。北部の貴族を馬鹿にするのもいい加減にして」
ロザリーの言葉に、我に返ったリーズが反論する。
「はあ? やっぱり野蛮なのね、北部の貴族って。戦争ばかりしているからだわ。今日初めて大公と会ったけれど、全身血まみれでとても悍ましかったし、北部の人間はみんなそんなのかしら」
「戦争が誰のせいで――ッ」
「ロザリー」
エルミラの静かな声。彼女は表情を変えることなく瞬きをすると、ロザリーを窘めた後、リーズに目もくれることなく言った。
「ルクリエ嬢。そのままでは風邪をひいてしまうかもしれません。まずはお部屋にお戻りください」
「どうして、あなたにそんなこと」
「リーズ、あなたが悪いわ。それに、カルロスお兄様がその姿を見たらびっくりしてしまうもの。着替えてきたほうがいいわ」
リーズはまだなにか言いたげだったものの、渋々と頷くと城の中に戻って行った。
「ごめんなさい。リーズの代わりに謝るわ」
「ラウラ嬢、もうあの人を連れてこないで」
ロザリーの言葉に、私は深く頷いた。