33.狩猟祭前日
もう狩猟祭前日だからか、ランデンス城はさらに喧騒に包まれている。今日は皇族を迎える日だからなおのことだろう。
私は日課となっている回復魔法の勉強を終えると、客間に足を運んでいた。
扉の前にいたボタニーア家の護衛騎士が私の姿を見つけると、扉の向こうに声を掛ける。
「お姉様!」
クララが部屋から勢いよく飛び出してきた。昨日の馬車のことといい、まだ十四歳だからか落ち着きがないようだ。そういうところも愛らしいのだけれど。
「昨日は慌ただしくてほとんど話せなかったから、いまから時間あるかしら?」
「もちろんです! どうぞ、お入りください。――あなた、お茶を用意して!」
部屋の中に入り、案内された椅子に腰かける。向かいに座ったクララが、侍女に「お菓子も用意して」と伝えている。その侍女に見覚えがあった。ボタニーア家に仕えている侍女だ。家から連れてきたのだろう。
「なにから話しますか? お姉様のお話が聞きたいです!」
「私はクララの話を聞きたいのだけれど」
「いいえ、まずはお姉様のお話を聞かせてください。実はいろいろ気になっているんですよ。ランデンス大公とどうして婚約したのかとか、ここでどんなふうに過ごしているのか、とか」
目をキラキラとさせて食い気味に訊ねてくるクララに、私は苦笑すると話し始める。
「そうね。じゃあ、まずは……。ゼブル様――大公様と婚約をしたのは――」
◇
「――て、話し過ぎてしまったみたいね。そろそろクララの話が聞きたいのだけれど……」
私の話を聞いている間、クララはとても楽しそうにころころよく笑っていた。
特にゼブル様との出会いでは驚いたような顔をしていたかと思うと、うっとりとした表情になっていた。もしこの話がゼブル様と示し合わせた嘘だと知ったら、クララは幻滅するだろうか?
この三カ月の間に有ったことは、一部を除いて話すことはできただろう。だから次はクララの話でも聞こうか、そう思ったのだけれど、客間にきてから結構な時間が経っていたみたいだ。
「お嬢様。そろそろお支度のお時間です」
傍に控えていたボタニーア家の侍女が、目を伏せながらクララに伝える。
「あら、もうそんな時間なの? ……お姉様、ごめんなさい。もっとお話ししたかったのだけど、そろそろ晩餐会の用意をしないといけなくって」
今夜は皇族が来るということもあり、一部の貴族を招いて晩餐会を催す予定があった。
「そうね。私もそろそろ行かないといけないわ。名残惜しいけれど、狩猟祭の間、お話しできたらしましょうね」
「もちろんです!」
笑顔のクララを目にすると、頭の片隅でちらついていた杞憂が和らいでいく。
過ぎ去りし未来で彼女の笑顔が陰りはじめたのはいつのことだっただろうか?
笑顔で私の話を聞く彼女からは、まだ想像もできなかった。
「では、また今夜、晩餐会で」
今夜の晩餐会は一部の高位貴族と皇族だけが参加するのだけれど、皇太子の婚約者としてクララも参加することになっている。私もランデンス大公の婚約者として参加する。
「あ、そういえばお姉様、大公様はどうされているのですか? 昨日ランデンス城に着いてから、一度もお見かけしていないと思うのですが」
「いま少し城を空けているの。狩猟祭までには戻ってくると言っていたわ」
「ということは晩餐会には参加されないのですね」
安堵したようにため息を吐くクララは、私の視線に気づくと慌てたように口を手で押さえる。
「すみません。血も涙もない怖ろしい方だと聞いていたので」
「確かに感情をあまり表に出さない方だけれど、血も涙もないは言い過ぎよ。さっきも話したけれど、ゼブル様は私にとても丁寧に接してくれるわ」
敵に対しては冷たい方だけれど、これは話さなくてもいいわよね。
「そうなんですね! お会いするのが楽しみです」
苦笑する私に、クララもつられて笑顔になる。
晩餐会に対する憂鬱が、少し和らいだ気がした。
◇◆◇
「お嬢様。団長の帰還は、明日になるそうですよ」
晩餐会前、部屋を訪ねてきたカイルはそういうと、困ったように笑っていた。
伝令が言うには、ゼブル様は「明日には必ず帰る。必ずだ」と仰っていたようだ。
必ず。ゼブル様がそういうのなら、きっと必ず戻ってくるのだろう。
でも、その前に晩餐会が始まる。
ランデンス城の主であるゼブル様のいない席で、貴族たちがどう動くのかがわからない。ジョンは執事長として近くに控えてくれるそうだけれど、騎士である前に男爵令嬢であるアリシアは参加できないし、カイルも参加できないそうだ。
ボタニーア公爵の代わりにカルロスが、皇太子の婚約者としてクララが参加するけれど、私的な場ではないので和気あいあいと話すこともできないだろう。
きっと今回の晩餐会では、ボタニーアの令嬢としてだけではなく、ランデンス大公の婚約者として注目を浴びるかもしれない。
それに何よりも――。
アルベルト様がいる。
皇宮舞踏会で会って以来、顔を合わせる機会がなかったから、彼がどう動くのか想像もできない。
いまの私は、ランデンス大公の婚約者だ。
そんな私にアルベルト様がちょっかいを掛けてくるとは思えないけれど、それでも用心をするに越したことはないだろう。