31.不安
狩猟祭はいままで帝都やその周辺の比較的穏やかな森で行われてきた。
だけど今年の狩猟祭は、ランデンスの森――暗黒の森で行われることが決まったみたいだ。
その話を聞いたとき、私は「えっ」と令嬢らしからぬ声を上げてしまった。
過ぎ去りし未来では確か例年と同じように、帝都の近くの森で行われたはずだ。
それなのにどうして、よりによって暗黒の森で?
そう思ってゼブル様に訊いたけれど、彼も知らないようだった。
暗黒の森は、ランデンスよりさらに森を深く、北に行ったところにある。そこには昼間も明かりが差さない程暗い森が続いていて、野生の動物は少なく、魔物の住処のところだった。因みにルティーナ王国はランデンスの北東にあり、暗黒の森とは接していないけれど、間に別の森があるためたまに暗黒の森の魔物が侵入してくることがある。
「ランデンスの森で狩猟祭を開催するなんて、正気じゃない」
その話をした時、ゼブル様はそう呟いていた。
抗議の書簡は送ったけれど、勅令は覆すことができなかったみたい。
だからランデンス大公率いる【青蘭騎士団】は、暗黒の森の魔物の討伐の任務に向かっていた。暗黒の森の比較的浅く魔物の少ないところで狩猟祭は開催されるけれど、森の奥から来る魔物を少なくするためと、魔物が侵入できない結界を張るのが目的だった。狩猟祭での事故を防ぐために。
狩猟祭がなくても定期的に魔物の討伐の任務をしているらしいけれど、なんでこんなときに、とゼブル様やほかの騎士団のもメンバーも不満そうだった。
◇◆◇
ゼブル様のお出迎えのあとは、回復魔法の勉強の時間だった。
回復魔法士であり、私の師匠であるフィル・バーキン先生は、優しく気さくな方だ。
魔力が少なく、普通の傷を治すのに時間がかかる私に親身になって接してくれる。父と同じぐらいの歳だからか、つい彼に父親を重ねてしまうのは内緒だけれど。
「うん。前よりも成長していますね」
「ありがとうございます」
「魔力検査もしましたが、最初の頃に比べてずいぶん増えたと思いますよ。これでしたらちょっとした風邪や捻挫を治すことは可能でしょう」
それでも一度にたくさんの人の病気や傷を治すのはまだ無理だ。
でも、いつまでも聖女だった頃のことを考えていても仕方がない。
「それにしても、最初に大公閣下から話を聞いたときは驚きましたよ。あの――ボタニーア公爵家のご令嬢に、回復魔法を教えてほしいって」
回復魔法を教えてもらったばかりの頃、緊張していたのは私だけではなかった。
フィル先生もボタニーア家の私に対して気おくれをしていたみたいで、最初の頃はギスギスしていて、とてもまともに授業を受けられる状況ではなかった。
それでも少しずつ会話を重ねていくことにより打ち解けることができて、いまでは気さくに雑談ができるようになっている。
「僕なんて子爵家でしたから、余計に緊張していました。でも、ラウラ様の目がとても真剣でね、力になってあげたいって思ったんですよ。正直、これだけの魔力量で回復魔法を使うのは難しいと思っていましたが、ラウラ様はボタニーア家のご令嬢だけあって、回復魔法について随分と詳しいみたいでしたから」
「む、昔から本を読むのが好きで、回復魔法に憧れがあったのよ」
自分はいちど二十二歳まで生きていて、もともと聖女だったなんて言えない。
聖女の力は一瞬で傷や病気を治せることがほとんどだったけれど、実際の回復魔法は時間がかかることがほとんどだ。
聖女だった時は前線でアルベルト様たち皇室騎士団と一緒にいて、都度傷を治していた。だけど実際は後衛で、運ばれてきた怪我人を治すのが回復魔法士の役目。
「さすが聖女の家系ですね。ところで、ラウラ様は本当に聖女ではないのですか?」
「……はい。私はもう十六歳ですし、覚醒の兆候はなく」
「そうですか。少し残念ですね。こうして勉強にも熱心な方なので、聖女になられたら、多くの方を救ってくれそうです」
目を細めるようにして呟くフィル先生が回復魔法士になったのはその素質もあるけれど、昔に彼の領地で疫病が流行ったことがあったからだそうだ。
思いが虚しく亡くなってしまった人々を救いたい。そんな力があればいいと、常に思っていたのだとか。
それは私も同じだ。
だけど、いまはせめて、目の前にいる人を、一人でも多く救いたい。そう思っている。
◇◆◇
「すまない。呼び出しだ」
一カ月ぶりのゼブル様との夕食の席は、あっという間に終わった。
ゼブル様は食後のお茶を楽しむ暇もなく、執事長に呼ばれて行ってしまったのだ。
また、リボンが渡せなかった。
夕食の席でならすぐすむかとも思ったのに。
「でも、まだ狩猟祭まで十日はあるんだもの。渡せるわ」
そう思っていたのに、その後もことあるごとにタイミングが悪く、渡せない日々が続いていた。
狩猟祭の準備で城中が騒がしく、【青蘭騎士団】のメンバーが帰還してからもうすでに三日が経っている。
狩猟祭に参加する貴族たちが、ランデンスに到着しつつあった。
狩猟祭には貴族だけでなく、もちろん皇族も参加することになっている。
皇帝陛下と皇后陛下以外の皇族――皇太子殿下と、第二皇子殿下が参加するそうだ。
つまり、もう会うことのないと思っていたアルベルト様がランデンスにやってくる。
もう婚約している身だから、彼が手を出してくることはないと思うけれど。
それでも、不安は残っていた。