30.帰還
第三章開幕です。
ランデンス城で暮らす人々や、森の動物が寝静まった頃。
私はランプの明かりの元で、完成したばかりのあるモノを掲げていた。
月明かりに透かして見ると、刺繍をした銀色の柄が輝いて見える。
「やっと、完成したわ」
ここ一カ月は毎日が慌ただしくて、夜しか時間が取れなかった。だからかよけいに達成感がある。
刺繍をするのは過ぎ去りし未来を含めると何年ぶりだろうか。聖女になる前に領地にいた時は毎日暇さえあれば刺繍をしていたので、久しぶりだったけれど腕が鈍っていなくてよかった。
「今日ははやく寝ないとね。そろそろゼブル様も帰ってくるだろうし」
スカーニャ帝国、秋の祭典。
狩猟祭は、もうすぐそこまで迫っている。
◇◆◇
ランデンス城で暮らすようになってから、夕飯は例外を除きゼブル様と食べていた。だけど九月に入ってから、ゼブル様たち【青蘭騎士団】のほとんどが討伐の任務に出てしまい、ずっとひとりだ。
ひとりだと少し寂しいのでアリシアを誘ったこともあるものの、夕食中は食堂の前で護衛をするのが任務ですので、と断られてしまった。もう一人の護衛であるエリックは討伐の任務に同行しているので城にいない。
だけどひとりっきりの寂しい食事は今日までだ。伝令により、明日の昼にはランデンス大公率いる【青蘭騎士団】が帰ってくると伝えられている。
「やっと、帰ってくるのね」
昨夜完成したばかりのリボンを渡せるタイミングはあるだろうか。
狩猟祭は貴族のための伝統的な行事で、皇族も参加することがある。
大きい動物や強い動物、それから珍しい動物など、狩った獲物によって採点が付けられる。そして一位に選ばれた人がその年の賞金や名声を手にする。上位貴族や皇族にとっては賞金よりも名声の方が大事だとされている。
過ぎ去りし未来の狩猟祭では、今年の優勝者はスカーニャ帝国の皇太子であるレオナルト様だった。そして来年の優勝者は、第二皇子のアルベルト様。ただ来年の狩猟祭にはレオナルト様が参加されなかったのと、アルベルト様はカルロスお兄様と手を組んで参加していたからだと貴族たちは噂をしていた。参加する人同士手を組むのは珍しいことではないけれど。
だけど今年の優勝者はどうなるのだろうか。
過ぎ去りし未来と、今回の狩猟祭の会場は大きく異なっている。
過ぎ去りし未来の狩猟祭に、ゼブル様――ランデンス大公が参加したことはない。
ランデンス領の森で、なおかつ帝国一の強さを誇るゼブル様が参加するのであれば今年の優勝者がどうなるのか、未来の記憶を持っている私でもまったく判断がつかない。
それから狩猟祭には、一種の伝統的な催しがある。
それは、狩猟祭に参加する男性――夫や婚約者、それから思い人に、勝利や無事を祈願した刺繍入りのリボンを贈るというものだ。
リボンの色は主に四種類使われていて、それぞれ意味が違ってくる。
赤は、勇気を授けて。
黄は、勝利を望み。
緑は、安全を願い。
青は、無事を求む。
刺繍の色は、相手の瞳の色などが使われるため様々だ。
過ぎ去りし未来では、任務に忙しくてリボンに刺繍をする時間がなく、アルベルト様に呆れられたことを思い出す。私は聖女として怪我人の手当てのために参加していたけれど、実は狩猟祭のことはあまりよく憶えていない。会場がランデンス城ではなかったことと、狩猟祭の後にどこかの町で疫病が流行ったことは憶えているのだけれど。
過ぎ去りし未来では刺繍すらできなかったリボンを、今回はきちんと完成させることができた。
リボンの色は青色で、刺繍の色は銀色。本当はゼブル様の瞳の色に合わせて灰色にしようと思ったのだけれど、灰色の刺繍糸で良いのがなかったので、銀色を選んだのだ。
気に入ってもらえるといいけれど。
いろいろ考えていると、使用人から【青蘭騎士団】の馬が城門を抜けたのを伝えられる。
部屋でリボンを握って待っていた私は立ち上がると、アリシアと共に城の出入り口のところで待つことにした。
今回は、騎士団のほとんどが討伐に向かっている。途中メンバーの入れ替えとかで何人か帰ってきているが、その中にゼブル様の姿はなかった。当たり前だ、団長なのだから。
青色のリボンをぎゅっと握る腕が震えている。
ゼブル様にもしものことがあるとは思えないけれど、それでも心配だった。一カ月も会えていないからかもしれない。
馬の足音が近づいてくる。
顔を上げて前を向くと、馬に乗り先頭を歩く漆黒の髪の男と目が合った。彼の横には柔らかい紫の髪の副団長もいる。
馬から降りると、馬の手綱をカイルに任せ、ゼブル様が近づいてくる。
「ただいま帰還した。魔物の討伐任務は無事に終了だ」
灰色の瞳が細くなる。
「お帰りなさい。任務ご苦労様です」
「ああ、城は変わりないか?」
「はい。狩猟祭の準備も着々と進んでいるそうです」
「そうか。それならよかった」
いま、渡そうか。
決意して握っていたリボンをゼブル様に渡そうとすると、慌ただしそうに執事長のジョンがやってきた。
「ゼブル様。帰還そうそうに悪いのですが、その、狩猟祭の際の滞在客のことでご相談が」
「わかった。すぐに行く。……ラウラ嬢、どうかしたか?」
「いえ、大丈夫です」
「そうか。ではまたあとで」
一カ月ぶりの再会は、数分で終わってしまった。
私は、渡しそびれたリボンを握りしめる。
狩猟祭までまだ時間がある。機会はあるはずだ。