27.ペンダント
◆◆◆
黴臭い匂いで目が覚めた。太陽を透かしたような金髪を腰ほどまで伸ばした男が、碧い瞳で私のことを見ている。隣にいる濃紺の髪の男も、蔑むような瞳で私を見下ろしている。
その口が動いているけれど、よく聞こえない。
なんとなくそれは私を拒絶するような言葉だと思った。
二人は背を向けると、黴臭い牢獄のなかに私を残して出て行ってしまう。
その背中に手を伸ばす。
「待ってください。―――――様、――――お兄様」
私はまだできるはずなんだ。この力があれば、まだ役に立てるはずなのに。
――ああ、でも。
いまの私には、なんの力もないんだ。聖女の力を失った私は本当に役立たずで、二人に見限られるのは当たり前のことで――。
「――」
誰かに呼ばれたような気がしてふと顔を上げると、灰色の瞳と目が合ったような気がした。
◇◆◇
夢の内容は詳しく覚えていないけれど、伸ばした手が届かなくてこの世の終わりのようなどん底に突き落とされたような、そんな気分で目覚めた朝だった。
カトレイヤの夜会から数日後。私は気分転換に庭園に出ていた。護衛としてついてきてくれているのはエリックのみ。
夜会から数日、まだアリシアは傷が完治していないため、護衛も騎士の訓練も休んで療養している。エリック曰く、早く護衛に戻りたいとうるさいそうだ。
庭園は庭師により手入れされている。庭師に話を聞くと、やはり冬場はほとんど花が咲かないらしい。
「魔法で維持する方法もあるにはあるのですが、庭の維持のために魔法士は動いてくれませんので」
庭師はどこか寂しそうだった。
「ああ、でも温室のあたりは、魔法がかけられているそうですよ」
「そうなのですか?」
「ええ。あそこは冬も深い森のようになっています。もう随分と長い間、大公家でお世話になっていますが、自分もまだ一度も温室を見たことはないのですが」
大公家で過ごしている庭師ですら、温室に入ったことがないんだ。
カヒナ様の温室には、いったいなにがあるのだろうか。
「では、自分はこれで」
庭師はお辞儀をすると去って行った。
温室があると言われている一角には、いまも濃い木々が立ちふさがっている。
ちょっとした好奇心で一歩近づくと、背後のエリックが声を掛けてきた。
「その雑木林に入るのはやめた方がいいですよ」
その顔はいつになく真剣だった。
「噂で聞いたんですけど、好奇心からその雑木林に入った使用人や騎士たちがいたそうです。だけどすぐに無断で侵入したことがバレて、厳重に処罰されたらしいんすけど――その後、消息不明になったって」
「消息不明?」
「まあ、本当のところはどうかわからないっすけど」
無断で侵入した使用人たちがなにを目にしたのかは誰も知らない。
だけどその噂に尾ひれなどがついて、使用人や騎士たちの間でその雑木林――カヒナ様の温室は、命を惜しければ絶対に誰も入ってはいけない禁断の領域になっているらしい。
「ちなみにカイル副団長も何があるのかはわからないそうです。入ることが許されているのは、代々の大公と、夫人だけみたいで――あ、でも、ラウラお嬢様は団長の婚約者だから、入ってもいいのか……?」
エリックが首を傾げる。
私は確かにゼブル様と婚約しているけれど、正式な婚姻はまだだ。彼から許可をされたわけではない。
「やめておくわ」
「それがいいっすね」
そろそろ部屋に戻ろうと踵を返した時、遠くから呼び声が聞こえてきた。
「団長ー」
庭に出てきたカイルが、私たちを見て足を止める。
「お嬢様、団長を見かけませんでしたか?」
「ゼブル様? 今日はまだお見かけしていないけれど」
「そうですか。執務室にいると思ったのですがいないんですよねぇ。どこに行ったんだろう」
ランデンス城は広い。人をひとり探すのも大変なのだろう。
「団長を見かけたら、執務室来るように伝えておいてくださいね」
柔らかい笑みを崩すことなくカイルはそう告げると、また城の中に戻って行った。
「私たちも部屋に――」
いま、視界の隅に何かキラッとしたものが。
「どうかしましたか?」
「いえ、あそこに」
庭園の奥まったところ――温室のある木々の生い茂ったところに何かが落ちている。
近づいてそれを拾い上げようとして、私は手を止めた。
「これって――」
「お嬢様、どうしました? って、それ」
そこに落ちていたのは、銀色の十字架のペンダントだった。
十字架といえば教会のシンボルだ。宗派によってシンボルは変わるけれど、スカーニャ帝国の国教であるソレーユ教のシンボルはオレンジ色の十字架だった。
でも目の前にある十字架は、銀色――それも、中心に青色の宝石がはめ込まれている。
この銀色の十字架は、ルナティア教のシンボルだ。
誰のものだろうか。いや、そもそも持っていること自体が問題なのだ。
ここで拾うこともできない。たとえ落ちていたものだとしても、拾って持ち歩いているのを異端審問官に見つかってしまえば、ルナティア教の信徒じゃないとしても処罰の対象になってしまう。最悪処刑だ。
誰か信用できる人を――。そうだ、魔法が得意なカイルなら助けになってくれるかもしれない。
「エリック。カイルを呼んできてくれない?」
「わかりました」
強張った顔をしていたエリックが庭園から出ていく。
「さて、これはどうしましょうか」
拾うのは簡単だ。でも、それはできない。
公爵家の令嬢としてはもちろんのこと、ランデンス大公の婚約者として、とてもマズいことになってしまう。
本来なら異端審問官を呼んで処理をしてもらえばいいのだが、ここはランデンス城。ランデンス大公の所有するところで、銀色の十字架が見つかるのはなによりも問題だ。
それが外部に――それこそ皇帝にバレてしまえば、謀反の疑いを掛けられてしまうかもしれない。
先々代の大公夫人――カヒナ様は、ルナティア教を国教としているルティーナ王国の王女だった。カヒナ様自身も熱心なルナティア教の信徒だったからこそ、五十年前北部に追放されたとか。
悩む私の横を、強い風が吹いた。
「――――」
なにかに呼ばれたような気がして顔を上げる。
その風は私の髪を弄び、温室を隠している木々の間を通り抜けていく。
本来ならこんなところから見えるはずがないのに。
木の枝を揺らして木々が揺れ動いたかと思うと、その先にあるモノが見えてしまった。
私は周囲に誰もいないのを確認すると、ハンカチに十字架のペンダントを包み、禁断の領域に足を踏み入れた。