25.無力
町の明かりが救いに思えた。私の姿を見つけて門を開けてくれた門番が、私の顔を見て驚く。
「あれ、領主さまの婚約者様ですよね。到着が遅いから心配していました。おひとりでどうされたのですか?」
「あ、あのっ。助けてください!」
私は馬から降りると、目の前の門番の服を掴み、はしたなくもそう訴えていた。
門の内側にいた、町を守る兵士たちが何事かと集まってくる。
「黒ずくめの集団に襲われて、人数が多くて、いまゼブル様と騎士たちが戦っているのですけど、人手が足りないんです」
兵士たちは顔を見合わせるが、焦っている様子はない。町の近くで起こっていることなのに。
「すみません。自分たちの仕事は、この町を守ることですから。町に被害が及ばない限り手を出すことができないんです」
そう口にしながらも、どこか他人事のようだった。
「それに、領主さまがいるなら問題ありませんよ。あの人は、とてもお強いんですから」
だから安心してくださいと、兵士たちは微笑んだ。
◇◆◇
「そろそろ休まれたほうがいいですよ」
門の前で待っている私を不憫に思ったのだろう、飲み物を差し出してきた兵士が気遣うように声を掛けてくる。
それをありがたく受け取りながらも、私は首を横に振る。
「ゼブル様たちが戻ってくるまで、待っています」
「ですが、そろそろ魔物たちの活動が活発になる時間です。ずっと門を開けているわけにはいかないので、中でお待ちいただけませんか?」
夕闇に染まっていた空は、もうすっかり暗くなっている。
夕食の時間だろうか。
「ごめんなさい、あと少しだけ」
飲み物を差し入れしてくれた兵士はため息を吐きながらも、持ち場に戻った。
そうしてじっと暗い道の先を祈るように見つめながら待っていると、遠くから馬の蹄鉄の音が聞こえてきた。思わず一歩踏み出してしまう。
次第に馬の姿も目視で確認できた。
「ゼブル様!」
一番前を走っているのは、漆黒の髪の男だった。呼びかけるとわずかに反応がある。
よかった生きていた。そう安堵しそうになったけれど、馬の数が五頭だけしかない。ゼブル様を合わせて六人いたはずなのに、どうしてだろうか。
「ご無事ですか!」
ゼブル様は私の前までやってくると馬から降りた。
「ああ。こっちは全員生きている。負傷者は出てしまったがな」
「負傷者?」
「とりあえず中に運ぶ。部屋を用意してくれ」
よく見ると、ゼブル様の服は血だらけだった。青い服が、血の色で暗闇のなか黒く染まっている。
駆けつけてきた兵士たちが、ゼブル様の姿を見て青ざめている。「血濡れの大公だ……」と囁いている者もいる。
騎士たちが馬から降りてくるが、アリシアの姿が見えない。
もしかして、負傷者って。
「お嬢様は無事に着いていたようだな。よかったぜ」
エリックが近づいてくる。よく見ると、背中に水色の髪の女性を背負っている。
「アリシア!」
私の呼びかけに、アリシアは反応しなかった。
「大丈夫だぜ、息はある。この町には医者もいるし」
「傷は深いの?」
「矢で射られた傷だからな」
「矢?」
そういえば私が馬に乗る前に、風を切るような音がして、その後アリシアがうめき声をあげていたような――。
様子がおかしいとは思ったけれど、確認している余裕がなかった。私を守ってくれたのに。
「お嬢様、そんな顔をすんなよ。アリシアはお嬢様の護衛の任務を任されたとき、めちゃくちゃ喜んでたんだぜ。どんな状態でもお嬢様を護ることが誇りだと、そう胸を張ってた。そんなアリシアにとって、お嬢様を守ったことはなによりの誇りなんだ。……それに今回の敵は」
「エリック、何をもたもたしている。早くこい」
ゼブル様に急かされて、アリシアを背負ったエリックが返事をしてついていく。
私も二人の後を追いかけた。
◇◆◇
アリシアを寝台に寝かせると、ゼブル様はエリックに下がるように命令をした。
医者が到着するまでまだ時間があるようだ。だけどアリシアの呼吸は荒く、このままだと危ないかもしれない。
それに町医者は、回復魔法が使えないはずだ。
「ラウラ嬢も、下がって……なにをしている?」
近づいてきた私を、ゼブル様が怪訝そうに見下ろす。
「私は回復魔法が使えますから、少しでもアリシアの助けになりたくって」
「……傷を、治すのか?」
「どこまでできるかはわかりません。ですが、アリシアは私を庇って怪我を負いました。だから私にできることがあるなら、やりたいんです」
しばらく私を見つめると、灰色の瞳を逸らして、ゼブル様は一歩後ろに下がった。
「……無理はするなよ」
「ありがとうございます」
アリシアの傷口は包帯で応急処置が施されている。
その包帯を取り、私は目を見開いた。
「これって……」
傷口の周りが青黒く変色している。
「矢には毒が塗られていたの?」
「やはりな。ただのポーションが効かないわけだ」
回復魔法が込められたポーションは、回復魔法士がいなくてもだれでも回復魔法が使える優れものだ。数が少なくとても貴重なもので、戦場でも重宝されている。
それでもポーションに治せる傷は限られている。一度に大量に摂取すると、命に関わる危険性もあるので、毒などの重篤な怪我にはほとんど無意味だ。
「まずは、毒を抜かないと」
毒が体内に回り切ったら危険だ。毒を消すポーションも帝国には存在するけれど、傷を治すポーションよりもさらに希少になる。町医者だと間違いなくポーションの類は持っていないはずだし、解毒できる薬もあるかどうか。
魔力を起こし、傷口に触れる。
聖女の力があればこんな傷一瞬で治せるのに、私のいまの魔力だとどうしても時間がかかってしまう。
もどかしい。
どうせなら、いま聖女の力が覚醒してくれればいいのに。
背後で、ゼブル様が呟いた。
「早馬で城の回復魔法士も呼んでおいた。医者もいる。おまえひとりが責任を感じる必要はない。だから、無理だけはするなよ」
全身の魔力を総動員してでも、アリシアを助けたかった。
だけど聖女でない私は、やはり無力だったらしい。
それからほどなくして町医者がやってきて、解毒作用のある薬をアリシアに飲ませてくれた。それでアリシアの表情は幾分か良くなっていた。感謝をすると、町医者は「お嬢様が回復魔法をかけてくれたから薬も効いたんですよ」と気休めの言葉を掛けてくれた。
朝方になると、カイルとともに早馬で駆けつけてくれたランデンス城に滞在している回復魔法士が、傷口も治してくれた。
アリシアは一命をとりとめたのだ。
私は何もできないまま。