24.灰色の瞳
夜会が終わったのは闇が深まる深夜だった。
カトレイヤ侯爵家の前でエルミラに見送られると、馬車の前で手を差し出してくれたゼブル様の手を取った。
もう一つの馬車では、手を差し出したエリックが、アリシアに払い落とされていた。アリシアはひとりで馬車に乗り込み、エリックがブツブツ文句を言っている。
「あの二人のことなら心配しなくていい。昔馴染みみたいだからな」
私の視線に気づいたゼブル様がそう言う。
「カイルが言っていたが、喧嘩するほど仲が良いらしい」
心配に思いながらも、私たちは馬車に乗った。
「楽しかったか?」
「はい、とても」
ゼブル様が夜会に参加するのは初めてだと言っていたのが嘘のように、彼のリードはとても丁寧で完璧だった。過ぎ去りし未来でアルベルト様とのダンスは踊りにくく感じたのに、彼とだと踊りやすかった。
一曲目のダンスの後、ゼブル様から離れて、多くの貴族夫人や令嬢たちと会話をした時間もとても有意義なものだった。唯一の心残りといえば、遠くからずっと私のことをにらんでいたロザリーと仲良くなれなかったことだろうか。
私の返答に、ゼブル様は灰色の瞳を細める。
「そうか。それならいい」
それから無言のまま、貴族御用達の高級宿に戻った。
◇◆◇
宿を出立したのは翌日の早朝だった。夜会明けの空気は、いつもよりも澄んで明るくみえる。雨上がりの空が、いつもよりも明るくみえるのと同じように。
カトレイヤからランデンスまでは、馬車で一日かかる。その最たる理由が、ランデンス城が森の中にあるからだ。
ランデンスの領地は広いが、町と呼べるのは一カ所しかない。あとは村が点在しているだけだ。夜までにその町に向かい、一夜を明かしてランデンス城に帰ることになっている。
このまま馬車に揺られても、深夜にはランデンス城に着くことができるだろう。だけど夜の森はとても危険だ。北部で、夜に町や村の外を出歩くことは基本的にはありえない。魔物に襲われかねないから。
――それは、ランデンス領の町まであと少しというところで起こった。
馬のいななきが聞こえたかと思うと、外から騎士たちの声が響いてくる。
「馬車から出るなよ」
ゼブル様が灰色の瞳を鋭くして、馬車の外に飛び出ていく。
今回、護衛でついてきていた騎士団のメンバーは、アリシアとエリックを含む五名だけだった。帝都から帰ってきた時の人数の半分もいない。
もし、夜会からの帰りに襲撃を受けたら?
そんなこと考えもしなかった。可能性がないわけじゃないのに。
「ゼブル様がいるし、大丈夫、よね」
私は戦力として役に立たない。過ぎ去りし未来であったはずの、聖女の力もない。
できることといえば、みんなの無事を祈るだけ。
ゼブル・ランデンス大公は、一騎当千の力を持っているという。だから、きっと大丈夫だ。
そのはずなのに、なんだか胸騒ぎがする。
嫌な予感は、過ぎ去りし未来の戦場でもよく当たった。
馬車が大きく揺れた。あ、と思ったときにはもう遅く、横に倒れてしまったようだ。
お尻を強く打ち、全身に痺れが走る。一瞬のことだったので、大事には至っていないだろう。
「馬車から出ろ!」
遠くからゼブル様の張り裂けるような声が聞こえてくる。
馬車の扉は頭上にある。手を伸ばす前に、扉が外から開いた。
見知らぬ人物が顔を見せる。全身を黒い服で覆っていて顔は良く見えないが、青い騎士服を着ていないことは確かだ。おそらく敵。
「……が、……か」
敵が、何が言っているがよく聞こえない。
全身の震えと、心臓の音が激しいせいだろうか。
もしかして、私はここで――。
敵の頭に血の花が咲いた。
「お嬢様、大丈夫ですか!」
敵と入れ替わるように、水色の髪の女性が顔を見せる。
「アリシア!」
「手を取ってください!」
アリシアが伸ばしてきた手を取り、私は馬車の外に出た。
そこには惨憺たる光景が広がっていた。
地面に広がる血の海。浮かぶような黒ずくめの男たちの死体。それもひとつではなく、いくつも。
これは、まるで戦場だ。
「団長命令です。お嬢様、逃げましょう」
アリシアに手を引かれる。
過ぎ去りし未来でも、死体を見るのに慣れたことはなかった。
血の海の中、青い騎士服を着て孤独に剣を振るう男が、一瞬だけ灰色の瞳で私を見た気がした。
「こちらです。馬には乗れますか?」
「はい!」
戦場で乗馬は必須のスキルだ。過ぎ去りし未来でも乗っていた。
「ではお乗りください」
「アリシアは?」
「私もすぐ行きますから。近くの町まで一本道です。できるだけ早く――」
アリシアの言葉の途中、空気を掠めるような音が響いた気がした。
ぐっ、とアリシアがうめき声を上げる。
「どうしたの!?」
「い、いえ、なんでもありません。私もすぐに向かいます」
「アリシア、大丈夫か!」
「エリック! ここで食い止めるぞ。なんとしてもお嬢様は逃がす」
アリシアに促されて馬に跨る。久しぶりの乗馬だ。
「アリシアおまえ……」
一人の敵を斬り捨ててやってきたエリックが、アリシアを見て大きく目を見開く。
「エリック、戯言はいい! 敵をやっつけるぞ!」
「……ああ。お嬢様はボーとしてないで、はやく町に行け!」
急かされるように、私は言われるがまま馬を走らせることしかできなかった。