23.夜会
「えっと、大公さま――ゼブル様」
「なんだ?」
夜会の準備を済ませると、私たちは馬車に乗ってカトレイヤ家の屋敷に向かっていた。護衛としてついてきていたアリシアとエリックは、馬ではなく違う馬車に乗っている。
ゼブル様から名前で呼んでほしいと言われたとき、最初は戸惑った。だけど婚約者なのにずっと大公様と呼ぶのもおかしい。だからなんとか勇気を出して名前で呼ぶことにしたのだけれど――。
名前を呼ぶと、どこか満足そうな顔で私を見るのは、なぜなんだろうか。
「ゼブル様はその恰好で夜会に参加されるのですか?」
ゼブル様が着ているのは、ランデンス城から着てきていた服と同じだった。【青蘭騎士団】の騎士の正装だ。
「あいにくと夜会用の服の持ち合わせはないんだ。カイルに訊いたら、騎士なら騎士服でも構わないと言われたのだが、変だろうか?」
「い、いいえ、おかしくはありません。ただ、すこし浮いてしまうかもしれないです」
皇宮舞踏会などの大きな舞踏会の場合、近衛騎士や帝国騎士が騎士の正装で参加することはある。それ以外の夜会などでは、騎士服で参加する人はまれだ。ほとんどいないと言ってもいい。
だけど――騎士服は、騎士としての矜持だ。その恰好で社交の場に参加するのはおかしいことではない。
それにランデンス大公を知らない貴族が、北部にいるとは思えない。
彼の姿に委縮はすれど、格好にケチつける人はいないはずだ。
「構わない。この格好は誇りだ」
灰色の瞳は冷たくも、怖れを知らぬようだった。
◇◆◇
カトレイヤ家の屋敷の入口で招待状を見せて名乗ると、家令と思われれる人物が驚いた顔をした。家令はその後チラリとゼブル様の姿を見て顔を青くするが、すぐに仕事の表情に戻ると「会場にご案内します」と言って歩き出す。
カトレイヤ家の屋敷の一階、吹き抜けの階段の奥側にある大広間が、今回の夜会の会場みたいだ。
会場に足を踏み入れた瞬間、室内の空気が変わった――気がした。
周囲にいた貴族が、ゼブル様の姿を見ると青ざめた顔を隠すように遠ざかっていく。中にはお辞儀をする貴族もいるが、ほとんどの貴族が顔を青ざめさせブルブルと震えていた。
ゼブル様と腕を組んでいる私に注視している人はいないようだ。誰もがゼブル様を怖れていて、私に気づいていないよう――。
いや、会場の片隅に目を向けると、赤い髪のご令嬢が私を見ていた。ブルブルと震えているが、それは恐怖というよりも強い怒りのようだ。
ロザリーは私と目が合うと、フンっとそっぽを向いてしまう。
会場の中心にいるエルミラに挨拶をするべく歩み寄ると、それよりもはやくエルミラが私たちの姿に気づいた。
エルミラがゼブル様を見て瞳を大きく見開くが、すぐに口元に上品な笑みを戻すとドレスを摘まんでお辞儀をした。
「ランデンス大公閣下、お会いできて光栄です。ラウラ嬢も、よく来てくださいました」
「本日はお招きいただきありがとうございます」
ゼブル様の腕から手を放し、私もお辞儀をする。そこでやっと、会場にいる人も私の存在に気づいたようだ。
あの令嬢は誰だという視線が突き刺さってくる。ゼブル様と一緒にいるのだからなおさらだろう。
今回の夜会の主催者――エルミラとの挨拶を終えると、それを待っていたかのように周囲にいた貴族のひとりが声を掛けてきた。
「大公閣下、お久しぶりです。まさかこんなところでお会いできるなんて」
カトレイヤの隣の領地の子爵のようで、彼は私を横目でチラリと見ながらゼブル様と挨拶を交わしている。
「……ところで、そちらの方は」
「婚約者だ」
「ラウラ・ボタニーアと申します」
「ボタニーアといえば、公爵家じゃないですか! しかも四大貴族の!」
子爵の声はよく通った。会場内の視線がさらにこちらに集中する。
「ああ、失礼しました。大公閣下が婚約したとは耳にしていたのですが、まさか本当に、ボタニーア家の方だったとは……」
子爵は挨拶を終えると、ペコペコと頭を下げながら去って行った。
周囲の貴族がにわかに騒がしくなる。
「……ボタニーア家といえば、聖女の……」
「……まあ、そういえば先代の聖女様はハクモクレンに似た方だと伺ったことが……」
「……先代の聖女様の姿絵を見たことがありますが、とてもそっくりですわ……」
私に挨拶をしたそうにそわそわしている夫人や令嬢もいるが、隣にゼブル様がいるから尻込みしているようだ。
「ゼブル様。一曲目のダンスが終わったら、知り合いに挨拶をしてきてもよろしいでしょうか?」
「……ダンス? もしかして、オレと?」
「はい。一曲目は、婚約者や伴侶、それから親族と踊るのが基本ですから」
そういえば夜会に参加するのは初めてと言っていた。舞踏会にもほとんど参加したことがないので、もしかしたらダンスが踊れない可能性も――。
「貴族として、ダンスの基礎は教わっている。だから、踊れるぞ」
灰色の瞳を細めながら、ゼブル様が手を差し出してくる。
「で、ではよろしくお願いします」
ゼブル様の手を取ると、まるでそのタイミングを見計らっていたかのように、会場内に楽団員の音楽が響き渡った。
周囲の人間がそれぞれのパートナーとともに踊り出す。
私もゼブル様と、音楽に合わせてステップを踏んだ。