16.襲撃
馬車のなかはとても静かだった。会話というものがなく少し居心地の悪い気分を味わっていた。
馬車に揺られて数時間、外が暗くなり始めた時のこと。
何かしゃべろうかと口を開きかけた時、突然馬車が大きく揺れた。その揺れの影響でバランスを崩し、対面に座っている大公にぶつかりそうになる。
「っ」
寸前のところで受け止められた。顔を上げるとやけに近くに大公の顔があった。
「す、すみません」
「待て」
慌ててどこうとしたが、大公が眉を顰める。迷惑をかけてしまって気分を害してしまったのだろうと思ったが、どうやら違うらしい。大公は私ではなく、馬車の出入り口をにらみつけている。
外からは鉄同士を打ち鳴らすような音が聞こえてきた。
馬車の扉が慌ただしくノックされる。
「団長! 敵襲です!」
「数は?」
「二十人ほどでしょうか。手練れはいないようですので、私たちで対処します!」
「頼んだ」
扉越しに聞こえてきたカイルの声は、そのまま遠ざかっていく。
「敵、ですか」
「ああ、隣国は帝国を恨んでいるからな。帝都に連れて行った騎士団の数も少ないし、いまならオレの首を獲れると踏んでのことだろう。……だが、妙だな」
「妙ですか?」
「シランを出てからまだ一日も経っていない。いくら国境が近いとはいえ、待ち伏せでもしていたのか……?」
大公は険しい顔で黙り込んでしまう。
馬車の外ではまだ剣を打ち合う音が聞こえてくる。
激しい怒声や、なにかが倒れる音も。
まだ近くにある大公の顔を見上げる。そろそろ私は離れた方がいいんじゃないだろうか。そう思ったが、口にできる雰囲気ではない。
「あの、大公様は出向かれないのですか?」
「……問題ない。オレの騎士団は精鋭ぞろいだ。オレの出る幕はないだろう」
灰色の瞳が私を見ると、少し驚いたように大きくなった。
コホンと咳をして、私を抱きとめていた腕の力が弱くなる。
「そろそろ大丈夫だろう。外の様子を確認してくる」
私を席に座らせると、大公は馬車の扉を開いて外に出て行った。
その直後、ドンッという大きな音がして、馬車が揺れる。馬車に何か当たったようだ。
咄嗟に外を覗くと、馬車にもたれかかるようにしてひとりの男が倒れていた。
剣で斬られたところから、大量の血が流れている。息があるのか胸の辺りが上下している。いま傷を治せば助かるかもしれない。
そう思ったが、ギュッと手を握りしめて耐える。青い騎士服を着ていないということは、彼は敵だ。
「近づくな」
怖ろしいほど低い声に顔を上げると、剣を片手に持った大公がいた。剣には血がついている。
鋭い灰色の瞳が、冷たく私を見据えている。
「傷も治さなくていい。それは敵だ」
「わかっています」
「そうか、それならいい。止めを刺す。馬車の中に戻っていろ」
「……はい」
馬車の扉を閉めると、私は目を閉じて耳を塞いだ。
忘れたいと思っていた過ぎ去りし未来の記憶がよみがえってくる。
戦場に出て、まだ日も浅かった頃。初めて目の前で死にそうな敵兵を見た。
あの時の私は、傷を治すのが自分の使命だと思っていて、目の前にいる人間の傷を治そうとして、カルロスお兄様に止められた。
『それは敵兵だよ。傷は治さなくていい』
『でも、目の前で死にそうな人がいるのに、ほっとけないわっ』
『何を言っているんだい? 敵の傷を治すのは敵に加担するのも同じ。それは立派な軍規違反だ! 聖女だからと言って――いや、聖女だからこそ、そんな馬鹿なことしようとするな!』
激しく責められて、腕を掴まれて無理矢理その場から連れ戻された。その時目が合った虚ろな敵兵の瞳を思い出して、さらに胸がギュッと締め付けられるような気分を味わった。
敵兵の傷を治すのは間違っている。敵が兵士である限り、その敵兵はまた帝国の仲間を殺す可能性があるのだから。
それでも、目の前で死にそうになっている人を見捨てなければいけないことは、とてもつらかった。
「……そういえば、北部はルティーナ王国と隣接しているから、いまもこうして命を危険に晒しているのよね」
聖女にならなければ、聖女としての義務から目を背ければ、自分は自由に生きていけると思ったけれど……。
停戦状態でも、ランデンス領のある北部は、常に戦いの前線にあるんだ。
馬車の扉が開いて、ランデンス大公が入口から顔を覗かせる。騎士服には返り血が付いていた。
「敵はすべて排除した。予定より遅くなったが、近くの町で泊まろうと思う。……大丈夫か?」
「はい」
「……そうか。オレはこのまま馬車の外で護衛をしているから、なにかあったら声を掛けてくれ」
「わかりました」
私の力ない返事に大公は頷くと、扉を閉めてしまった。
馬車の中にひとり取り残されて、ふと思い出した。
過ぎ去りし未来、北部で最強を誇っていた【青蘭騎士団】の団長――ゼブル・ランデンス大公。
彼の死後、ほどなくして【青蘭騎士団】の団員がほぼ全滅したと伝え聞いた。
不意の襲撃にも強い騎士団の団員が、どうして死んでしまったのだろうか――。