15.北部へ
帝都を出て馬車に揺られながら二時間もすると、ジルべという街がある。
ジルべは帝都の一番近くの街で、そこから多くの街に行くための中間地点となっている活気あるところだった。
馬車を下りると、街のなかで一番華やかな外見の建物に向かう。教会の隣にある建物の前には、多くの人が行き交っていた。
多くが商人と思われる一行だけれど、貴族の姿もある。一週間前に皇宮舞踏会があったからだろうか。
多くの視線が私たちに向けられている。
物珍し気な視線から、怯えたような視線まで。
ゼブル・ランデンス大公はそれらの視線などものともせずに、ただ前を見据えている。
私はそんな彼と腕を組んで歩いていた。私たちが正式に婚約していると、多くの人に知ってもらうためだ。
建物の前に着くと、大公の姿を見たローブを羽織った老人が駆け足気味に近づいてきた。
「大公閣下。用意はすでに整っておりますが、すぐに向かわれますか?」
「ああ。すぐ案内してくれ」
「かしこまりました」
老人に連れられて、私たちは建物の中に案内された。
それまでの喧騒が嘘かのような静寂が満ちる建物の中には、青白く輝く魔法陣とその周囲を覆う結界がある。結界の周りには数十人の白いローブを纏った魔法士たちがいる。
ワープゲート。
馬車での移動は、北部などの遠いところに行くのにどうしても時間がかかってしまう。そのため、移動時間を短縮するために、魔法士たちが力を合わせて考案した瞬間的に別のところに移動できる魔法陣だ。
同じ文様の魔法陣があるところに移動ができて、長距離の移動を短縮できるため、貴族だけではなく商人も利用している。費用は高額なので平民はほとんど利用できない。
ワープゲートはただ魔法を使うのとは違い、多くの魔力を消費する。移動する人数や距離が遠ければ遠いほど魔力の消費量は増えるため、北部に移動するとなると三人ほどの魔法士の魔力を使うことになるだろうか。
私が聖女だった頃は、私の持つ魔力だけで北部まで簡単に移動できたけれど、あの頃に比べたら雀の涙ほどしかない。だから力を貸すことはできないけれど、代わりに魔法士たちにお辞儀をしておいた。
「ゲートを使うのは初めてか?」
「いい……はい、初めてです」
つい「いいえ」と言ってしまいそうになったけれど、私が初めてワープゲートを利用したのは聖女になってからだから、いまの私にとっては初めて。
「そうか。酔いには気をつけろ」
「はい。ありがとうございます」
大公と一緒に、魔法陣の中心に立つと、魔法陣の周りに三人の魔法士がやってきた。
三人の魔法士が呪文を呟く。魔法陣が輝きが濃くなり、目の前に光が満ちた。
私は目をギュッと瞑る。魔法陣の光が動いている時に目を開いていると、人によっては酔うことがあるからだ。
「もう目を開けていいぞ」
目を開けると、魔法陣の輝きは淡いものに戻っていた。魔法陣の向こう側はほとんど変わり映えしない建物の内面がある。
先ほどまでいた三人の魔法士と老人の魔法士がいない代わりに、青い騎士服に身を包んだひとりの青年がいた。
北部に着いたのだ。一瞬のことであまり実感はないのだけれど。
「お待ちしておりました、団長」
「待たせたな、カイル。全員――あの二人以外は、揃っているか?」
「ええ。あの二人はきちんとゲートを使わずに馬で帰ってきていると思いますよ」
「それならいい」
大公と腕を組みながら魔法陣から出ると、カイルと呼ばれた青年騎士がお辞儀をした。
「【青蘭騎士団】の副団長を務めている、カイルです」
「ボタニーア家のラウラです」
大公の腕から手を放すと、スカートの裾を摘まんで私も名乗る。
カイルと呼ばれた騎士は、紫色の髪が柔らかそうで、物腰が柔らかく、表情まで柔らかった。騎士団に所属できるのは、騎士の称号を授与された貴族が多い。どこか気品に溢れた仕草を見ると、彼もきっと貴族なんだと思われる。
「挨拶が済んだのなら早く行くぞ。大公城まではここからまだ馬車で三日はかかる」
ランデンス大公が歩きだそうとして、ふと足を止めると私のことを見ながら腕を出してきた。腕を組めということだろうか。もうここでは周囲に婚約者だということを周知しなくてもいいと思うのだけれど。
腕を組みながら建物から出ると、【青蘭騎士団】のメンバーと思われる十人ほどの騎士たちがいた。
「待たせたな」
ランデンス大公の言葉に、それまで和気あいあいとしていた騎士たちが姿勢をビシッと正す。
「すぐ出発をする。準備をしろ」
「はい!」
返事をした騎士たちが足早に駆けていく。
カイルが近づいてくる。
「カイル。馬車の準備はどうだ?」
「完璧ですよ。きちんと結界も施してあります」
「結界、ですか?」
気になって訊くと、カイルは快く答えてくれた。
「ランデンス領に向かうためには、国境の近くを通らなくてはいけませんからね。国境の近くは物騒なので、何があるかわかりませんから」
敵兵や盗賊、魔物などがいる可能性がある。
真剣な顔でそう告げると、カイルはすぐに笑顔に戻った。
「まあ、でも大丈夫だと思いますよ。団長がいたら少なくとも盗賊は現れませんし、敵も町の近くではほとんど手を出してくることはないですから。出てくるとしたら魔物ぐらいですかね。まあ強い魔物が出てくることはほとんどないので、安心して馬車をお使いください」
北部のワープゲートのあるシランの町は、ジルべほどではないが人の行き来がある。だけどシランの町の人々は、どこか落ち着いた雰囲気を纏っているように見えた。
町から出ると、すぐのところにランの家紋が彫られた馬車が止められていた。ランデンス大公家の馬車だ。傍で、十人ほどの【青蘭騎士団】の騎士たちが、馬を連れて待っている。
ランデンス大公が馬車の扉を開くと、私に手を差し出してくる。私は彼の手を取ると、馬車に乗った。
この時の私はこのまま三日間、何事もなく大公城に着けるのだと、そう思っていた。