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12.婚約

 ゼブル・ランデンス大公。

 漆黒の髪に鋭い灰色の瞳の彼は、隣国との国境の保守を担っている【青蘭(せいらん)騎士団】の団長だ。


 二代前の大公が、当時皇帝に即位したばかりの甥に追いやられた北の僻地が、ランデンスと呼ばれる主に魔物が多い領地だった。

 その領地の魔物を討伐し、当時の大公はランデンスと名乗ると、【青蘭騎士団】を結成して、国境を護ってきた。


 たが、その栄光が続いたのはいまから二年後までのこと。

 【ルナティア教】を国教にしている隣国――【ルティーナ王国】は大国と手を組むと再び帝国に牙を剥いた。その時、真っ先に戦場で狙われたのは、北の大地の守護者であるランデンス大公だった。


 ゼブル・ランデンス大公といえば、不死身なのではないかと噂されるほど戦場でどんな傷を負っても歩みを止めず、多くの敵を切り捨てる戦闘狂とまでいわれていた男だ。それなのにあまりにもあっけなく戦死してしまったものだから、過ぎ去りし未来では多くの噂が流れていた。隣国に暗殺されただとか、背中を預ける仲間に刺されただとか。事実のわからないことから不名誉なことまで。

 過ぎ去りし未来で戦争が四年にも渡り長引いたのは、ランデンス大公の死だとも言われている。


 そんな彼に、まさかこんなところで出会うなんて。

 ランデンス大公は私をにらむように見るだけで、腕を振りほどこうとはしなかった。

 いまここで手を放すのは不自然すぎて、私も身動きがとれない。


 ――それにしても、どうして彼はここにいるのだろう。

 確か過ぎ去りし未来で、皇宮舞踏会にランデンス大公が参加したことは一度もなかったはずだ。先ほど皇族に挨拶をした時も彼の姿は見かけなかった。


 混乱していると、いち早く冷静さを取り戻したアルベルト様が、気を取り直すように咳ばらいをする。


「あ、ああ……大公。その、久しぶりだな」

「…………」


 アルベルト様の言葉を一瞥するだけで、ランデンス大公は口を開こうとしない。

 顔を上げると、灰色の瞳はまた私のことを見ていた。


「す、すぐ離れます」


 小声でそう告げて離れようとすると、形の良い眉の間に微かに皺が寄った。腕を軽く引かれる。


「……いや、いい」


 息をするようなランデンス大公の返答に戸惑っていると、アルベルト様がさらに近づいてくる。


「ところで、大公。そこのラウラ嬢とは……本当に、婚約を前提でお付き合いをしているのか?」

「そうだ」


 ランデンス大公の返答に、周囲の人間がざわついた。

 当事者であるはずの私も驚いた。


「いや、でも、僻地――北におられるあなたが、いつ令嬢と出会いを? 舞踏会にほぼ出席しないあなたに、そんな機会はなかったと思うんだが」


 アルベルト様が疑うのも無理はないだろう。実際、私はランデンス大公と一度も会ったことはない。過ぎ去りし未来でも、この二度目の人生でも。


「三日前――」


 ランデンス大公が口を開く。


「ひまわり広場で、令嬢を見かけたんだ。その時に、オレの傷を治してくれて――それで、まあ、そういう話になった」


 三日前!? ――というと、ホワイトドラゴンの傷を癒した日のことだ。

 確かに私はひまわり広場にいたけれど、そこでランデンス大公に会った憶えはない。


 その瞬間、私は過ぎ去りし未来でホワイトドラゴンの子供を討伐した騎士団の名前を想い出した。

 【青蘭騎士団】。あの広場に、ランデンス大公もいたんだ……。


 ランデンス大公を見上げると、彼は冷たい灰色の瞳でアルベルト様を見つめている。まるで見定めているようだけれど、その灰色の瞳からは彼がなにを考えているのか窺うことができない。


「これから婚約について、詳しく話そうと思っている」

「ああ、だから大公が珍しく舞踏会に来られたんだな」


 険しい顔で黙り込むと、アルベルト様は小さく舌打ちをした。


「それならそうと早く言えよ……」

「殿下。すまないが、これから彼女と大事な話をしなければならないので、これで失礼する」

「ああ、好きにしろ」


 アルベルト様はまだ険しい顔で私たちを見ていたが、ランデンス大公が歩きだしたので、私も彼の腕を抱く形のままついて行くことになった。

 チラリと周囲を見渡すと、あっけに取られているカルロスお兄様と目が合う。

 つい目を逸らして、私はランデンス大公とともに会場を後にすると、休憩室に向かった。




 会場からさほど離れていない休憩室に入ると、【青蘭騎士団】の一員であると思われる青い騎士服を着た女性がひとり、閉まっている扉の前に立った。婚約者でもない未婚の男女が使用人のいない部屋に二人っきりというわけにはいかないから、ランデンス大公の配慮だろう。


 私たちはソファーに腰かけて向かい合う。

 灰色の瞳はまるで冷たい氷の様で、その瞳と見つめ合っていると、知らず知らずのうちに体が固くなる。だけど牢獄の中で見たアルベルト様やカルロスお兄様の瞳とは、どこか違っていた。


 大公は自ら口を開く様子がなかったので、わたしは迷いながらも挨拶をすることにした。


「ボタニーア公爵の娘、ラウラです。お初にお目にかかります」

「……ゼブル・ランデンスだ。……特に初めましてではないけどな」

「え?」

「何でもない。……それで、婚約、だったか?」


 名乗りの後の言葉がよく聞き取れなかったので訊き返すと、ランデンス大公は首を振ってから、さっそく本題に入った。


「俺と、婚約をしたいのか?」

「い、いえ、違うんです」

「違う?」


 ランデンス大公の眉間に皺が寄る。気分を害してしまったのかもしれない。


「あの時は私も必死でして。殿下からの申し出を断るために、婚約者のフリをしていただこうと知り合いの腕を掴んだつもりが、間違えて大公様の腕を引き寄せてしまったのです」


 大公の眉間の間の皺が、さらに増えた。

 どこか不機嫌そうに、足の上に置いた指をトントンとしている。


「ご迷惑をお掛けしましたよね。本当に、申し訳ありません!」


 体を折り曲げるように謝罪をすると、頭の上から不機嫌そうな声が返ってくる。


「迷惑だとは思っていない。だが……」


 顔を上げると、ランデンス大公の眉の間にあった皺が消えていた。

 無表情で、私のことを灰色の瞳で見つめてくる。


「オレとラウラ嬢が婚約をしていないことを知ると、あの男はまたあなたに声を掛けるのではないか?」


 ランデンス大公の言うことももっともだ。アルベルト様は私を諦めないだろう。聖女としての力もない私に、舞踏会でプロポーズ紛いのことをしてきたのだ。次に会った時にまた同じことをしてきてもおかしくない。次こそは断れると思えない。


「それは、なんとかします。それまでに婚約してくれる方を探せればいいのですが」

「……それは無理なのではないか? 会場のど真ん中で、オレと婚約するという話をしたんだ。あそこで聞いていた者のほとんどはオレとラウラ嬢が婚約すると思っている。それなのに、すぐ他の婚約者が見つかるのか?」

「それは……」


 確かに彼の言うとおりだ。他の貴族ならともかく、大公と婚約するという話が持ち上がったにも関わらず、私が婚約者を探していたら他の貴族からは不審がられるだろう。私に何か欠点があって、婚約が断られたと噂されてもおかしくない。

 いくら公爵令嬢であっても――いや、公爵家の娘だからこそ、醜聞は面白おかしく騒ぎ立てられてしまう。


「それでも、大公様にご迷惑をお掛けするわけにはまいりません。ですので」

「先ほども言ったが、迷惑だとは思っていない」

「え?」

「ちょうどオレも婚約者を探していたところだ。あの男と婚約するのが嫌なのであれば、オレと婚約すればいいだろう?」

「え!?」


 令嬢らしからぬ、驚愕の声を上げてしまう。

 ランデンス大公はただ氷のような瞳で私を見ていた。その灰色の瞳がすこし柔らかくなったような気がした。


「嘘じゃなくすればいいんだ。簡単なことだと思うのだが、どうだろうか?」


※お読みいただきありがとうございます。第一章の終わりにゼブル視点の話を追加予定です。

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