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11.ランデンス大公

「――大丈夫か? ラウラ嬢」


 アルベルト様の呼びかけに我に返った。


「やはり、何か悩みごとでもあるのではないか?」

「……いえ、悩みというほど大それたものではないのですが、妹が皇太子殿下と上手くいくのか不安でして」


 咄嗟に出てきた言葉に、アルベルト様は「うーん」と首を傾げる。


「大丈夫じゃないか? クララ嬢はまだ十四だからか少し落ち着きがないように思えるが、きっと兄上と上手く行くと思うぞ」

「そうだと良いのですが……」


 どうしても笑みが引きつってしまう。

 過ぎ去りし未来、アルベルト様が私に近づいてきたのは、私が聖女だからだと思っていた。だけどいまの私に聖女としての力はない。だから近づくメリットなんてないはずなのに。


「……もしかして、いや、やはりというべきなのか……。ラウラ嬢は、兄上に想いを寄せているのか?」

「え?」


 普段と変わらないアルベルト様の笑み。その目がすこし細くなって、訝しむような視線を感じる。


「だが大人しいラウラ嬢は自ら言い出せず、クララ嬢に婚約を譲ってしまった。そう考えるのが妥当というところか……」

「いえ、あの、私は別に」


 明らかに勘違いをしている物言いで、アルベルト様は私を制するように掌を向けてきた。


「俺から兄上に伝えておくよ。ラウラ嬢は」

「いえ、違うのです!」


 勇気を振り絞って出した声に、アルベルト様が目を見開く。


「私は皇太子殿下のことを慕っているわけではありません」

「そう、なのか?」

「皇子殿下、ご心配をおかけして申し訳ありません。私はクララの姉として、妹の将来を案じていただけです。皇太子殿下に憧れはありますが、恋しさを感じたことはないですから」

「……そう、だったのか。なーんだ。俺の勘違いだったか」


 ハハッ、と笑い、アルベルト様は安堵するようにため息を吐いた。


「すまない、ラウラ嬢」

「こちらこそ、ご迷惑をおかけしてしまって」

「いや、迷惑なんて思っていないさ。ただ、俺が、その……」


 持っていたグラスをテラスの手すりに置いたアルベルト様が、一歩近づいてくる。

 嫌な予感がして、私は一歩うしろに下がった。


「初めてラウラ嬢と挨拶を交わした時からずっと目で追っていたからさ」


 それは過ぎ去りし未来でも聞かされた言葉だ。

 でも、舞踏会の数日後のお茶会で伝えられた言葉のはず。


「ラウラ嬢は兄上の婚約者になると思っていた、だから胸の内に秘めるに留めていたのだが」


 すっと、目の前に掌が差し出される。


「ずっと、ラウラ嬢を――あなたのことを思っていたんだ。よかったら、俺と――」


 私の手から滑ったグラスが、ガシャンッ、と音を響かせた。

 私のドレスと、アルベルト様の服にグラスの中身が飛び散る。

 

「も、申し訳ありません。何か、拭くものを頼んできますっ」


 私はアルベルト様に背を向けると、会場に向かう。


「いや、俺は大丈夫だから、よければ返事を」

「ご、ご無礼をお許しください。すぐに拭くものをお持ちしますので」


 会場への入口のところで、後ろから手首を掴まれてしまう。


「拭くものなんてどうでもいい。俺はずっと君が好きだったんだ。だから、俺と婚約を」

「な、なりません!」


 私は震える声で告げる。


「皇太子殿下は私の妹と婚約をしたのです。それなのに、皇子殿下が私と婚約をしたら他の貴族にどう思われるか」

「それは気にしなくてもいいんだ。だって、ボタニーアの血筋で年頃の娘は、あなたとクララ嬢しかいないのだからな。どちらかが聖女なのであれば、そんなこと考えなくていい」


 確かに聖女は皇族の次に尊い権力を持っている。そのため聖女の多くは皇族や高位貴族に嫁ぐか、他の貴族から婿を迎え入れることになる。私の両親の場合は後者だ。父は侯爵家の次男だった。

 実際過ぎ去りし未来でも、私とアルベルト様の婚約に異議を唱える者は一人もいなかった。

 だけど――、私は彼と婚約をするわけにはいかない。


 アルベルト様に掴まれている腕が、いまにも震えだしそうだ。

 それをぐっと堪えて、私は口を開いた。


「隠していて、ほんとうに申し訳ありません」

「隠す? 何を?」

「実は私には、もうすでに心を決めている方がいるのです」

「なん……だと」


 アルベルト様の手から力が抜けて、私の腕が解放される。

 ほっと溜息を吐くと、私は後ろに下がった。


「だから、皇子殿下の気持ちに応えることはできないのです」

「……誰だ?」


 低い声でで、アルベルト様が問いかけてきた。そのあまりにも険しい顔に、過ぎ去りし未来での最期を思い出す。

 蔑むような、冷たい視線。

 ――そうか、彼はこの頃から、私のことなんて、なんとも思っていなかったんだ。


「ラウラ嬢。あなたが想いを寄せている人を、教えてくれないか」

「ふ、拭くものをお持ちします」


 開いたままになっているテラスの扉から、私は逃げるように会場に戻った。


「待て!」


 アルベルト様の呼び止める声を全力で無視すると、人の合間を早歩きでテラスから遠ざかろうとする。


「待て、ラウラ嬢!」


 ああ、それなのになぜ、アルベルト様を追いかけてくるのだろうか。

 アルベルト様の呼び声に、周囲にいた貴族が何事かとこちらに視線を寄こす。


 私はどうすればいいのだろうか。

 どうにかこの場を脱しないといけないのに、いい案が思いつかない。


「あ」


 ふと、脳裏にある案が浮かんだ。


 視線の先に顔見知りの令息を見つける。

 彼なら、私の嘘に付き合ってくれるかもしれない。


「ラウラ嬢! 待ってくれ!」


 背後からのアルベルト様の呼びかけに、目をギュッとつぶる。

 そして、私は先ほどの令息と思われる人物の腕を掴むと、「いまだけ話を合わせてください」と頼んだ。

 彼の腕を引き寄せて、私はアルベルト様と向き直る。


「皇子殿下、申し訳ありません。私はもう、この方と婚約を前提にお付き合いをさせていただいているのです」


 言い放ち、顔を上げると、アルベルト様は驚愕の面持ちでこちらを見ていた。


「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」


 私は小声で、腕を掴んでいる令息に声を掛けるが、なぜか言葉は返ってこない。

 同時に、周囲の様子がおかしいことに気づく。


 アルベルト様の顔が見る見るうちに蒼白になっていく。碧い瞳の瞳孔が開いているんじゃないかというぐらい大きくなり、はしたなく口も半開きになっている。バケモノを見た、と言ったような形相だ。


 周囲もやけに静かになっていた。さっきまで優美な音楽に合わせて優雅に踊っていた貴族たちが、ひとり、また一人と足を止めては、アルベルト様と同じような顔をして、私を――いや、私が腕を抱き寄せた人物に視線を向けている。


 背中を這い上がる悪寒を感じた。

 嫌な予感がして顔を上げると、眉間に皺を寄せて私をにらみつける、灰色の瞳と目が合った。


「……婚約?」


 ボソッと呟いた声は、怒りを堪えるように低く、冷ややかだった。

 冷水を浴びせられたように、私の全身が震える。


 ああ、どうして私は、この方の腕を抱き寄せてしまったのだろうか。


 この帝国には、皇帝と公爵の間に、もうひとつ特別な爵位を授けられている家系がある。

 隣国と接する北の大地を治める領主で、この帝国唯一の「大公」。

 ランデンス大公家。


 そして現在の大公には、怖ろしい異名があった。


 血濡れの大公様。戦闘狂の大公様。

 血も涙もない冷酷無慈悲な大公様。

 この帝国で最も危険で、最も関わりたくない貴族ナンバーワン。


 そんな方の腕を抱き寄せてしまうなんて、私はどうしてこんなにも運がないのだろうか。


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