10.舞踏会にて
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馬車が皇宮に着くころには、空はすっかり夕闇に包まれていた。
クララは皇太子の婚約者としての準備があるから早くに皇宮に入っている。カルロスお兄様も騎士の正装姿で昼頃には皇宮に向かってしまった。騎士団の集まりがあると言っていたのだけれど、過ぎ去りし未来では屋敷から一緒に向かっていたのにどうしたのだろうか。
馬車から降りると、私とユリウスお兄様は一緒に舞踏会の会場に向かった。
「緊張してるのかい?」
「はい。舞踏会ではいつも緊張しますが、今日はユリウスお兄様が一緒に居てくれるので、心強いです」
「そう。じゃあ、なるべく傍にいるよ」
そう言って微笑むユリウスお兄様だけど、多分一時間もしないうちに庭園に行ってしまうような気がする。
私たちは舞踏会の会場に入場すると、顔見知りの人たちと軽く挨拶を交わした。
「あら、今日の桃色のドレス、ラウラ様にとてもよくお似合いですわ」
「そうだろう?」
私へのお世辞に、なぜかユリウスお兄様が得意げな顔している。
今日の私のドレスは、私の髪色に合わせたものだった。桜を散らしたような桃色のドレスに、ネックレスはドレスに合わせてサファイアの宝石が輝いている。
ちなみにユリウスお兄様の装いはあまりにも全身が白くて、会場の灯りよりも輝いている。
「帝国の小さき太陽、レオナルト・スカーニャ皇太子殿下と、その婚約者クララ・ボタニーア嬢のご入場です!」
響き渡る声に、舞踏会会場が一気に静かになる。
視線は会場の入口に一斉に向けられて、私もつられてそちらを見る。
太陽のように明るい橙色を光に溶かしたような淡い金髪の青年――皇太子のレオナルト殿下。皇族の正装をしていて、それがよりいっそう彼の輝きを引き立てている。
レオナルト様は、白い絹に菫の花を浮かべたような薄い菫色の髪の令嬢――妹のクララをエスコートしている。ドレスは太陽の光に合わせた黄色で、ネックレスは皇太子殿下の瞳の色を模したルビーが輝いている。婚約者として、クララが目を輝かせながら選んだ物だった。
「続いて、帝国の太陽皇帝陛下と、皇后陛下――並びに、帝国の二つ目の小さな太陽――アルベルト・スカーニャ殿下のご入場です!」
アルベルト様。
彼の名前を聞くと、全身が震えてしまう。
アルベルト様はレオナルト様と同じような太陽を溶かした金色の髪を、女性のように伸ばしている。その姿は中性的にも見て取れて、いつも表情を崩さない皇太子殿下と違って人当たりの良い笑顔を浮かべる第二皇子殿下は、貴族令嬢たちの間で人気を集めていた。
皇帝陛下と皇后陛下の後ろを歩きながらも、アルベルト様は周囲の令嬢ににこやかに手を振っている。凛とした表情でクララをエスコートしているレオナルト様とは真逆の対応に、令嬢たちが色めき立つ。
「すごい人気だよね、アルベルト様。……あれ、ラウラ? すごい汗だけど、大丈夫?」
ユリウスお兄様の問いかけに、私は自分が汗だくなことに気づいた。緊張から握りしめていた右手を開くと、掌に爪の後がくっきり残っている。
「心配かけてごめんなさい。ちょっと会場が暑いみたいで」
「まあ、もう夏だからなぁ。挨拶が終わったら、テラスに出て涼もうか」
ユリウスお兄様の提案に、私は頷く。
両陛下と皇太子の一声により、舞踏会が幕を開ける。
私たちは皇族に挨拶を済ませると、解放されているテラスに向かった。
「ここで待っていてね、飲み物を持ってくるから」
「ありがとうございます」
夜だからか、頬を撫でる風が心地いい。
アルベルト様を見て平静でいられなかった自分が少し悔しい。挨拶の時もまともに顔を見ることができず、もしかしたら声が震えていたかもしれない。
いまの私には何もない。過ぎ去りし未来の記憶があるだけで聖女としての力はないのだから、アルベルト様の目に止まるわけがない。だから大丈夫と、安心できるはずなのに。
背後で足音がした。
「あ、お兄様。飲み物をありがとうございま――」
ユリウスお兄様が帰ってきたと思ったのに、振り返った先を見て私は息を呑んだ。
そこにいたのは金髪を女性のように背中まで伸ばしている、人の好いにこやかな笑顔を浮かべた、スカーニャ帝国の第二皇子殿下――アルベルト様だった。
どうして。という言葉が出かかるのをぐっと堪えて、私はスカートを摘まんで挨拶をする。
「だ、第二皇子殿下にご挨拶申し上げます」
「いやいや、そんなにかしこまらなくていいぞ。ラウラ嬢」
「お、恐れ入ります」
声が震えている。まさかこんなところに、アルベルト様が現れるなんて。
「どうしてここに、みたいな顔をしているな」
フッと柔らかい笑みで、アルベルト様は両手に持っているグラスを掲げる。
「ついさっきそこでユリウスを見つけてな、庭園が解放されていると教えてあげたんだ。そうしたらこれを俺に渡してきて、妹を――ラウラ嬢をよろしくって頼まれたんだ。ということで、ほれ」
グラスをアルベルト様から渡される。思わず受け取ってしまい、慌てて頭を下げた。
「あ、ありがとうございます」
「だからそう畏まるなって。俺は第二皇子だが、ボタニーア家は、ほら特別だろ?」
聖女の生まれる家系、ということだろうか。
聖女はボタニーアの血筋を受け継ぐ者にしか生まれない。その血筋を守るために、昔は近親婚もあったと聞く。それはボタニーア家だけではなく他の貴族の家系でも多くみられたらしいが、近親婚で産まれた子供は長生きできないことがわかり、いまでは廃れた風習だ。
「公の場で挨拶はしたことがあっても、ラウラ嬢とはまともに話したことがなかったからな。言葉を交わしてみたかったんだ」
私を安心させるような言葉遣いに、私は過ぎ去りし日を重ねる。
たしかあの時もいまと似たように、アルベルト様は話しかけてきた。
『――憂いを感じるような顔をしていると思ってな。俺でよければ、悩みを聞かせてくれないか?』
あの時の私は、戦争に赴かなければいけない不安を抱えていた。
『聖女としての務めは理解しています。でも戦争に行くのが怖ろしくって……』
『そうか、確かに怖いよな。俺も初めて戦場に立ったのは一年前のことだ。といっても、小さな小競り合いに参加しただけなのだが、あの時は結構しんどかったからなぁ。だからラウラ嬢の気持ちは、よくわかる』
優しく気遣うようなアルベルト様の言葉に、私は少し救われたような気持になった。それでもまだ不安が拭えなくって、私はつい彼に訊いたのだ。
『私に聖女としての務めが果たせるのでしょうか』
すると、突然彼は跪いた。皇族の彼が跪いたことに狼狽えていると、彼はそっと私の手を取り、私の目を見つめながら言ったのだ。
『ラウラ嬢。あなたを、傍で護らせてはくれないか?』
『え……』
『騎士としての誓いだ。本来なら伴侶や家族に捧げるものなのだが、ラウラ嬢があまりにも儚く見えてな。どうしても護ってやりたくなったんだ』
驚く私に、アルベルト様は真剣な面持ちで、そっと手の甲に口づけをして、それから満面の笑顔を浮かべた。
そしてその数日後、私は彼の婚約者になったのだ。