4 乗りかかった船、というのだ
「やはり、どんな女性か直接会って確かめたい。ろくなもんじゃないにしてもな」
焼き菓子をかじりながら、ラウリは言う。
「だが、王宮に呼びつける訳にはいかないだろう」
それこそ、王子との仲が露見してしまう。
ラウリはもぐもぐと菓子を飲み込んでから、意を決したように切り出す。
「……なあアレックス……前々から聞きたいことがあったのだが……」
「なんのことだ」
「さっきも、毒を視ようとしていただろう?」
「!!」
アレクサンドラは咄嗟に立ち上がって間合いを取り、剣の握りに手を掛ける。
「うん。その殺気はしまって欲しいが」
対するラウリは、ほとばしる殺気を真正面から受け止めつつも、両手を軽く挙げる姿勢で苦笑する。
「貴様っ」
「もう、お互いに打ち明けないか? 愛しい人よ」
「なにをだ」
「この機会に、貴女と秘密を共有したいんだ」
「意味がわからん」
「貴女の本当の心に触れるためには、それしかないだろう」
ラウリの持つ雰囲気は変わらない。
いつも通り飄々と、声質も軽く明るい。だが、その言葉は――
「私は、いつだって真剣だ。貴女と共に在りたい」
ずしん、とアレクサンドラの肩にのしかかった。
「っ」
「今までは、その『気づかないフリ』にも付き合ってきたが。それではアレクサンドラの『特別』には絶対になれない。そうだろう?」
「な、ぜ……そこまでして」
「貴女がいつも、由来の分からない苦しみの中にいるみたいだから、とでも言おうか」
「気障な詩人のようだな」
精一杯のアレクサンドラの嫌味は、
「俺とおなじで」
その一言で一蹴された。
――さあっ、と黒い霧が空中に霧散したかと思うと、目の前に現れたのは。
つややかな黒髪に、燃える夕日のような赤く鋭い目。薄い唇は少し口角を上げていることで、自信に満ち溢れた表情に見える。
分厚い体躯で、椅子に腰かけているが、高身長であることはすぐにわかった。
普段はアレクサンドラと目線の変わらない、ひょろひょろな中肉中背の宰相が、あっという間に覇気をまとう美丈夫に変身している。
「……、それが、本来の姿か」
「そうだ」
「声まで」
低音で腹に響く。
「ふ。驚いた顔もまた、美しいな」
「きさまっ」
性格は、変わらないらしい。
「俺に愛されてくれないか、アレクサンドラ」
いつも分厚い眼鏡の向こうでへらへら笑っていた男が、自信満々なオーラで口説いてくるのを、いったい誰が想像できただろうか。
「これを知っているのは、ごくごく一部の人間だけだ」
「どうだか」
「誰にも本当の自分を見せずに生きる辛さを、俺は知っている」
――やめてくれ。
「責める気は、ない。ただその苦しみを、一緒に持たせて欲しいのだ」
「っ、無理だ」
「分かるさ……怖いだろう。だから、先に見せることにした。今はそれだけ、覚えておいてくれ」
何度か瞬きをする間に、いつものラウリに戻っている。――目を凝らしても、先程の男の姿は見えない。
「今までも、これからも。私の気持ちが本当なのは、信じて欲しい」
顔を合わせるたびに、好きだ、美しい、デートしよう、と言われてきた。ただの挨拶だ、本気では無い、とまともに取り合わなかったのは――自身の弱さからだというのは、自覚している。
混乱。戸惑い。心を許したい気持ちと、警戒心。それから、恐怖。
珍しく戸惑うアレクサンドラの様子を、ラウリは眉間にしわを寄せて、眺める。
「やはり困らせてしまうな。私らしくない、こんな……感情的なのは」
「ラウリ……」
「アレックスが、あんなにくだらない悩み事なのに、真剣に考えているのが分かったら――なんだか愛しくてたまらなくなってしまったのだ。止められなかった」
「くだらない、とは思っているぞ」
「ふは。でも、羨ましいと思っただろう?」
――見抜かれるのには、慣れていない。
「人を好きになることは、それだけでとても幸せなことだ。私は幸いにも、それを貴女からもらうことができた。だから、貴女もそうなって欲しいと願っている」
「……貴様の願いが本心だというのは、分かっている。だが」
「当然、今は良いよ」
「勝手に先回りするな――私の苦しみと言ったか。それを、ひとつだけ暴露しよう」
ラウリが、驚愕で息を止めたのが分かった。
「っ、ちょっと待てアレックス、そんな簡単に……いいのか?」
「貴様の偽りの姿は、見抜けない。だが、貴様は嘘をつけない」
「!!」
ラウリの先ほどの言葉は、重石でも重圧でもない。
心強い、盾だ。
――そう思ってしまった時点で、私の負けだろう。認めたくはないし、言うつもりもないが。
「試しに、あからさまな嘘をついてみてくれないか」
「それなら……うん。私はアレックスのことなんて、愛していないよ」
「……」
ラウリの周辺の空気が醜く歪む。
明らかに、嘘の空気だ。ニヤついているその頬を殴りつけたい気持ちを、アレクサンドラはかろうじて抑えた。
「まったく、どうしようもない奴だな……貴様の言う通り、私には視える。この能力は恐らく」
「全能の目」
「! やはり知っていたか」
「予想して、この変化魔法に対策を施した。その目でも見破れないだろう? これでもかなり苦労しているからな。アレックスのは、光属性の究極スキルさ」
「ふ。光と闇なら、相反するものだな」
ラウリがきょとりとした。
「だからいいんじゃないか」
「え?」
「違うからこそ、惹かれ合う」
「……喉が渇いたな」
アレクサンドラはラウリの発言を当然無視して、どかり、と無作法に椅子に腰かけた。
「じゃあ、元に戻そう」
ぱちん、とラウリが指をはじくと、ポットの口から湯気が立つ。
「宰相が闇魔法使いとはな……『消費を消す』か」
「その通り。そしてまあ、私のこれからの提案なんだけどね」
トポトポと手ずからハーブティーを注ぎながら、ニヤリと笑う男は、ただ面白がっているようにしか見えない。
「潜入しようと思って」
「は?」
「学院に、学生として」
「容姿を偽れるとはいえ、易々と入れる場所ではないぞ? 名前と身分を偽造するのか?」
エッジワース学院は、貴族の子息が通う。その警護体制も、受け入れる基準も、この上なく厳しい。
「それなんだが、もうひとつの私の秘密を、暴露しなければならなくなる」
「……」
「どうする?」
「愚問だな、ラウリ」
あえて見せつけるように、グサリとアップルパイにフォークを突き立てながら、アレクサンドラは不敵に笑った。
そのまま身を乗り出すようにして、『乗りかかった船には躊躇わずに乗るのが信条だ』と説くと、
「アレクサンドラ! やはり貴女は最高だな」
ラウリは破顔した。
アップルパイは、一口で食べた――美味しかった。
お読み頂き、ありがとうございました!
本日の一殺:アップルパイ(刺殺)
理由:ドヤ顔のため