〜私が出会った「大切なもの」〜
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「ピリリリリリリリッピリリリリリリリリ」
無機質な電子音が耳に響く。
はっと目を開けると、見覚えのある天井が目に入った。
開け放たれた窓から眩しいほどの日差しが差し込んでいる。
起き上がってあたりを見回すと、そこは見慣れた自分の部屋だった
あれ、あの水晶はどこに…
水晶を握ったはずの自分の手のひらを眺めるがそこにはなにもない。
私が状況を理解できずに呆然としていると、
「にちかーー降りてきなさい!」
母のはっきりとした大きな声が階下から聞こえてくる。
「今行くよーー」
反射的にそう返し、私はようやく状況を理解した。
あれは夢だったのだ、よくある夢オチというやつである。
スマホの目覚ましアラームを止め、ベッドからむくりと身を起こす。
寝間着を脱いでようやく慣れてきた制服に袖を通す。
階段を降りて洗面所へと向かう。
寝起きでボサボサの長い金髪を櫛でなめらかに溶かし、ヘアゴムで手早く結ぶ。
それにしてもあの夢は何だったんだろう、鏡に写った自分を見つめながらふと考える。
妙に現実感がある夢だった。
洞窟の中の暗闇と静寂、足にしみる水の冷たさ、虹色に輝く水晶。
あの夢に出てきたすべてが、今も私の脳裏に深く焼き付いている。
もしかしたらなにかの予知夢かもしれない。
・・・誰もいない洞窟の神社ってなにそれ神秘的!
この前見た映画でも、ヒロインが誰もいない廃ビルの上の神社から不思議な力を得ていた。
それにアニメや小説は、こういうリアルな夢から物語が始まるものが多い。
もしかしたら、あんなことやこんなことが……
ってだめだめ!
とりとめのない妄想に歯止めをかける。
私、完全に小説とアニメの観すぎじゃん。
これから私の身にファンタジー的ななにかが起こるかもしれないというありもしない期待に胸を膨らませながら私はリビングのとを勢いよく開けた。
「起きるの遅いわよ、早く朝食を済ませなさい。学校に遅れるわよー。」
キッチンで何やら作業をしている母が少しぶっきらぼうに言う。
「え、もうそんな時間?」
壁にかかった時計を見るともう7時25分、後10分もしないうちにバスが来てしまう。
やばいやばいと焦りながら高校のカバンに教科書やノートを詰め込む。
妄想を膨らましている間に、随分と時間が立っていたようだ。
高校に入ってまだ1度も遅刻も欠席もしたことないのに、このままでは皆勤賞は厳しそうである。
初めて遅刻するかもしれないという事態に陥り、かなりテンパっててしまう。
あーどうしよう、遅刻は絶対にイヤだ。小中学校から一度も休まなかった私の努力が水の泡になってしまう。それだけは何がなんでも阻止したい!
大丈夫だ、急げばまだ間に合う。と自分自身に言い聞かせる。
「焦って事故にあったりしないようにね、ほんとにあなたってせっかちなんだから」
バタバタしている私を見かねて母は言う。
「言われなくても気をつけまーす、それじゃあ!」
椅子の上に置いていたカバンを素早く肩にかけ、
「いってきまーす」ガチャリと玄関のドアを開けて走り出す。
「いってらっしゃ~い、気をつけてね。」母の声が背中から遠ざかる。
もう7月だからだろうか、朝だと言うのに少し蒸し暑い。
空には雲がかかり始めていて、雲の間から少し薄らいだ太陽の光が差し込んでいる。
はあはあと肩で息をしながら腕に巻いた小さな腕時計を見る。
今は7時29分、バスが来るのは32分、このまま走り続ければぎりぎり間に合うかもしれない。
全力で走っているせいで、横腹がきりりと痛み始める。
ジージーというセミの騒がしい鳴き声がそこら中から聞こえてくる。
大粒の生ぬるい汗が私の頬を流れていく。
スピードを落とさないように体を傾けながら曲がり角を走り抜けると、
プラスチックでできた茶色い雨避けとバス停の看板が視界に入った。
見えた!バス停だ!
向こうからバスが走ってきているのが見える。
うおおお、と心の中で雄叫びを上げながら最後の力を振り絞って足に力を入れる。
看板に段々と近づいていく、あと15メートル、10メートル、5メートル。
ギリギリセーフ!私はバスとともにバス停に滑り込み、ポケットから定期を出す。
ピピッと定期をタッチし、どんよりと重い体に鞭打って私はバスに乗り込む。
うへぇ、走りすぎて気持ち悪い。
気持ち悪さをかき消すように私は水筒の水を喉に流し込むと、
段々と吐き気が収まっていった。
奇跡的に空いている席にふぅ、とため息をつきながら腰を下ろす。
立ち並ぶビルの間をバスは縫うようにゆっくりと進んでいく。
朝の通勤ラッシュで中は人でごった返しており、夏の暑さもあってか少し息苦しさを感じる。
普通に疲れた。
何しろ普段10くらいかけていく道のりをたった3分で走ってきたのである。
文化部で普段から運動とは無縁の私にとって、これはキツイ。
息を整えようと何度か深呼吸をする。
心臓はまだバクバクとはねている。
やっぱりこれからはファンタジー物を見るのは控えようと反省する。
このままだと今朝みたいに色々妄想してしまって、日常生活に支障が出てしまう。
[まもなく都立高校前、都立高校前です。お降りになられる方は降車ボタンを押してください。]
無機質な合成音声がいつものバス停に着くことを知らせる。
都立高校前とは言っても高校の最寄りにあるだけで、高校まではさらに1キロほど歩かなければならない。
そんなに離れているのになぜ高校前と名付けたのかと、お偉いさんに文句を言いたい。
私はぐったりと手すりに体を預けながら降車ボタンを押す。
[次、停まります。安全のためバスが完全に停車してから席をお立ちください。]
緩やかに停車し、扉が開く。
バスから降りると底抜けに明るい声が私を迎える。
「おっはよーにちか、今日はなんだか蒸し暑いね!」
茶髪でボブの女子高生が手を振りながらこちらへ近づいてくる。
彼女の周りの空気が心なしかぱっと明るくなる。
その後ろには目付きの悪い大男が困ったような顔をして続いてきた。
美宇と武彦だ。
「おはよう、美宇、武彦」
「おはよう、にちか君。」武彦が穏やかそうな声で頭を軽く下げる。
今日も彼は礼儀正しい。
「あれーにちか〜〜?」
美宇が私の顔を覗き込みながら言う。
「何、美宇?私の顔になんかついてる?」
「そうじゃなくて、なんか顔色悪くない?あ〜さては朝ごはんちゃんと食べなかったなぁ〜?」
いきなり指摘されてぎくりとする。
図星だ。
遅刻しそうで焦っていたから今朝は朝ごはんを抜いてきた。
はっきり言っていま空腹でおなかが痛い。
「まさかいつもの時間に遅れそうで朝食を抜いてきたんじゃないよな?」
真剣な眼差しの武彦に言われてまたぎくりとする。
またまた図星だ。
出会って早々なんなの?この人たちエスパーなの?
百発百中で当てられ流石に動揺してしまう。
二人は真顔でこちらを見つめ、無言で返事を要求してくる。
もうこうなったら観念して言うしかない。
「あっあの、全部当たってます…」
「やっぱりか〜なんか元気ないなと思ったもん」
美宇がやれやれとため息を付きながら言う。
というかそれに関しては美宇が元気すぎな気がする。
多分、いや絶対。
「それにしても朝食抜きはまずいでしょ、エネルギー補給なしでどうやって今日乗り切るつもりだったの?」
「あはは、ごめんごめん。ちょっと考え事としてたら時間立っちゃって…」
「にちか君、別に遅刻しそうだったらそこまでして急がなくてもいいんだぞ?待ち合わせなんて大した約束じゃないんだし。」
「うん、いやぁなんか心配かけちゃってごめんね。」
「にちかって変に真面目な所あるよな〜困ったもんだよ。」
美宇がカバンをゴソゴソと漁りながら言う。
何をするつもりなんだろう。
「にーちか、目を閉じて。」
「え、何?急にどうしたの?」
ふと美宇の右手に目をやると、カバンでなにか隠している。
・・・・さてはなにか企んでいるな?
美宇は結構お茶目でいたずら好きだ。
羽目を外して先生を叱られることもしばしばである。
私もカバンの中に人間の手を入れられたり、(よくみたらマネキン人形のそれだった)
ノートに怖い絵を落書きされたりして何度か絶叫した事があるので、美宇がいたずらをしてくるときが何となく分かるようになっていた。
そして今の美宇はいたずらをしてくるときの目をしている。
よし!いたずらだろうがなんだろうがどんと来い!と私を覚悟を決め、
私はギュッと目をつむった。
んぐっ
口に何やら柔らかいものを押し込まれる。
小麦粉のかすかな香ばしさとふんわりとした食感、しつこすぎない程度の甘さが口いっぱいに広がっていく。
多分ケーキのスポンジだ。中には小豆色で寒天みたいなものがサンドイッチのように挟まれている。
…なんだろう
「にちか〜シベリアはうまいぞ〜」
ムフフと満足そうに美宇が笑う。
…ああ、シベリアか。ケーキかと思った。
ふわりと甘いスポンジに羊羹のしっとりした上品な小豆の味が後を引く。
美味しい。
飲み込んだ後も小豆の風味が残る。
空腹の痛みがすうっと引いていく。
「ありがとう美宇、なんかすごい美味しかった」
「へへへ、良かった。実はこれ喫茶店で買ってきたやつなんだよ。」
「ええそうなの?、どこの喫茶店のやつ?」
「昨日美宇と錦木町の喫茶店に行った時買ったんだ。こんどにちか君も連れて行ってあげるよ」武彦もどこか満足げな顔で言う。
「そうそう、そこの喫茶店落ち着いた雰囲気ですごい居心地良かったんだよね〜スイーツも和風ですごく美味しかったんだよ。」
「へーそうなんだ〜、気になるから今度必ず連れて行ってね?」
「おーけー!じゃあ夏休み一緒に行こうか!」
・・・ていうか私抜きで美宇が出かけるなんて珍しいなぁ。
普段なら「にちかがいないとつまらなぃ〜」とか言って絶対一緒に行きたがるのに。
これはもしかして…
(私抜きのお出かけ≒武彦と美宇のふたりきり✕おしゃれな喫茶店=デート!?)
もしかしたらこれはデートなのではないか?
てだめだ私、また妄想しちゃってる。
まあいいや、気になったから聞いてみよう。
「ねーそれより美宇」
彼女だけに聞こえるようにヒソヒソ声で話しかける。
「ん?なんだ?人前でいう事がはばかられるようなちょっとアレな内容の話か?」
「いや違う、そうじゃなくて。」
てかアレな内容ってなんだよ…。
武彦の方をちらりとよく目で確認すると、彼は眠そうな目でスマホをみている。
誰かとラインでやり取りしているのだろう。
今が好機だ。
武彦に会話が聞かれない場所まで美宇を引っ張っていく。
「なになに、本当にどうしたの?」
「美宇、やるじゃん。武彦デートに連れ出せるなんて成長したね〜」
少し意地悪な口調でからかってみる。
「ふぇ、はぁ?いや、別にそういうのじゃないから!ただお茶しに行っただけだよ?」
耳まで真っ赤にして彼女は恥じらう。
私の予想(というより妄想)は的中したようだ。
余裕のないリアクションが可愛い。
「いいじゃんいいじゃん〜美宇の恋路、私は応援するぞ!」
「だからそういうのじゃないってば!」
私の腕を掴みながらジタバタする。
・・・必死かよ
「おい二人共、そんなところでわちゃわちゃやってないで早く行くぞ。」
「あーやばいやばい、遅刻しちゃうぅ早く行かなきゃ」
目が明後日の方向を見ている。
話のそらし方が露骨すぎないか?
まあでもあんまり突っつき回すのも質が悪いよね。
触れられたくないこともあるだろうし。
「そうだね、行こうか」
もじもじしている美宇の手を引き、武彦に遅れないように小走りに走り出す。
いつもどおりの、私達の日常。
あの夢のことはもうすっかり頭から抜けていた。