第二話 酷似の美貌
早朝に収穫した薬草を医局に届けた後、私はルーアンの執務室へと向かっていた。勤務中の人々が忙しなく行き交う中、宰相付の護衛兵・浩の元気な声が聞こえて視線を移す。
「で、こっちが護衛兵の第四詰所。規則に厳しい所だから、所属が違うと使わせてもらえないよ。書類申請で通れば使わせてもらえるけど、難しいんだよね」
「ほー。それは一回試してみる価値あるな」
茶色の短髪に翡翠色の瞳、深緑色の兵服姿のハオの隣を歩くのは、灰色狼を連想させる色の長い髪を一つに纏めたすらりと背の高い男性。濃い灰色の上着に黒い脚衣は、初めて見る兵服の色合いだった。
「え?」
ハオの隣を歩く男性の顔を見て驚いた。男性の瞳は金茶色。髪の長さと目の色以外はルーアンにそっくりで、双子と言っても良いほど似ている。
「あ、カリン! 久しぶりー!」
「お久しぶりです」
私に気が付いたハオが、こちらへと向かって歩いてきた。
「誰だ?」
「〝薬園の乙女〟のカリンだよ。カリン、こちらは新入りの路菟だよ」
薄荷の香りをほんのりと漂わせるハオの隣、ロウからは柑橘類と白瓜が混じる、透明感のある爽やかな香りが漂ってきた。
「おぉー、こいつが『陛下のお気に入り』か! すげえ上玉……ごふっ!」
目にもとまらぬ速さでハオの肘がロウの横腹にめり込んでいた。
「おい、上玉とか女の子に言うなって。失礼だろ!」
ロウは体をくの字に曲げて痛みを堪えつつも、笑っている。
「いやー、すまんな。俺は口が悪い。直そうとはしてるんだが、失敗してばかりだ」
ルーアンそっくりの綺麗な顔に粗野な口調が合わさると、その落差で奇妙な魅力が醸し出される。ルーアンが静なら、ロウは動。そんな風に感じてしまった自分に戸惑う。
「……あの……ご兄弟はいらっしゃいますか?」
「ああ。四つ下の弟がいた。赤子の頃に死んじまったけどな。何で、そんなこと聞くんだ?」
「そ、その……貴方にとても似ている方をお見掛けしたことがあって……ごめんなさい」
気軽に聞いてしまったことに後悔した。衛生管理が行き届き、薬草の知識がある香魔の村に比べると、この国全体の赤子の死亡率はかなり高いことを失念していた。それは帝都であっても似たようなもの。
「それって、ルーアンのこと?」
「……はい」
「そっか。俺も何となく似てるって思ってたんだよね。そういえば髪の色も似てるし……顔の火傷の痕が無ければそっくりかも」
ハオの言葉で思い出した。ルーアンは幻影魔法で顔に大きな火傷の痕を付けている。周囲の人々には本来の顔がわからないのだろう。
「ほー。それは会ってみたいとは思うが、顔に火傷か……ちょっと遠慮しとくか」
「何で? 挨拶くらいなら今からでも行けるよ」
「おいおい。そいつの気持ちになってみろよ。火傷してない顔にそっくりな俺見たら、悔しいって思うにきまってるだろ」
「悔しい?」
「火傷が無ければ、俺みたいな色男だったんだぜ? 悔しいに決まってるだろ」
「自分で色男っていうなよ。それだから残念なヤツって言われるんだよ」
半眼になったハオの突っ込み顔と、出会った頃のルーアンの得意満面の笑みを思い出して頬が緩む。
「お。笑うと可愛くなるな」
「カリンは、ロウに似てるルーアンの婚約者だよ」
「そりゃ残念。そいつと婚約破棄になったら、真っ先に口説きに行っていいか?」
「お断りします!」
冗談でも笑えない。きっぱりと即答した私を、ハオとロウが驚いたような顔をしてみている。
「……何か?」
「え、意外というか、怒ったのを初めて見たっていうか……」
怒ってはいないけれど、そんな風に見えてしまったのか。ハオの言葉で少し恥ずかしくなってきたところで、ロウが口を開いた。
「凛々しくていいじゃねえか。俺は、はっきり物を言える女が好みなんだ。未来の伴侶に立候補しとくから、気が向いたら声掛けてくれ。俺はいつでも待ってるからな」
「声なんて掛けません。私の事は忘れて下さい」
「おー、冷たい冷たい」
ルーアンと同じ顔でげらげらと笑うロウに、戸惑いを感じる。せっかく綺麗な顔なのにという残念な気持ちと、明るい笑いが親しみの気持ちを生じさせる。
「用事がありますので、失礼します」
「そりゃ残念。またな、カリン」
白い歯を見せて明るく笑うロウの顔を見て、何故か胸がどきりとした。内心慌てながら会釈して、私はルーアンの執務室へと早足で歩き出した。
◆
ルーアンの執務室で花茶を淹れ、二人きりでお茶を飲んでいると気持ちが落ち着いてきた。ほっと息を吐くと窓の外、遠くであっても相変わらず監視者がいて、しっかりと存在を示している。
「……もういっそのこと、お茶にお誘いしようかと思いますよ」
うんざりとした声でルーアンが苦笑する。
「そうですね。お疲れでしょうから、眠くなるお茶も用意できます」
私が返した冗談に、ルーアンが優しく笑った。同じ笑顔でも、ロウとルーアンは違いがあり過ぎると思う。
「先ほど、ハオとロウという方にお会いしました。濃い灰色の上着に黒い脚衣の兵服は、何か意味がありますか?」
色彩豊かな王宮の中、髪の色も相まって、まるでそこだけが墨絵のようで印象的だった。新人でも、見習いでもその他でも、この六年間で見たことのない色合いで気になった。
「……濃い灰色の上着に黒い脚衣……? それは……ハオが着ていましたか?」
「いいえ。ロウという新人の方が着ていました」
ルーアンの目に戸惑いの色が見えた。しばらくの沈黙の後、ゆっくりと口を開く。
「…………二百年程前、当時の第五皇子が反乱を起こした際、反乱軍がその色の兵服を着ていました。元は辺境を護る兵団の制服の色で、今はその組み合わせは兵服の忌み色として避けられているはずですが……王宮内で着用しているのなら、支給されたものでしょう。……まぁ、その話を知っている者が今の王宮にはいないだけかもしれませんねえ」
「皇子の反乱があったのですか?」
「はい。ですが、隠蔽されてきましたので、詳細を知っている者は少ないでしょう。反乱軍の兵服の色となると、完全に忘れ去られている可能性はあります」
ルーアンは膨大な数の書物から、その情報を得ていた。反乱という重大情報を隠蔽しても、細切れになった情報の断片が記録として残っていることもある。
「ロウは全国を巡回する官位試験で今年、合格した方ですね。これまで応募しなかったのは、幼少の頃から、商人の護衛として働いていて、その商人が亡くなったので、帝都に行きたくなったと本人の直筆で理由が書かれていました」
きっとその商人に恩義を感じて働いていたのだろう。そう思うと、粗野で口が悪くても、良い人のように思えてきた。
「……最初から武官希望なら、人並以上の体力と最低限の読み書きが出来れば通りますからね。ロウは加えて護衛の経験と剣術の腕がありました。ハオと互角の勝負をしたそうで、陛下の近衛兵への登用も検討されたようですが、言動が粗野という理由で落とされています」
言動が粗野。それはロウと話した誰もが思うことだろう。それでも興味が惹かれるのは、それだけの魅力が本人にあるということか。
「ハオは強いのですか?」
「とても強いですよ。言動が洗練されれば、間違いなく近衛兵入りでしょう。近衛兵には武力だけでなく、教養と機知が必要とされています。……本が苦手で、頭を使う近衛兵になりたくないから、言動を矯正しないとハオ本人が言っていました」
それはとてもハオらしいと思う。
「ロウに興味があるのですか?」
完全に拗ねた顔のルーアンが可愛く見えて頬が緩む。
「興味というか……あの……ルーアンと顔がそっくりで驚いてしまって」
「顔が?」
「ええ。目の色以外は、双子と言ってもいいくらいです」
本当によく似ていると思う。双子でも目の色が違うこともあるから、もしかしたらルーアンの兄弟なのではないかと思った。
「もしかしたらと思ったのですが、ロウの兄弟は四つ下の弟さんだけで、その弟さんは赤子の頃に亡くなったと」
「………………ロウは二十二歳と書類に書かれていました。私は十八です」
そうだった。ルーアンは十八には見えない、年上顔だと思い出した。
「ルーアン?」
口を引き結んで黙り込んだルーアンの揺れる視線はこれまでにないもので、心配になる。そっと手に触れると、両手で握り返された。
「全く突然のことで、動揺しています。本当の家族のことは諦めていましたので」
それはきっと嘘。ルーアンは出自を示す唯一の品〝精麗の雫〟を今も身に着けていて、心の底では本当の家族を知りたいと思っているのだと思う。
「でも、ただ似ているだけかもしれません」
「それでも構いませんよ。私の顔に似ているというのなら貴重ですからね。仲良くなれるかもしれません」
ルーアンの得意満面の笑みを見ていると、ロウの自信満々の言葉を思い出す。
「どうしました?」
「ロウもご自分のことを色男と仰っていたので」
これは本当に兄弟かもしれないと笑ってしまう。
「色男? ……まさか、ロウに口説かれていませんよね?」
「大丈夫です。断りました」
正直に答えた瞬間、しまったと後悔しても遅かった。
「撤回します。ロウと仲良くなどなりません。カリンの婚約者は私です。いいですか、私ですよ?」
常日頃の冷静沈着な表情はどこへやら。あまりにも必死な顔で念押しするルーアンが何故か可愛く思えてしまう。
「ルーアン、落ち着いて下さい」
「これが落ち着いていられますかっ。そうだ、護符を増やしましょう。虫除けですっ」
冷静さを失ったルーアンを宥めつつ、私は、ルーアンの本当の家族が見つかるようにと願っていた。




