トイレ掃除中の猫獣人です。何故か婚約破棄中の王子殿下に肩を抱かれているのですがどうしたらいいかわかりません。
タイトルそのままな話です。
おかしいな。
何がどうしてこうなった……私、さっきまでトイレ掃除してた筈なんですが。
「ミラ・フォン・ベルムバッハ!私は君との婚約を破棄して彼女と結婚する!君には申し訳ないが、私は真実の愛を知ってしまったのだ!」
貴族達の多く通う王立学園。
今日はそこで夏休みに入る前の軽めのパーティーが開かれている。
優雅な音楽と煌びやかな衣装に彩られた、そこは実に華麗で素敵な空間だった。
その場に不似合いな大声が響き渡るまでは。
目の前には、豪奢な金髪に縁取られたエメラルドグリーンの瞳の美しい令嬢が驚きに目を丸くしたまま立ち尽くしている。
彼女がどうやら先程名前を呼ばれたご令嬢なのだろう。
ベルムバッハといえば由緒ある侯爵家で、私でも名前を知っている程の名家のご令嬢だ。
「リアム殿下、まずは落ち着いていただけますか?」
「私は落ち着いている!」
叫ぶ殿下の腕は、何故か私の肩に回されていて、抱き寄せようとするのを必死に抗っている状態だ。
こんなことをされても意味が分からないし、どうしていいのかさっぱり分からない。
一体どうしてこうなってしまったのか。
困惑して涙目になった私と、目の前の美しいご令嬢の視線が重なった。
こんな風に公衆の面前で『婚約破棄』と告げられて、立場を蔑ろにされたのだから辛いのはご令嬢の方だろうに、とても可哀想なものを見るような視線を向けられて私は居たたまれなくなる。
ご令嬢は深い深ーーーいため息をついて、美しいのに恐ろしく感じるという不思議な笑みを浮かべた。
「全くそうは思えませんが……とりあえず確認させて頂きますと、この状況であれば殿下の心変わりが原因ですわ。私からの婚約破棄ならばともかく、私に瑕疵がないのであれば殿下から『婚約破棄』されるのはおかしゅうございますわ』
「む、そうか。確かにミラの言う通りかもしれない」
「では『婚約解消』ということでよろしいですか?実際そのようになるかは、陛下と父に確認してからの判断になるかと思いますが」
「うむ、確かにそうだな。では婚約解消ですすめよう!」
キラキラと艶のある淡いブロンドと、宝石のように輝くサファイアブルーの瞳を持つリアム殿下は、外見だけは王道の王子様に見える。
けれど、どうも今までのやり取りを見ていると、オツムが足りない方であるようだった。
教え諭すように話している婚約者であるベルムバッハ侯爵令嬢が、これまでもこのような苦労をしてきたのだろうと思うと同情を禁じえない。
互いになんともいえない視線を交わした後、ご令嬢は視線をもう一度殿下へと向けた。
「それで殿下。こちらの方はどなたでしょう?」
「彼女は、私の運命の女性だ!」
「はぁ……そちらの貴女。お名前を伺える?それと、状況が分からないので説明頂いても宜しくて?」
隣に立つリアム殿下は、至って普通に見えるのに全然話が通じない。
そもそもなんですか、その運命の女性って。
こちらは全くそんな運命など感じてないどころか、今現在も裸足でここから逃げ出したい気持ちでいっぱいなんですが。
「は、はいっ!私はこの学園で清掃員をしております、ミーツェ・カッツェと申します」
「カッツェ?もしやカッツェ男爵家の方ですの?」
「ミーツェ、私の子猫ちゃん。ああ、なんて可愛らしい名前なのだ…」
まずは自己紹介をすると、田舎男爵家でしかない家名をご存知だったようで、こちらの方がビックリした。
流石は王子殿下の婚約者になるご令嬢は違うなぁと感心してしまう。
そんな私達の会話を聞いている殿下は、陶然とした表情で私の名前を呟いているが、間違いなくイケメンのはずなのに残念臭が酷すぎて、私もご令嬢も放置一択だ。
不敬だとは思いますが、状況が状況なのでご容赦願いたい。
「い、いえ……私は先代の男爵様の庶子なので…以前はこの学校に通っていたのですが、入学した年に父が他界した際に家から出されたもので……1年時の学費や寮費が学園に支払えず、そのまま学園で清掃員として働かせて頂いておりました」
「まあ…そうでしたの。ご苦労なさったのね。それで殿下はどうして貴女をここへ連れていらしたのか教えて頂けるかしら」
「私も良く分からないのですが……分かる範囲で宜しいでしょうか」
「もちろんよ」
こんな華やかな場所で、情けなくも惨めな身の上話をするのはどうかと思ったものの、説明しないと何故貴族令嬢がこんなところで清掃員をしているのかと問題になりそうなので仕方ない。
貴族の中の貴族であるご令嬢は私の身の上話を蔑むでもなく労わってくれた。
たとえそれが作られた態度だとしても、彼女の礼儀正しい態度は私が久しぶりに受けることができた優しさであった。
「毎年パーティーが始まるとダンスホール以外の場所は人気も少なくなるので、少し早めに掃除を済ませようと夕刻から研究室のある別棟のトイレを掃除していたのです。男性用のトイレ掃除が終わり、次は女性用をと思って廊下に出た瞬間、廊下を小走りに走って来られた殿下と私が衝突致しました」
「そうなのだ!私達はそこで運命の出会いを…」
「で・ん・か?ご自身で説明出来ぬのであれば、殿下は少々口を閉じておいて頂けますか?」
「……す、済まぬ」
「ごめんなさいね。ミーツェさん続きをお願いできます?」
話の途中でいらない合いの手を入れていたリアム殿下を、ご令嬢はバッサリと切り捨てた。
いやもう気持ちいいレベルの潔さ。
言われた方の殿下も、狐の前に連れ出された子ウサギのように長身を小さくして項垂れた。
これまでの関係性が良くわかるというものだ。
「はい。その時、殿下が手に持っておられた小瓶が手を離れて宙を舞い……どういう偶然か、丁度床に倒れていらした殿下の口に、その瓶の中の液体が流れ込んでしまったのです」
「つまり、その薬のせいでこうなったと?」
「はぁ、おそらくは。それ以外には私はこれまで殿下と接触することすらございませんでしたから」
「なるほど。それで殿下……その液体はなんだったのですか?」
「は?!液体?知らぬぞ…な、なんのことだ?」
いかにも嘘ついていますよと子供でも分かるレベルで分かり易くどもりながら、声が裏返り目線はキョロキョロとあちこちを見ている。
その時その場にいた全員が同じことを思っただろう。
王子下手糞かよ!と。
王族なのにそんなに感情隠せなくてこれまでよく平気でしたねと、既に貴族ともいえない私ですら思ってしまう。
「ミーツェさんは、その液体が何か分かりまして?」
「いいえ。でも中身は分かりませんが、その瓶は一応回収しております。そのままではゴミになりますので……こちらの瓶になります」
「流石は学園の清掃員の方ですわね。あら?あらあらまぁまぁ!!この薬は……」
エプロンのポケットから取り出したガラスの小瓶をご令嬢に手渡すと、瓶に彫られた文字や中に少し残った液体を色々な角度から眺めている。
少しとろみのある薄紅色の液体は、少しだけ甘い香りがしていた。
もしかしてと頭に浮かぶものはあったが、できれば当たって欲しくない予想だったので、私は念のため彼女の答えを聞くことにした。
「ベルムバッハ侯爵令嬢様、一体何の薬だったのでしょうか?」
「これは……おそらくこの国ではかなり以前から使用が禁じられている、愛玩奴隷に使用する為の惚れ薬ですわね」
予想してた答えよりもっと酷い答えが返ってきて、私は思わず天を仰いだ。
媚薬かなにかかと思ったら、違法薬物の惚れ薬とか……ないわぁ。
周囲の人々もご令嬢の言葉に息を呑んだ。
音楽奏者たちでさえ会話が聞こえていたらしく、さっきまで演奏されていたワルツも止まってしまっていた。
水を打ったように静かなホールの人垣の中から『ひぃぃぃぃっ』という女性の小さな悲鳴が聞こえた気がした。
「あ、愛玩奴隷用の惚れ薬ですか?!」
「ええ。この薬の悪質なところは、一度服用して効果を発揮すると二度と解毒できず、相手と引き離されると死ぬほどの苦しみを感じるところにあります。奴隷を逃げ出させないためのものですからね」
「一生……え、一生?!」
衝撃的な内容におもわず呆然とした私だったけれど、『一生リアム殿下がこのまま』だと言われて勢い良く隣に立つ殿下を振り仰いだ。
私の視線に気付いた殿下はといえば、嬉しそうに微笑を返してくるので、ますます信憑性が増してくる。
「この様子から推察するに、リアム殿下は誰かに使おうと思っていた惚れ薬を誤って自分で飲んでしまったのでしょう。そして、貴女がその対象に選ばれてしまったのですわね、きっと」
「ま、待ってください!!殿下は一生こんな感じってことですか?いやいやいや、それは無理がありますよ」
「そうはおっしゃっても、解毒できぬ以上はミーツェさんと添い遂げるか、貴女と引き離されて狂い死ぬかのどちらかですわよ?」
「そうだよ愛しのミーツェ。私は一生貴女の恋の奴隷なのさ」
選ばれてしまったのですわねとか言われても、普通に無理でしょ。
だって私、貴族令嬢だったことのあるだけのただの平民の清掃員ですよ?!
この方、いくら残念イケメンだといってもこの国の王子殿下ですよ!?
パニック寸前の私は、肩を抱き寄せるリアム殿下をグイグイと両手で押しやって、首をフルフルと左右に激しく振りながら思わず叫んでいた。
「そうはおっしゃいますけど!そもそも私、こんなですよ?!」
私の叫びに共感してか、周囲の令嬢も令息も先生方さえもコクコクと首肯している。
そう。
最初に言ったように、私はトイレ掃除の真っ最中だったのだ。
口元は大き目の飾り気のない白いマスクで隠し、髪は硬い三つ編みを左右の肩に下げて愛用の三角巾で頭を覆っている。
両手には使い古したゴム手袋をきっちり嵌め、毎日洗濯はしているものの色落ちして古さが際立つ黒いエプロンを着用していた。
エプロンの下は年季の入った木綿のシャツと、下は掃除に不便なのでスカートではなく、在学中に使用していた乗馬ズボンを作業着にしているので、下手すると男性に間違われかねない。
間違われたことがないのは、自分ではちっとも嬉しくない人様より大きな胸のせいだろう。
しかも、私は既に婚期を大幅に過ぎた29歳アラサーの雑種猫獣人だった。
貴族にも獣人はいるものの、当然のように血統書つきの毛並みの良い方ばかりである。
私は男爵だった父にも、その父に見初められたロシアンブルーのようなベルベットグレーの毛並みを持っていた美しい母にも似ていなかった。
何故か私は三毛猫獣人で、しかもカギ尻尾で……猫獣人の貴族家であるカッツェ家から放逐されても仕方のない程、あの家で私は明らかに厄介者で余所者だった。
政略結婚の駒にすら使えない庶子など、引き取って育てる価値もなかっただろうと思う。
それなのに……。
「そんな姿でも君は美しい!僕の可愛いミーツェ、結婚しておくれ!」
「殿下、あまり急に迫ってもミーツェさんが困ってしまいますわよ」
「そうなのか?ああ、愛しいミーツェ、私の子猫。どうか貴女の顔を見せて欲しい」
本当にどうしよう。
自業自得な惚れ薬のせいでこうなっていると分かっている。
彼には本当はこんなに素敵な婚約者も、違法な惚れ薬を飲ませたいほど好きな方もいるのに。
皆にいらないと言われた私に、顔も知らないくせに、そんなに愛の言葉を降り注がないで欲しい。
「ミーツェさん。どちらにしても一緒に王城へ来て頂けますか?そこで陛下や私の父も交えて相談いたしましょう。カッツェ家の方も呼びますか?」
「いいえ、それには及びません。私は既にカッツェ男爵家とは縁を切られた身ですから。15分ほど頂ければ掃除用具を片付けて参りますが」
「では20分後に正門前で宜しいかしら?」
「かしこまりました。では後ほど」
長い間することのなかったカーテシーをして、私はその場を後にした。
その隣に、蜂蜜でも垂らしたような甘い瞳で私を見つめるリアム殿下がいるのは、もう諦めるしかないらしい。
その日のパーティー会場にいた人々は、正装で清掃員をエスコートする美貌の王子を複雑な視線で見送ることになった。
あの日、王城で王宮魔術師なども交えて話し合った。
やはりあの液体はベルムバッハ侯爵令嬢が言ったとおりのものだった。
話し合いの最中もリアム殿下は私の横で、絶世の美女でも見ているかのような視線を私にビシバシ向けていた。
殿下が本当は薬を飲ませようとしていたのは、両想いの婚約者もいる伯爵家のご令嬢で、あの日殿下から呼び出しの手紙を貰って困っていたそうだ。
あの時、人垣の中から聞こえた悲鳴は彼女のものだったらしい。
そりゃ他に大切な人がいるのに、こんなヤバイ状態になる薬を飲まされるところだったなんて、恐怖でしかないだろうと思う。
そういう意味ではグッショブ私!!だったわけだ。
そして最終的にどうなったかというと……まあ、ご想像通り。
あまりの溺愛っぷりに絆されて、王位継承権を剥奪されて平民となったリアム様と一緒に王都で雑貨屋を営んでいる。
今日も私の隣には無駄にイケメンな旦那様。
膝の上には先月生まれた可愛い娘がスヤスヤと眠っている。
リアム様が本当の意味で幸せかどうかは分からないけど、あの時ぶつかって良かったなぁと思ってしまう私は、それなりに幸せなのだと思っている。
つい思い浮かんでしまったネタをつい書いてしましました。
単にパーティー会場にマスクとゴム手袋の清掃員いたら面白いよねいうだけの話です。
ただのコメディなので軽ーく読んでくださいませ。
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