旅立ち エミリー視点
ジャネットと対峙したエミリーは焦っていた。
「エミリー嬢、出て行って下さい」
「何故ですか?私はルーズベルト家の人間になったんですよね?出て行く必要はないですよね?」
ジャネットは真顔のまま、表情を一切崩すことなく、淡々と告げてくる。
「いえ、手続きはまだです。まだ、貴女はルーズベルト家の一員ではございません。お母様と貴女のお父様の婚姻は無効と判断されました。なら、貴女がうちにいる理由がありませんし、ルーズベルト家で貴女の面倒をみる義務も義理もありません」
「うそ、なら、私はどうしたらいいんですか?」
ジャネットは目線をお金の入った袋に向ける。
「こちらに、謝罪の意味を込めて、それなりのお金を用意しました。これで、貴女のお母様の生家を訪ねられるか、もしくは、夫人とご一緒に新しい生活を始められるか、どうぞお好きになさって下さい。今後一切、ルーズベルト公爵家は貴方方親子に関与しませんので」
「ちょっと、待って下さい!」
追い縋る言葉も虚しく、使用人に追い立てられるように、ルーズベルト公爵から追い出された。トランクケース2個の手荷物と、お金の入った袋が一つ、これが今のエミリーの全財産だ。仕方なく辻馬車を呼んで、銀行へ向かう。お金を持っての移動は危険だ。
なんでこうなったのか...、ちゃんと女神様の言いつけどうりにした。なのに、全て失ってしまった。あんなに頑張って手に入れたのは、トランク2個のに荷物と袋に贅沢しなきゃ一生食べていけそうなお金。そして、少しの教養...。
ツェツェリアは消えた。なのに、セザール殿下は私に見向きもせずに、アーシェア国へ戻って行った。どこで間違ったの?ちゃんと、女神様の指示どうりに動いたはずなのに...。マリアンヌが死刑台に上がることは、女神の予言通り、私はルーズベルト公爵家の養女として、王太子妃教育を受ける予定だった。ルーズベルト公爵夫人もその手配をして下さると仰ってた。
そう、ここまでは、お告げ通りなのよ...。狂い出したのは、お父様の罪が発覚してから、可哀な娘からいっきに犯罪者の娘に転落。
裁判で「魔が刺しただけだ。それで好きな人が手に入ると、今はこんな結果になって後悔している。エミリーも、私が居ないと困るだろうから」としきりに減刑を求めていた父親に、何とも言えない気持ちになる。情に訴えて、私やお母さんまで巻き込むつもりかと思うと、悲しくなった。
ただ、噂に尾鰭背はビレがつけば、お父様との不貞を疑われ、お母さんまで格好の噂の種になる。ただでさえ心に傷を負っている、お母さんがそれに耐えれるとは思えない。女神様にお告げを聞きに行かなくちゃ。
馬車で教会へ向かうが、そこは大きな老木を残し空き地と化していた。古びて傾いた門も、蔦のはった薄汚れた建物も、ボコボコに盛り上がり苔むした石畳みも綺麗さっぱり取り除かれていた。
「うそ」
巨大な老木の前にへたり込むエミリーを他所に、役目を終えた馬車はゆっくりと去って行く。
最初にお告げを聞いたあの日から、ルーズベルト家で過ごした今日までの怒涛の日々が、泡沫の夢のようにエミリーの脳裏を過ぎる。
「何にもなくなっちゃった」
ポツリとそう呟くと、重いトランクを引き摺り、母が身を寄せている修道院へと重い足を進めた。シスターに経緯を話し、部屋を用意して貰う。
明日からは、また、昔の生活に逆戻りするのだろうか。
「シスター、あの近くにあった古びた教会はいつ無くなったのですか?」
「教会?ああ、あの薄気味悪い廃墟のことかしら?あれなら、つい、五日ほど前に取り壊されたわよ。一夜のうちに更地になって、風通しも良くなったわ」
五日前、お父様が有罪になった日だ。もしかして、教会が取り壊されたから、女神様からの恩恵が無くなったの?
エミリーはガタガタと震える身体を自分で抱きしめる。
「エミリー、大丈夫?どうしたの?」
シスターが焦ったように、エミリーを呼ぶ声が遠くに聞こえた。
目が覚めると、目の前に、いつになくきっちりと身だしなみを整えた母の姿があった。
「エミリー、出て行くわよ。早く準備をなさい」
初めて聞くしっかりとした母の声に、エミリーは驚き大声を出しそうになるのを、しーっと、いう母のジェスチャーでなんとか思い留まる。
「何で出て行くの?」
「馬車の中で説明するわ。今を逃したら、今度はいつチャンスがくるかわからないから」
鬼気迫る母の様子に、まだ、荷解きをしていないトランクを両手にそっと修道院を後にする。夕闇に紛れ込むように裏手に停めてある質素な馬車に乗り込むと、母はほうと、息を吐いた。
「ねえ、もう、聞いてもいい?」
揺れる馬車の中尋ねると、お母さんは険しい顔のままゆっくりと口を開いた。
「私が貴女を身籠った時、あの人はルーズベルト公爵の奥様とも間違いを起こしたの、あの人にその気は無かった。でも、気の緩みから薬を盛られたことに気が付かず、一夜を共にすごしたそうよ。相手は、未亡人で公爵家の主人。あの人に拒む力などないわ。私が身籠ったことを知らせた手紙は、ルーズベルト夫人に握り潰され、尚且つ、圧力が私の婚家と生家に掛かった」
「何故、ルーズベルト夫人がお父様を嵌めたの?」
なんで?少し顔が良いくらいで、公爵家からしたら、爵位も大したことのない人でしょう?
「それは夫人にしかわからないことだわ。ただ、夫人にとって、私とお腹の子、エミリー、貴女は邪魔な存在だったことは確かね。あのまま伯爵家にいれば、一族諸共消される恐れがあった。だから、姑は計略を労して下さったの」
「そんな、お母さんは追い出されたんじゃないの?」
母は懐かしむような表情で、ゆっくりと首を横に振る。
「違うわ。姑はね『親は子の為に長計をするものよ』と教えてくださったの。私を敢えて、土砂降りの日に、最も人通りの多い場所で家紋入りの馬車から捨てたのよ。何故だと思う?」
「お母さんを捨てたことを印象付ける為でしょうか?」
「そうよ、本当なら、こっそりと修道院にでも預ければいいでしょう?そうしたら、姑だって後ろ指をさされることもなかった。でも、お腹の大きな私が修道院に入る所を沢山の人が目撃したなら、ルーズベルト夫人は私と貴女を殺すことはできないわ。寧ろ、守る必要すらでてくる。だから、敢えて、一番劣悪な修道院を選んだの、なるべく早く大きな噂になるように」
母親の話しにエミリーはゴクリと唾を飲み込んだ。
「お祖母様は私達を守る為に、敢えてそのようなことを指示したのですか?」
「そうよ。当時のルーズベルト公爵は飛ぶ鳥を落とす勢いだったわ。そんな中、機嫌を損ねることは自殺行為だったのよ。勿論、ずっと監視されていたわ。だから、嫉妬の対象にならないように、あの人が私に情を向けないように、錯乱した振りを強いられたけど、貴女の命と息子の未来を守る為には仕方なかったの」
そう言えば、宰相閣下が私と母の為に、ルーズベルト公爵夫人とジャネット様が尽力なさったと言っていた。なるほど、結婚回避や罰として入った貴族の子女と同じく、母と私も高待遇だったわけか、まあ、当然監視の目も入っているのだろうけど。
「もしかして、人知れず消される可能性もあった...。」
エミリーの顔は蒼白になり、両手で口を覆う。
「あちらは、それを望んでいたでしょうね。それなら、世間に貴女の存在がバレずに済むから...。でも、常に人の目と噂話に晒されている王都の中心にある修道院で、私達が死ねば確実にルーズベルト夫人が非難の的に晒される。貴族は体面を気にするものよ」
「じゃあ、何で逃げたんですか?」
母は全てから解き放たれたように、心底嬉しそうに笑った。
「あら、私達に危害を加えるかもしれないルーズベルト公爵夫人は、もういないじゃない!私を嵌め、夫を殺したルーズベルト公爵も!もう、ルーズベルト家の監視員がいる修道院で生活はしなくていいでしょう?今なら、私達が逃げても深追いはされないわ。なら、何か新たな問題や、私達の使い道ができる前に逃げるのが得策だわ」
「当てはあるのですか?」
「ええ、王都を出た先の町で馬車を乗り換えるわ。そこで、服と食べ物を買いましょう。エミリー、貴女もそこで不要な物は売ってしまいなさい。それから、西に向かうわ。数度馬車を乗り換えて東の都、ローランド領で一度お金を全て下ろして、足が着かないように、この身分証の人間の名義を変えた口座に振り替えるの。これは、私と貴女の新しい名前よ。ちゃんと戸籍台帳にも乗っているわ。それから、西の都へ向かう予定よ。西の都には姑の生家があるの、そこを頼るように言われているわ。エミリー、貴女は好きに恋をして、心赴くままに生きれるわ」
「そんな簡単に、身分なんて手に入らないわ!どうやって手に入れたんですか?」
あまりの周到さにエミリーは着いていけない。
「この身分はね、姑の実家の執事の妻子のものよ。この計略をたてる際に、流行病で亡くなったのを、姑が頼んで死亡届を出さないでいて貰ったの...。西の都へ行ったらお礼を言いましょうね」
姑が用意してくれた金とルートだと声高らかに言う、はつらつとした母の姿に、儚い夢でも見ていたようなエミリーの頭はスッキリと目が覚め、久しぶりに心は浮き足だった。




