牢
ひんやりとして、カビ臭い石造りの階段を降りると、兵士が2人並んでいた。
「ディーン子爵令嬢ですね。こちらへどうぞ」
牢の中に置かれた簡素なベッドに座っていた赤毛の女性が立ち上がる。
「ふふ、ありがとうね。会いにきてくれて」
ツェツェリアは無言で声の主を見つめる。
「貴方にはあやまらなければなりませんわね。ごめんなさいね。まさか、貴方が娘だったなんてね。義理とはいえ娘を殺そうしたんだの、あの方に捨てられても仕方ないわね...」
初対面の時とは打って変わって愁傷な姿だ。
「あの方とは...侯爵子息様ですよね」
こちらへ歩み寄ると、膝をつき鉄格子を握り締めたまま哀願した。
「そのような他人行儀な呼び方はおよしになって、お父様と呼んで下さい。私が悪いのです。憶測で勝手に勘違いをして、危害を加え、いえ、殺そうとしたのですから...。私の計略が成功していたのなら、主は生きている貴方を見ることは叶わなかった。主の命令は貴方と人知れず会うことだったのに...。私はその命令が出る度に貴方の殺害を試みた...嫌われるのは仕方ないわ。主は私に貴方と仲良くなる機会を与えて下さったのに...」
仲良くなる機会という言葉がひっかかるが、私に会いたいと思って下さっていたんだわ。
「公に会いに来れなかった理由は、チェリーブロッサムですか?」
「そうですわ、貴方があの人に迫害を受けない為です。なのに...私は....」
モンクレール穣は思い込みが激しい人なのかも知れない。その思い込みで殺されそうになった私は、もう、怒りを通り越して脱力しかない。
「貴方の生立ちが大変なものだということは裁判で知りました。大変な思いをして生きてこられたからこそ、窮地から救って下さったブロード侯爵子息を傾倒なさるのも理解できます。それでも、私は貴方を許すことは到底できません」
モンクレール穣はにっこりと笑み、ゆっくりと鉄格子から離れると、チェストの上に置いてあった小瓶を手に取りベッドへ座る。
「わかってますわ。ただ、伝えたかっただけです。ああ、マリアンヌ穣にはお気を付けになって、私と同じ気質の持ち主ですから、さあ、もうお行きになって」
ツェツェリアはゆっくりとその場を離れた。
石段を登っているとき、ドサッという物音と呻き声が聞こえたが、ツェツェリアは振り返ることなく足を進めた。
女神達は強欲だ。
慈愛の女神は赤
愛すべきモノはどんなことをしてでも手に入れる。
知の女神は蒼
欲しいモノのためには家族すら犠牲にする。
闘いの女神は白銀
手に入れいモノはじっくりと綿密に追い詰める。
静寂の女神は翠
思いの人が来てくれるまでひたすら待ち続ける。
太陽神は醜悪だ。全ての女神を欺き、全ての女神を手に入れた。誰との約束も守らず、全てを手に入れた。
街でよく子供達が歌っていた歌が聞こえる。この歌を歌うのはまだ、10才にも満たない子供達だけ、日銭を稼ぐようになったらピタリと歌わなくなる。でも、幼子達が歌うのを止める大人を見たことはない。
「やあ」
階段を登り切ったところに、美しき男の姿があった。
ツェツェリアは慌ててカーテーシーをする。
「若き太陽神にご挨拶申し上げます」
「そんなにかしこまらないでくれ、私は君の父親なのだから、まあ、それを知ったのはお互い最近だけどね」
はにかむように笑うこの男は、あの塔で一緒に過ごした人と同じなのだろうか?
この男、あの日あった陰や憔悴感は全く感じられず、健康そのもので実に爽やかな雰囲気を纏っている。痩せこけていた顔は肉が付き、血の気の引いていた頬は仄かにピンク色を帯びていた。
「だいぶお変わりになりましたね」
「ああ、やっと悲願が達成したからね」
「母に会いにいきませんか?」
「ありがとう。この近くにあるのかい?」
近くにいた兵士に馬車を用意するように頼む。
「マリッサ・モンクレールに会ったのか?」
「はい」
「そうか、済まなかったね。私が彼女に手引きを頼んだばかりに、まさか、マリッサが君を殺そうとしていると知らなかった」
馬車が目の前で止まり、使用人慌てて走って来てドアを開ける。乗り込むと、座席には花輪と花束が用意されていた。
「マリッサ穣とはどのような関係だったのですか?」
「ん?後輩?いや、それよりは親しい関係だな。私が外国へ行ってからも連絡を取っている相手で、なにくれとなく面倒ごとを引き受けてくれ、信頼していた相手の一人だ。だから、今回のことは残念で仕方ない。最も信頼していた相手に裏切られたのだからな...」
この人に恋愛感情は無かったのね...。そして、マリッサ穣の想いにも気が付かない鈍感。
「何故、私を殺そうとしたと思います?」
「それがわかれば苦労しない。ただ、あの子は私が君の母に騙されていたと思っていたようだ。私が君の母に結婚を申し込んだのは、ディーン将校の許しがあったからだ。私が君の母に恋焦がれていたのは、将校もご存知だった。将校は少年特有のものだろうと、笑っていらっしゃったし、私も将校から奪ってなどとは思っていなかった。仲睦まじいお二人を見ているのも、好きだったしね」
ふんわりとした空気が流れる。優しい風に吹かれて揺れる少し茶色の混じった草原が目に入った。
「お父様から許しがあったとは?」
「ふふ、見るかい?私にとって、とても大事なものだから、肌身離さず持っているんだ」
彼が懐から大事そうに取り出したのは、真新しい防水加工が施されている封筒だった。中には古ぼけた粗末な封筒が入っていて、そこから、また、粗末便箋を取り出し、渡された。
そこには確かにお父様の字で、小侯爵宛に書かれた手紙が入っていた。今、戦場の様子は芳しくないこと、王子を連れての出兵であるから、命に変えても彼を守らなければならないため、生きて帰る約束ができないこと。私が死んだら、負担にならないのであれば、君が妻と娘の面倒を見てほしい君の都合のよいやり方ど構わない。と、いう内容だった。
小侯爵の気持ちにつけ付け込んだ父様の狡さと、私達を切実に思う気持ちが滲みでている。
「この手紙でお母様と結婚しようと思ったのですか?お母様は子爵夫人で子持ち。前途洋々な小侯爵様の未来の助けにはならないことは、ご存知だったのでしょう?」
「そんなことは言わないで、私は師匠の将校家族の一員になりたかった。将校は私の願いを知っていた。だから、大事な家族を託してくれて本当に嬉しかったんだ。言っていただろう?私を幼い君の婚約者にしてくれるって、約束して貰ったって。ただ、君達を守るには君が大きくなるまでは待てないと思ったんだ。だから、慕っていた君のお母様に結婚を申し入れた。この手紙を見せてね」
「お母様はどう答えたのですか?」
クスクス笑うブロード小侯爵の瞳は少し悲しそうに見えた。
「頭がおかしくなったのですか?だってさ、ははは、こっちは一代決心をして、必死に勇気を振り絞ってプロポーズしたのに、その答えが真顔でこれ。クフフフ、ははは、もう、いたいけな少年は立ち尽くすしかないよね」




