裁判 2
「静粛に!静粛に!」
裁判官の声が響き渡るが、それでも、野次は収まらない。
遅れて王族席に着いた、ツェツェリアとセザールはその騒ぎに圧倒されていた。
「何が侯爵令嬢だ!」
「売女が貴族とは!」
「チェリーブロッサム!息子を返せ!」
「侯爵の娘じゃないだろ!」
ことの発端はブロード侯爵夫人が裁判所に入場したときに、傍聴席から「チェリーブロッサム」という、声上がったことだ。
チェリーブロッサム、それなりの年齢なら誰しもが聞いたことがある稀代のダンサー。幼い頃、ストリップ劇場に売られて、そこで芸を仕込まれた高級コンデッサン。ブロマイドが売られ、当時の男性なら誰でも1枚は持っていたのではないだろかと言われいるほど人気だった。幾人もの富豪が彼女に入れ込み破産したとことを当時の新聞は面白おかしく書きたてていた。
「静粛に!傍聴人の退場を求めますよ」
裁判官のこの言葉で野次は止まる。
「えー、先程、ブロード侯爵令嬢が侯爵の娘でないと発言された方」
裁判官のこの言葉に、薄汚れた男性が手を挙げた。
「貴方はこの発言を神へ誓えますか?」
男は立ち上がり、裁判官と目を合わせ、しっかりとした口調で答える。
「はい」
「では、こちらへ」
案内人が彼を誘導し、証言台へ立たせる。
「では、宣誓を」
法務大臣の言葉に男は頷いた。
「私、ドンマンはこの法廷において、嘘偽りを申さないことを誓います」
男が名前を言った瞬間、会場がシーンと静まりかえった。ドンマン、ルーズベルト公爵家の元執事で最近までお尋ね者と扱われていた人物だ。ただ、その風貌は貼り出されている肖像画とは似ても似つかないくらい廃れていた。
「家名を名乗らなかったわ。除籍処分されたのですね」
ツェツェリアはセザールを見上げる。
貴族社会、除籍はまずない。犯罪を犯しても貴族の身分があれば、幾許かその処分が軽くなるからだ。
「張り紙が出回る前に除籍されたみたいだ。家門からすればかなり不名誉なことだからね」
法務大臣の質問が飛ぶ。
「ブロード侯爵令嬢に侯爵家の血が入っていないことの説明をして下さい」
ドンマンは自信満々に法務大臣の顔を見る。
「はい、閣下。彼女がストリップ劇場の人気ダンサーだったチェリーブロッサムであれば、ブロード侯爵令嬢は彼女と客の間にできた子供となります。彼女は15年前まで在籍しておりました。私は、15年前に彼女を買いました。その時、彼女にお金を貸しました。証拠としてその借用書を提出すると共に、返済請求をこの場でしたいのですが、宜しいでしょうか」
傍聴人達はドンマンの声を聞き漏らすまいと真剣に耳を傾けている。法廷にはドンマンと法務大臣の声が響く。
「預かります。借用書が本物でブロード侯爵夫人がチェリーブロッサムと呼ばれた者であれば、裁判所が責任を持って回収することをここに約束しましょう」
補佐官がドンマンから借用書と一緒に絵手紙のようなモノを預かった補佐官の顔が赤くなる。
それを見逃さなかったブロード侯爵夫人が弁護士に耳打ちした。
「意義あり」
「カーター弁護人」
「ドンマン氏が補佐官に賄賂のような物を渡していました」
「それを渡して下さい」
法務大臣の言葉に、意気揚々と答える弁護士とその横でしてやった顔のブロード侯爵夫人だったが、顔を真っ赤にして俯く。法務大臣が手に取り、まじまじと眺めたそれはチェリーブロッサムのいかがわしいプロマイドだった。
「これは...、これは何でしょうか?」
法務大臣は一瞬言葉を失ったものの、それを規定通りに、傍聴人にも見えるように高々と上げて、ドンマンに問う。
セザールは慌てた様子で、手でツェツェリアの目の前を塞いだ。
「せっかく配慮してやったのに」
ドンマンはボソリと呟くと、法務大臣に顔を向ける。
「夫人がチェリーブロッサムである可能性が高いという証拠です。借用書と一緒に提出致します」
「うむ。借用書の日付は確かに15年前。法務省が発行した紙で契約魔法が施されている。プロマイドは...確かに似てるな...」
法務大臣はプロマイドに対しての言葉が急に歯切れが悪く、声も心なしか小さくなり、ブロード侯爵夫人は顔を真っ赤にして俯いたままで、チェリーブロッサムの客であったであろう男達はニヤニヤと下卑た表情で夫人へ視線を向けている。矜持の高いブロード侯爵はワナワナと怒りで震え夫人を睨み付け、ターシャ穣は下を向き泣きそうな顔をしてるる。まるで地獄絵図だ。
「ははは、小侯爵が落とした爆誕がこれほど、効果があるとはな。アイツの高笑いが聞こえてきそうだ」
セザールはニヤけた顔を隠そうともせず、その光景を眺めている。
「では、ドンマン氏に対しての証人尋問をはじめましょう。まずは、被告から」
「えー、貴方はダンサー、チェリーブロッサムが侯爵夫人だとお考えですが、その根拠が古ぼけたプロマイドと貴方ご自身の記憶。その、プロマイドも貴方が作成していないと言う証拠はありませんよね」
「ドンマン氏」
「プロマイドは当時、沢山販売されていました。私のが贋作と言われるなら、ここで、プロマイドを持っている人を募り、その全てを証拠として提出するという方法も取れます」
ドンマンはそう言うと、傍聴席へ向き直ると、声を張り上げた。
「えー、紳士淑女の皆様、チェリーブロッサムのプロマイドをお持ちの方はご協力下さい。もし、夫人がチェリーブロッサムだと認められましたら、私のように借金をトンズラされた方は返ってくるかも知れません。又、身内をチェリーブロッサムに吸い取られ、破産、自殺に追い込まれた方、またとない機会です。ご協力をお願いしたい」
「俺も持ってるぞ!」
と、懐から出して高々と挙げる男性がちらほら、
「我が家にあるわ!必要なら、持ってくるわよ!」
と、叫ぶ女性。
「家になら、あるぜ!」
と、叫ぶ男性達。
元ストリッパーとはいえ、侯爵夫人かもしれない半裸の女性のプロマイドが多数の注目を浴びるのは良くないと感じたのだろう、法務大臣が補佐官にプロマイドを回収するように命じたようだった。
お堅い雰囲気の補佐官が顔を赤らめながら、裁判が終わったら速やかに返還するという約束の魔法書に押印を求め、説明をしてから、半裸の女性のプロマイドを回収する姿は実に滑稽にうつる。卑猥なものを見せられ、その反応にニヤニヤしながら手続きをする一般市民を相手にするなど、若きエリート官僚である彼らからしたら、屈辱以外なにものでもない。その、怒りの矛先は...
「そのプロマイドの女性が夫人と似ていても、他人の空似ということもあります。他にチェリーブロッサムが侯爵夫人と言う証拠を出して下さい」
少しイライラしながら、弁護士がドンマンに問う。
「わかりました。後悔なさらないで下さい。右の耳朶の裏に小さなホクロ」
慌てて、夫人がそこを押さえる。侯爵はもう怒り心頭に発する。
「右の乳房、乳輪の斜め下に少し大きなホクロ、左の太腿内側の鼠蹊部に星型の痣」
「やめい!やめい!」
侯爵の怒鳴り声が響く。
「静粛に!静粛に!」
裁判官の言葉に、少し我を取り戻した様子ではあるが、侯爵は怒りに打ち震えながら、拳を強く握り締めて、弁護士とドンマンを睨んだ。
「まだ、続けましょうか?」
ドンマンがそう問うと、弁護士は口を噤んだ。
「もう、お腹いっぱいだ。やめてくれ。我妻が娼婦チェリーブロッサムであるに違いないな。だが、私と出会ったとき、彼女は男爵家と縁続きで、我が家にメイドとして働きに来ていたのだが」
かなり、疲れた様子で侯爵はそう呟いた。
弁護士も侯爵にそう言われた手前、侯爵夫人がチェリーブロッサムはないことを証明する機会を失う。
夫人は項垂れ、ターシャはしくしくと泣いている。
「夫人がチェリーブロッサムであることが認められた。弁護士はドンマン氏への質問はあるか?」
「ありません」
弁護士は悔しそうにドンマンを睨むが、ドンマンはしてやったり顔だ。
「検事より、ドンマン氏への尋問を行う」
検事は待ってましたとばかりに、軽快に質問を始めた。
「貴方はチェリーブロッサムと身体の関係がありましたか?」
侯爵夫人と一介の執事だったドンマンと、身体の関係を問う質問に我慢ならず、弁護士が止めに入る。
「意義あり、その質問は侯爵の品位を損なう可能性がでます」
「意義を却下します」
裁判官の言葉に弁護士は押し黙るが、その米神には青筋が見えた。
「はい、客と娼婦の関係ですが」
「彼女は人気娼婦で、貴方以外の貴族の客もいましたか?」
「はい」
「彼女の客の中に、伯爵以上の客がいると聞いたことがありますか?」
「ありません。私も、もと貴族の端くれですが、それなりの爵位をお持ちの方は、そもそも、ストリップ劇場なるものへ足を運びませんし、コンデッサンを呼ぶ習慣はないかと」
ドンマンの返事に、弁護士は少しほっとしたような表情を見せた。こうなったら、夫人を切り捨てて、侯爵をも被害者へ仕立て上げるのだろう。
「彼女をストリップ劇場で見なくなったのは、その借用書の日付の後ですか?」
「はい、この借用書の日付から1月後には、ストリップ劇場から姿を消していました」
「店主に彼女がどこへ行ったの尋ねなかったのですか?」
「尋ねましたが、店主から知らないと言われました。店主曰く、いきなり消えたと言われました」
「彼女は奴隷だったと言いましたが、奴隷であれば劇場から姿を消すことは不可能だったのではないでしょうか」
「彼女は1年前に奴隷契約書を買い戻していますが、手持ちでは足りずに、いろんなとこから借りた多額の借金があるため、ダンサーとしていると聞きました」
「その多額の借金に貴方が貸したお金も含まれるのですね」
「はい」
あまりにも、流れようにスムーズに進む質疑応答にツェツェリアは違和感を覚えて、セザールを仰ぎ見た。
「どうだい?君の母を殺した人物が落魄れて行く様を見るのは?」
セザールがツェツェリアの耳元で囁いた。




