帰還
謁見の疲れもあって、ツェツェリアはうとうとしていた。主人の居ない部屋はいつもより広く感じられ、少し物悲しい。
今でも、あのマリアンヌ穣の取り乱した姿が脳裏から離れない。宰相閣下はアレがマリアンヌ穣のスの姿だと鼻で笑っていらっしゃった。
白亜の屋敷に似合わぬ、粗野な騎士達もその殆どがセザールと共に公国へ帰っているせいか、余計に寂しく感じるのかもしれない。
突如、馬の蹄の音とバタバタと沢山の人が行き交う気配がして、ツェツェリアは目が覚めた。
バタンとドアが開き、セザールが駆け寄ってくる。まだ、ボーっと覚醒しきっていないツェツェリアの足元に跪き、膝に頬を起き細い腰に腕を回した。
「お帰りなさい」
ツェツェリアの口から、自然と言葉が漏れた。セザールは顔を上げると、嬉しそうに微笑みながらツェツェリアと目を合わせた。
「ただいま」
温かな日差しが差し込み室内にゆったりとした時間が流れていた。その静寂さをコンコンというドアを叩く音が壊す。
「チッ」
セザールは酷く不機嫌そうに舌打ちをし、渋々ツェツェリアの腰から手を離すとドアを睨みつける。
「主、陛下がお呼びにございます」
カロの言葉に苛立ちを隠せない様子で、もう一回、舌打ちをした後、名残惜しそうに立ち上がると、ツェツェリアの頬に口付けをした。
「待っていろ」
そう、言い残すとセザールは足速に部屋から出ていった。
入れ替わりに、カロが入ってきた。
「あー、よかった。本当に良かった。もう、本当に心配したんですよー!主なんて、ずーっと気が立ってて近寄るのも躊躇われるくらいだし、蛮族なんかほーんとに可哀想で。ただの八つ当たりですやんってくらいけちょんけちょんにされてるし。令嬢が見つかってからの主の動きの迅速さよ、本当にさっさと和平交渉して、風のような速さで馬を飛ばすもんだから、文官の私はもう、ついて行くのが必死で」
泣き真似をして茶化しながら嘯くカロは、飄々としたその物腰は健在ながら、いつものおしゃれな格好とはほど遠く薄汚れてかなりやつれていた。
「大丈夫ですか?」
ツェツェリアの返事にカロは一瞬ポカンとした表情になったが、すぐにいつもの柔かな表情になり、胸に手を当てて礼をすると、ニカッと笑った。
「ははは、お見苦しい姿で申し訳ございません。ご令嬢に挨拶もできましたので、私めは着替えてまいりますね」
そういうと、一礼をして部屋から出て行った。
結局、セザールがツェツェリアの元へ戻ってきたのは、ツェツェリアが眠りにつこうとしている時だった。セザールはその姿を見て、起きあがろうとするツェツェリアに
「そのままで、いい。疲れているのだろ」
と言うと、頭を撫で額に口付けを一つ落とし、ベッドに腰をおろす。
「兄さんから聞いたよ。ブロード小侯爵に結婚を要求されているそうだね。まあ、要求されているのは兄さんがだが。まるで、君からの了承は得ているかのような文面でびっくりした」
人の感情や考えなどどうでも良いとい考えてるるセザールの、拗ねるようや口ぶりにツェツェリアは大きく目を見開いた。
嫌われてはいないとは思っていた。身内は大事にしてくる人だと、この数ヶ月一緒に暮らして感じてはいた。だが、ここまで自分に対して好意を持ってくれているとは思ってはいなかった。そのことに、少しだけ優越感を感じる。
「セザール殿下はブロード小侯爵をご存じなのですか?」
「同じ部隊に居たよ。君の父上の部隊だ」
何故失踪した?どこで何をしていた?何故すぐに帰ってこなかった?ブロード小侯爵とどこであった?聞きたいことは山ほどあるでしょうに一切聞いてこない。
「では、一緒に訓練をされたのですか」
「いや、俺は将軍が師だったから、戦さに加わる時は君の父上の部隊に配属されたわけだ。ブロード小侯爵は所属する部隊が君の父上の部隊だから、訓練の全てを一緒というわけではないな」
「あ、あのブロード小侯爵は母親のことをどう思っていたかわかりますか?」
「初恋だったんじゃないかな?ああ、彼だけがではなく、君の父上の部隊の新兵の殆どがそうだから、まあ、淡いもので、ディーン卿に対する憧れも混じった感情さ」
あまりにもサラリとブロード小侯爵が母を慕っていたと言われて拍子抜けする。それも、それが当たり前で普通であるかのように。
「あの、お母様が誘惑したなどと言う噂はありませんでしたか?」
ツェツェリアの言葉に、セザールは一瞬キョトンとした顔になったが、腹を抱えて笑い出した。
「ないない、皆、君の母君に憧れた。それは団長と奥様が仲睦まじく羨ましかったからで、こう、なんというか殺伐とした雰囲気の中、団長や騎士団への差し入れを持って来た際にふわっとした暖かさを感じたからだよ。ブロード小侯爵はその雰囲気に人一倍憧れていた感じだった。まあ、彼の初恋が君の母上なのは間違いないが、略奪してとか、そう言うものではないようだったから安心していい」
モンクレール穣の『言い寄った』と言う言葉が違うとわかり、かなり心が軽くなった。
「ですが、お父様が亡くなった後、ブロード小侯爵はお母様と結婚をしたいと申し出たと陛下が」
「ああ、それは本当だ。詳しくは知らないが、信頼していた師を亡くし、その家族が路頭に迷うかもしれないと心配していたと聞いた。もとより、その奥さんに淡い恋心を抱いていた。いや、そのふんわりとした温かな家族の一員になりたいと切望していた、と、言った方ががよいかな。彼からそんな雰囲気が漂っていたよ」
あっ、だから、お母様と婚姻を...。私でなくとも、良かったんだ。彼の目的は私たちと家族になることだった?
「親族から、猛反対をされたと」
「ああ、俺はまだ、戦地にいたから詳しい話は知らないのだが、彼はその時はまだ王太子だった兄に頼みに来たらしい。兄さんは寡婦と婚姻したいなど、若気の至り、一瞬の気の迷いだろうと片付けたみたいだが...。それで、あんなことになるとは」
少しばかりのやるせなさを滲ませて、セザールはツェツェリアの頭を撫でる。
「お母様は殺されたのでしょうか?」
「多分な、ただ、あの頃は非常に混乱していて、多少の悪事など見て見ぬふりが常であったからな....。全てを裁くほどの余裕がなかったと言う方が正しいのかもしらん」
伝染病が蔓延し戦争が勃発し、その上、飢饉、王妃が伝染病に侵されたせいで王は半狂乱になる一方手前だったと聞いたことがある。
ブロード小侯爵の言っていたことは本当だったんだわ。お母様は殺された。ブロード小侯爵様は陛下(当時は王太子)にも失望して、失踪した。
「犯人はわかったのですか?」
「目星はついている。ブロード小侯爵も彼らを裁きたいがために王座を要求しているのだろう。ただ、君を娶れるなら、復讐を諦めると兄さんへ申し入れがあった。あの偏屈サイコパス野郎がそこまで言うんだ、君は相当気に入られたな」
不機嫌そうにセザールはそう言うと、ツェツェリアの額にキスを落とす。
「大変な時に力になれずにすまないと言われたわ」
「へー、父親目線なのか、男目線なのか、まあ、いい。確かめれば良いだけだ。ただ、どちらに転んでも厄介だな」
遠くでセザールの声が聞こえた気がした。




