再び城へ
城から迎えに来た馬車に揺られ、ツェツェリアはぶつぶつと断り文句を口の中で繰り返す。
大丈夫。ちゃんと陛下はご理解下さいるわ。私はお祖父様が亡くなってからちゃんとした教育は受けていないし、そもそも、我が家の爵位じゃ不釣り合い。レイモンドの病気のこともあるし…。姫様に苦労させるわけは無いわよね?
「御令嬢、御令嬢」
あっ。
いつの間にか馬車は城に着き、馬車のドアは開けられていた。
「御令嬢、いかがなさりましたか?」
心配気な城から来た従者に気遣われ、ツェツェリアは失態を恥、頬を染めた。
「大丈夫よ。ごめんなさい」
「そう、緊張なさらなくても大丈夫でございますよ」
壮年の神経質そうな従者は、その纏っている雰囲気には似合わぬ優しい笑顔と声で、ツェツェリアを気遣ってくれる。従者に励まされ、ツェツェリアは馬車を降りる足に力を込める。
「ありがとう」
大丈夫。きっと上手くいくわ。
雅で美しい城に、流行遅れのドレスを纏った姿が場違いで足がすくみそうになる。
ドレスは高い。そもそも服が高価な品物だ。ツェツェリアは良い物から、レイモンドの薬代に替える為にドレスを手放していた。残ったものは、どうしても手放せなかった母と祖母の形見の数点だけ。その中の一着を着て登城した。
先程の従者に案内され、先日来た謁見の間へと足を踏み入れる。今日は近衛騎士の他に、一人の男性が横に控えているのが目の端に入った。
高そうな服を着ているから、それ相応の身分の人よね。何故いるのかしら?
ガタガタと震えそうになる足を叱咤し、淑女の礼であるカーテシーをする。
「良く来たね。ディーン子爵令嬢、楽にしたまえ」
陛下の声が頭上から聞こえる。
「ありがとうございます」
ツェツェリアは頭を上げ、壇上に座る陛下へ決意を胸にゆっくりと視線を向けた。
ちゃんと断らなきゃ。
「そう固くなることはない。で、返事を聞かせてくれるかね?」
優しい声色ではあるが、威圧的な雰囲気を醸し出した声で陛下はゆっくりとツェツェリアへ尋ねた。
「はい、お断りさせて頂きます。よく弟と話し合いましたが、陛下にそれ程気にかけて頂く理由が御座いません。殿下にも我が家で病の弟の看病をして頂くなど、畏れ多く、私も弟も気を遣い心休まりません。この場にこうして立っているのもやっとでございます。そんな、我ら姉弟が陛下と親戚になるなど畏れ多いことでございます。どうぞ、ご容赦ください」
ツェツェリアはしっかりと陛下の目を見て、馬車の中、何度も復唱してきた言葉を伝えた。
「ふむ。そうか、それは困った。まず、其方ら姉弟を気にかけるのにはちゃんとした理由がある。其方の祖父は、我が師の一人であったことは知っておるか?」
「いいえ」
知らないわ、お祖父様が陛下の師?
「そうか、それで、早合点したのだな、まあ、よい。其方の祖父は我が師であった。我が初陣にも付き添ってくれ、余がこの王座に座る際にも大きく貢献してくれた忠義だ。将軍がおらねば、余は今頃命は無かったであろう。将軍は其方たちの両親が亡くなった時に、其方たちの将来を憂いておった。そして、余に、自分が死に其方たちが困ることがあれば、助けてやって欲しいと頼んで来たのだ。余はその願いを二つ返事で聞き入れた。そして、其方が20を過ぎて嫁に行ってなければ、余の弟であるセザールと婚姻させると約束したのだ」
ああ、この国の王座に座るには、他の兄弟を皆殺しにするという習慣があったと聞いたことがあるわね。陛下は他の数多いる兄弟を殺して、その座に座ってらっしゃるのね。その手助けをしたのが陛下の師であったお祖父様といってらっしゃるのね。
「き、聞いておりません」
「ん?其方の祖父が、余の師であった話か?それとも、其方達姉弟を余に託した話か?」
お祖父様が陛下の師だったなんて、そんな話、お祖父様にもお婆様にも聞いたことがないわ。
「ど、どちらもで御座います」
「ふむ。そうか、だが、それは我が側近なら皆が知る事実だ。余の兄弟は数十人いて、余でも正確な人数は覚えておらぬ。何せ、産まれて直ぐに殺された者もいるくらいだからな。だから、王子の剣術の師などゴロゴロおったのだ、とりわけ珍しい職でも無かったから、其方に言うほどではないと思っておったのやも知れんな。特に将軍は将軍職と掛け持ちしておったからな。それに、その座を鼻にかける人物でも無かろう」
そう言われれば思い当たる節がある。お祖父様は謙虚なら方だった。お祖父様が英雄と崇められいたことも、お祖父様の葬儀で人伝に知ったくらいだ。陛下の師であったことを、私達に言って無かったのも仕方ないわね。
「で、ですが、姉弟揃ってその栄誉を賜るのは、畏れ多いことに御座います。その栄誉は弟のみでお願い致します」
「ほう、其方はどうするのかね?真逆、新婚の家に居座るのではあるまい?」
「そんなことは致しません。私は乳母と共に、市井へ下ります。社交界デビューもしていない身、市井で暮らしても何の不都合も御座いません」
ツェツェリアの返事に、陛下は意地の悪い笑みを浮かべる。
「其方は大公に死ねと言うのだな」
え?死ね?
「お言葉の意味がわかりません。どうして、大公殿下にそのような…」
陛下はツェツェリアを鼻で笑う。
「余の話を聞いておったのか?余には数十人の兄弟がいたと言ったであろう?そして、現に今、生き残っておるのは余と大公であるセザールのみだ。それが意味する事はわかるであろう。余には同じ母を持った弟も居たが、その者も今は存在せぬ」
嘘。大公殿下は私が結婚しなければ、死ぬってこと?陛下はお祖父様との約束を果たす為、大公殿下を守り、殺さなかったってこと?大公殿下が今まで独身でいらっしゃったのも、お祖父様との約束があったから?じゃあ、もしかして、ライラック姫も…?ああ、最初から選択肢など無かったのね…。
「わ、わかりました。その婚姻お受け致します」
「ふむ。わかってくれればそれで良い。余も無駄な殺生をせずに済むでな。よし、では、数日後に優秀な使用人と宮殿医を其方の家へ送ろう。費用は気にせず使ってくれ、此方で全て持とう。なに、余とセザールの命の値に比べたら、微々たるものよ。気にするでない。其方の弟に登城してもらう訳にはいかぬ、詳しい事はこちらから人を送るので、その者と話し合ってくれ。セザール、御令嬢に命を救って頂いたのだ、感謝し、御令嬢を馬車までお送りしなさい」
セザールと呼ばれた横に控えていた美しい男性が、ツェツェリアの前に跪き、その手を取り甲に口付けると、そのままの姿勢でツェツェリアへ話しかける。
「命を救って頂き有り難う御座います、ディーン子爵令嬢。本日を持って婚約することになりましたので、ツェツェリアと呼ばせて頂いても宜しいでしょうか?」
「は、はい」
完全なるキャパオーバーで、何が何だかわからないツェツェリアは、問われるがまま返事をした。
「有り難う御座います。私の事は、セザールとお呼び下さい。では、まいりましょうか、ツェツェリア」
そう言うとセザールは立ちあがり、そのまま、放心状態のツェツェリアをエスコートし歩みを進めた。