邸宅
「どこへ向かってるの?」
「ローランド公爵邸だよ」
彼が馬車を走らせた先は城でも彼の商会でもなく、荘厳な貴族屋敷の一つだった。
「ローランド公爵邸?貴方の後楯はブルボーヌ公爵じゃなかったの?その前に、貴方、お父さんと一緒に外国へ行ったのでは?」
ブルボーヌ公爵家主催の船上パーティーで、海に落ちた私を助けてくれたのがずっと昔の事のようね。
「その話は落ち着いてから。まあ、それなりに顔がきくからね。知っているかもしれないが、今、王都は混乱を極めている。ツェツェ、ローランド公爵は君を探すのにも手を貸して下さったんだ。マッケーニ侯爵邸を見張るように命令されたのもローランド公爵なんだ。仲間に立ち替わり見張って貰って、疑わしき馬車が見えたら後を追うようにと命令を受けた。貧民街に住む仲間にも、日頃と違った人や身なりの綺麗な人が来たら連絡をくれるように頼んでいたのさ」
グランツの話を聞く前なら、手放しに喜べたのかもしれない。だけど、ローランド公爵はレイモンドの祖父かもしれない。
「ローランド公爵に私を探すように依頼されたの?」
「ああ、正確にはレイから頼まれた。姉さんを探してくれってね。まあ、かわいい弟分の頼みでもあるしね。しかし、レイのやつ、いつローランド公爵との伝手を作ったんだ?あいつ、人見知りの引き篭もりで、病弱なやつだったじゃないか?まさか、今は社交的になり、人脈作りのために夜な夜な夜会に参加してたのか?」
昔、ルーディはレイモンドのたった一人の友達だった。彼の父の商会があの伝染病によって潰れ、彼ら親子が外国へ夜逃げ同然で外国へ行くまでは。
伝染病の薬が本来なら、入庫できる筈だったのが崖から落ちたせいで不可能になり、一気に皺寄せがきて倒産に追い込まれたとお祖父様から聞いた。
「昔と同じよ」
「そっか、まあ、大人になったからって、変わらないよな。ああ、レイモンドも今から行くローランド公の別邸にいるぜ」
グランツの言う通り、レイモンドはローランド老公の孫なんだ...。
ツェツェリアの中で、疑いから確信に変わった。
「君を縛ったあの貴婦人は一体誰なんだ?身なりからして、それなりの貴族の御令嬢のようだったけど?」
「城の一級侍女と自称していたわ。ルー、これだけは信じて、マッケーニ侯爵は私を拉致したわけじゃないの!ただ、困っていた私に部屋をかしてくださってただけなの。本当はすぐにお暇する予定だったのだけど、大事になってて、帰るに帰れなかっただけ...いえ、帰る手筈を整えてくださったのに..私が帰りたくないって留まっている所へ、たまたま来た一級侍女を名乗る女性に唆されたのよ」
ルーディは訳がわからないと言った表情を浮かべる。
「私の不注意で部屋を借りることになって、、」
あのマリッサと名乗った一級侍女、グランツの命令で私に似た令嬢達を攫ったと言っていたような...。極限状態だった為、記憶に自信は持てないが、彼女は攫った令嬢達を殺したとも言っていた。グランツが彼女に令嬢を殺せと言ったの?いや、顔を見られたらから殺したって...じゃぁ、グランツは彼女が殺人鬼だと知らないの?
ああ、もう、何が本当で何が嘘なの!!!!!
「不注意って、何があったんだ?」
「神殿に祈祷に行ったの、ほら、もういつ行けるかわからないから、そしたら、倒れたみたいで....倒れてたとこを見つけて下さって部屋を貸して下さったのよ。家まで送るって、言われたのだけど...私がずるずると居座ってご迷惑をかけたの」
グランツのことは話せない。
迷惑をかけたのに全て話すこともできず、申し訳なさと後ろめたさから、言い訳がましく、しどろもどろになりながら答える。
ルーディが口を開きかけたとき、馬車が止まりドアが開いた。ルーディはそのまま、急ぎの用があるからと帰って行った。ツェツェリアの様子に何かを感じたのか、「頼みがあるから、いつもの星のマークを使いな、従業員にも言っておく」とだけ言って。
星のマークはツェツェリアがルーディと子供の頃に使っていたマークだ。相手に渡したいものがあると、庭に缶を埋めて、その上に星のマークを書く。本棚だったら、本にそれを挟んで、栞を挟み、栞のリボンに星のマークを書いた紙をぶら下げる。こんなふうに秘密のやりとりをして楽しんでいた。
通された部屋にはレイモンドが居て、ツェツェリアの顔を見ると嬉しそうに駆け寄ってきた。
「姉さん大丈夫?」
心配そうに眉をハの字に下げるとレイモンドはツェツェリを抱きしめた。
「よく見せて、ああ、手首を縛られた跡がある。痛いよね。他は怪我はない?すごく心配したんだよ!何があったのか聞かせて!ああ、でも、姉さんが無事で本当に良かった」
「疲れているの、休みたいわ。これでも、殺されそうになった後なの...一級侍女を名乗る女性に。ね、そうでしょう?ルー。」
いつもと雰囲気が違うツェツェリアに、レイモンドは少し戸惑っている風だが、ツェツェリアは問い詰めたい衝動と、苛立ちを抑えるのが精一杯でレイモンドに対して普段通りに振舞う余裕はない。
「姉さん、怖い思いをしたんだね」
「そうなの。申し訳ないけど、一人で休みたいわ」
どんなに疲れ果てていようとも自分を後回しにして、レイモンドを気遣うツェツェリアの姿はそこにはない。流石に、レイモンドも何かを察したのか、腕の中からツェツェリアを解放した。
「疲れているところ、ごめんなさい。この部屋で休んで、そうだ、湯浴みはどうする?今からする?それとも、少し休んでから?お腹は空いてない?あっ、取り敢えず、着替えがいるね。その格好じゃ、ゆっくりはできないから...急いで着替えを用意させるよ」
「湯浴みはしたいわ」
貧民街の埃っぽい部屋で縛られていたため、この格好でこの部屋に設えてある高級なソファに座るのは躊躇われた。
「わ、わかった。すぐに用意させるね。あっ、お茶も!」
病弱であるはずのレイモンドはワタワタと慌ただしく、ルーディを連れて部屋から出て行った。
こんなにきびきび動けるじゃない、レイモンド。本当に病気じゃなかったのね...今までの死にそうな様子はなんだったのよ。
呆れと苛立ちが込み上げてきて、このままレイモンドを問い詰めれば、決して言ってはいけない言葉まで吐いてしまいそうで、ツェツェリアは大きく深呼吸をした。
湯に浸かりながら、ゆっくりと頭の中を整理する。
この屋敷で我が物顔で采配しているレイモンド。彼がローランド公爵の孫であることは疑いようがない。そして、その事実を知らなかったのは私のみってね。笑っちゃうわ。
豪華絢爛な屋敷、高そうなシャンプーにソープ、薔薇の花弁が浮いた湯が冷めぬようにホウロウで作られたの湯船。
有り余る財力を改めてまのあたりにし、ツェツェリアの目から涙がとめどなく溢れくる。年老いた使用人達に終の住処すら用意してやれず、屋敷で雇い続けてあげるのが精一杯だった。給料が払えずに泣く泣く退職して貰う者達にも、まともな額の退職金すら用意してやれずに心苦しかった。
この屋敷での彼の振る舞いに腹が立つ。
困窮していたのは知ってたじゃない、なぜ、病気だと偽ったの?あの高い薬代はいったいどこに消えたの?あのお金があれば使用人達を解雇しなくて済んだのよ。執事にはそれなりの退職金と路銀を持たせて息子夫婦の家に送り出してやれた。何より、この邸宅で我が物顔で過ごす姿。そんなにお金が必要だったのなら、裕福な実祖父に用意して貰えば良かったじゃない。
今までの苦労はなんだったのか...
ツェツェリアはが疑っていたことが確信に代わり、もう、悔しさと腹立たしさで気持ちがぐちゃぐちゃになった。怒りから涙がとめどなく溢れ、外で控えているメイド達に聞かれぬよう、声を押し殺して泣いた。




