足音
コツコツと石段を上がってくる音がどんどんと近くなる。メイド達の足音でも、男のものでもない、貴婦人の足音。ツェツェリアがこの塔で暮らすようになってから始めて聞いた足音だ。
だれかしら?
足音はこの部屋の前でピタリと止み、ガチャガチャとドアノブを回す音がした。ギギーッと重い音を立てて、部屋の扉が開き、赤髪の女性が入ってきた。彼女はツェツェリアの姿をその目に認めると、酷く驚いた様子で睨み付ける。
「この部屋にどうして貴女がいるの?」
「この塔を借りてらっしゃる方に、この部屋を使うように言われまして...。あの、別の部屋へ移った方がよろしいですか?」
おずおずとそう伝えれば、赤髪の女性はもっと驚いたような顔をすると、口を手で押さえた。
「そんな、信じられないわ。本当にこの部屋を使うように言われたの?」
「はい」
鬼気迫る様子で尋ねられ、押され気味に頷くと、赤髪
の女性はふぅと気持ちを落ち着けるように深く息を吐くと、ツェツェリアに上から下まで値踏みするような視線を向ける。
「まあ、良いわ。ここは私のための部屋なの、でも、主がそう仰ったのなら気にしないで使って。私がこの部屋を使うことは殆どないから、むしろ使って貰えて良かったわ」
「あの...お部屋、ありがとうございます。知らなかったとはいえ、勝手にお借りして申し訳ございませんでした。そ、その...使う事がないとは?」
「あら、自己紹介がまだだったわね。王宮で一級侍女をしております。マリッサ・モンクレールと申します。ディーン令嬢、以後お見知り置きを」
マリッサはまるで手本のようなカーテシを披露すると、小馬鹿にしたような笑を浮かべ、見下すように一級侍女の証であるブローチを見せる。そして、当たり前のように椅子に座り、ツェツェリアにも座るように促した。
一級侍女は王宮住まい。屋敷に戻ることは殆どない。だから部屋を使うことがないのね...。
「で、今話題の方が何故、私の部屋を使ってらっしゃるのかしら?城でも街でも皆、貴女を血眼で探してますわよ?」
「出て行くタイミングを失いまして...。この屋敷の馬車を借りれば、少なからず迷惑をおかけしますので...」
答えに窮し、しどろもどろに答えるツェツェリアに、マリッサはにっこりと優しい笑みを浮かべた。
「でしたら、私が馬車を用意してさしあげますわ。私の知り合いが、気分の悪くなった貴女を保護したことに致しましょう!私がその知り合いに相談されて、貴女を城へ送ったことにすれば何の問題もないわ!なら、この屋敷の方々にも、我が主にも迷惑がかかりませんし、ね、そう致しましょう!私、馬車を手配して参りますわ」
ツェツェリアが返事をする前に、マリッサは急いで部屋から出て行った。
こうなったら、帰る他ないわよね...。
後ろ髪を引かれる気持ちのまま、身なりを整えて、書き置きをして、身の回りの物を整理する。
流石に急にいなくなると、グランツが心配なさるでしょうから...。できれば、お母様が本当に殺されたという確実な証拠まで知りたかったんだけど...。
マリッサに促されるまま簡素な馬車に乗り込むと、馬車はゆっくりと走り始めた。
「まずは、私の知り合いの家へ行きましょう。そこで貴女を迎えに来たという丁で、それから、城へ向かいましょう。彼女は喋ることができないわ。字も満足には書けないから、貴女を保護していたけど、名乗り出なかったからと言って、咎められることはないわ。だから、安心して?」
釈然としないまま、馬車に揺られる間、マリッサは次から次へと早口で言葉を浴びせてくる。
「まあ、主が自ら貴女とコンタクトを取り、あの塔へと連れてこられたのですね。まあ、主と貴方のお母様であるディーン夫人は、浅からぬ関係でしたから...」
訳知り顔で、見下してくるマリッサに苛立ちを覚えながらも、ツェツェリアはそれをおくびにも出さずに、平然とやり過ごす。
「彼の方から、お母様と親交が深かったと聞きましたわ。だから、私との婚約の話があったと」
「婚約!ディーン夫人ではなく、ツェツェリア穣、貴女と?」
驚いた様子でその口元を手で押さえると、マリッサはチッと王宮侍女らしからぬ舌打ちをした。
「お母様と婚約とは?」
「気にしないで、私の勘違いよ!ほら、あの頃は混乱した時代だったから...。主も、その頃失踪なさったし...。その上、ほら、側室制度撤廃反対運動に、感染症が広がり、その上侵略でしょう?王位継承権で国内の情勢も荒れていましたし。まあ、侵略は我が国が先に領土を奪ったのが原因ですけど」
マリッサが言う主とは、グランツのことで間違えないようね...。
「あの、知り合いの家はどこにあるのですか?」
馬車は治安の悪い地区へと進んで行く。
「貧民街ですわ。その者はね、病で耳を駄目にしてから引越しを余儀なくされたの。あの時、薬草さえ届けば、メイドを続けられたというのに...。まあ、クライネット様は死刑になったのですけど...。やるせないわね、最後まで、何故、恋慕からくる誘惑に負けただけなのにと、物事を簡単に考えてらっしゃったのだから...。そのせいで、何人の人が亡くなったり、重い後遺症で苦しんでるのかも考えずに。ね、そう思いません?」
「もう、刑は執行されたのですか?」
ツェツェリアは回答は避け、質問で返す。
「ええ、連日断頭台が忙しなく動いていましたわ。イナゴの大量発生に悪天候の影響で、麦の値が高騰して都民の怒りの矛先を罪人へと転換するために」
マリッサが陛下へよい印象を持っていないことが、見え隠れする。
「そんなに高くなったのですか?」
「ええ、倍近くまで値上がりしたわ。食べることに困っても、側室制度を禁じられたから、どんなに見目の良い娘がいても安値で売るしかなくなり、皆な生活は苦しくなるばかりね。富豪に嫁がせれば結納金を沢山貰えたでしょうに...。また、孤児院に子供が溢れかえるわ。暴動が起こらないといいのですけれど...」
馬車が止まり、ガチャリとドアが開いた。貧民街特有のすえた臭いが充満し、錆びたトタン屋根に、朽ちた木材を組み合わせて建てたような家が建ち並ぶ中、古くはあるけれど、一際しっかりとした造りの古屋が一軒目に付く。
「降りて、ここよ」
警戒しながらその古屋に入ると、中は人が住んでいる様子はなく、椅子にテーブル、酒樽、品の良さそうな古びたソファーとベッドが置いてあった。マリッサが灯油ランプに火をつけると、薄暗い室内が明るくなり、隅にいた男達の姿が浮かび上がる。
ツェツェリアは急いで外へ出ようとしたが、それは叶わなかった。ガ男達はガッシリと両脇を固め、無理矢理力任せに椅子にすわらせられ、布で椅子に縛りあげると、古屋から出て行った。
「貴方にはここで死んでもらうわ。本当は、この古屋に火を放って事故死に見せかければ、犯人なんて用意しなくていいんですけど、残念なことにそうも行かないのよ。貴女が死んだと誰もが認めなきゃならないから...。顔が焼けて判別できないと困るの」
面倒だわと言いたげな顔でマリッサは、ツェツェリアに視線をおくる。
「何故、私を殺すのですか?貴女に恨まれる覚えがないわ!」
「はあ、貴女が我が主の心を奪ったからよ!何度、貴女が誘拐されるのを防いであげたと思ってるの?あの一連の誘拐事件は、全て貴女を攫う為の犯行だったのよ?可哀想に、何人の人間が貴女のせいで犠牲になったのかしら?」
マリッサはクスクスと笑いながら、身動きの取れないツェツェリアの顎を扇子で持ち上げる。
「え?なら、何故令嬢達は殺されたのですか?」
「ふふふ、簡単よ。私の顔をみたからよ。殺さなきゃ、私が誘拐犯だってわかってしまうでしょう?貴女が大公殿下と結婚して、さっさと砂漠の向こうに行ってくれたら、私の努力も報われたのに...、そしたら、主は私を伴侶として迎えてくださったわ。だって、今まで私が一番側でお支えしてきたんですもの。なのに、貴女自らこうしてのこのこと主に近づくなんて!」
「マリアンヌ様は犯人じゃないの?」
「そうよ。姉の威を借りることしか脳のないマリアンヌに、痕跡を残さず令嬢達を攫う能力なんてないわ」
マリッサはマリアンヌを馬鹿にするように嘲笑う。
「何故、私を攫う必要があるの?」
ツェツェリアは動揺を隠すことすら忘れ、矢継ぎ早に質問した。
「主が貴女を必要だと仰ったからよ!何故、こんな月夜の蟹である貴女を主が欲するのか、私には理解できないは!私は親子共々、主の行くてを阻む貴方達が憎くて仕方ないの...。ディーン夫人が主を惑わせなければ、あんな苦労をなさることもなかったのに!」
「お母様が彼を惑わすだなんて!そんなの言い掛かりだわ!!」
「ふふふ、ご存知ないの?ライラック姫は主とディーン夫人の子なのよ?ライラック姫とディーン子爵との婚姻はね、正常に戻す為のものなの。本来、ディーン子爵は殿下と呼ばれるべき存在なんですから」
ツェツェリアの顔から血の気が引いてゆく。
「嘘よ」
ツェツェリアの顔を満足そうに眺めると、マリッサは歌でも歌うように楽しそうに言葉を紡ぐ。
「貴女も見たでしょう?夫人の膨れたお腹を。当時の主はね、どんな人も振り返るような美しく優雅な方だったのよ?そんな貴公子が自分から子持ちの年増に恋心を抱くかしら?考えればわかるわよね?」
若くうぶな青年を、色仕掛けで誑し込んだといいたいのだ。ツェツェリアの顔がカッと赤く染まる。
「お母様がそんなことをするわけがないわ!私があの方の婚約者だって仰ったのよ!だから、お母様との間に子がいるはずなんてないわよ!!」
「ふふふ、信じるか信じないかは貴女次第よ?まあ、どうせ、もうすぐ死ぬことになるんだから、ね?私は城へ戻るわ、もう少ししたら、貴女を殺す者がやってくるわ。本当は私がこの手で殺してあげたかったけど、人を殺めるには、それなりのストリーと犯人を用意する必要があるの。今回はそこまで手配する時間がなかったから、これからバタバタと用意しなきゃならなくてね、殺人時間を考えると残念だけど諦めるしかないのよ。では、ごきげんよう、ディーン令嬢」
そう言い残すと、マリッサは颯爽と部屋から出ていった。
どれくらい時間がだったのだろうか?
本当はさほど過ぎてはいないだろが、ツェツェリアにとっては小一時間過ぎたような感覚だってた。カタッと音がして、ギーッと建て付けの悪い戸がゆっくりとドアが開く。
ああ、殺されるのね。
「ツェツェリア穣、大丈夫かい?」
「ルーディさま?どうしてここに?」
ルーディはツェツェリアに駆け寄ると、バタフライナイフを腰ポケットから取り出し布を切り裂く。
「商会の情報網を舐めてもらったら困るな」
「こんな所にまで、情報網があるんですの?」
「ハハハ、実は父の商会に勤めていた者達が、まだ、ここで暮らしているんだ。早く私の商会に招き入れたいんだけど、いきなり皆んなは難しくてね。力不足で申し訳ない限りだよ。まだ、私が誰かわからない?ツェツェ?」
ルーディは右手の手袋を外した。そこには星型のアザがあった。
「ルーなの?隣に住んでいた?」
「はは、やっと気がついてくれた!詳しい話は馬車の中でだ。早く行こう」
彼の父が経営していた商会は、伝染病が蔓延している時に潰れた。全てを手放し、逃げるように親子二人でこの国から出て行ったと聞いていた。
ルーディに促されるまま、急いで馬車に乗りこんだ。




