母を殺したのは?
塔での生活は静かなものだ。グランツがツェツェリアに頼んだ仕事は、彼女の父の報告書の見直しだった。彼曰く、こっそりと持ち出した物だから借りれるのは翌日まで、それも一冊づつが限度だという。一日のうちに読み切り、必要な部分を書き留めるのがツェツェリアの仕事だ。
軍の書庫から持ち出したのだろう...。彼には軍にも協力者がいるのだろうか...。
「ねえ、グランツ、貴方はこの国を出た後、どうやって生活していたの?」
「諸国を旅して叔母様達を訪ね歩き、お母様の結婚の経緯を尋ねて回った。共に戦う仲間を集め、事業を起こし資金を作った」
叔母様達とは、嫁いでいった王女様達のことだろ。侯爵家の子息として贅沢な暮らしをしていた彼にとって、平民に扮しての旅がどんなに辛かったか...。人質として売られて行った叔母達が彼を手厚くもてなすとは考え辛い。
「苦労なさったでしょう」
「私より、君の方が苦労したのではないか!もう少し早く戻って来ていたのなら、ツェツェ、君の生活を支えてやれたのに...。はあ、なぜ、レイモンド殿下はローランド家に支援を頼まなかったのか...」
レイモンドは支援を頼みどころか、要らぬ薬代にお金を散財していたとグランツには言えない。
「レイモンドは、出生がわかると命の危険があったのでしょうから...」
「それでも、貴方が大切なら...、いや、彼は子供だったね…頼ることしか出来ない。もう少し、乳母がいや、乳母は彼の忠義だ。無理はないか」
無理をして笑うグランツが何を言わんとしているか、わかり少し胸が苦しくなる。
乳母もレイモンドが一番大事だから、ツェツェリアが多少苦労しても見ぬふりをする。レイモンドは保身を一番に考え、周りの人間全てに甘えることを当然だと思って大きくなった。そう、私の幸せは二の次だったんだ…。
沈み込むツェツェリアに、グランツはいつも胸を貸してくれる。甘えたい時に、心地よいその手を差し伸べてくれた。
グランツの胸に身体を預けて、優しく背を撫でて貰えば、ささくれだった心が幾許か落ち着く。
彼は優しい。信じていた大切な人から騙され、今、誰とも会いたく無いツェツェリアにとって、グランツの囲いの中は心地良かった。ズブズブに嵌り、浮上できなくとも、彼と二人でずっとこうしていたいと考えてしまうくらい。
打ちのめしているのも、甘やかしているのも、目の前の男であると、ツェツェリアは気が付かないまま、絡め取られ、支配されいるとも知らずに。
父の出兵記録を整理していると、レイモンドが父の子ではないと確証できた。指揮官だった父の部下名簿にはセザール殿下とブロード家の子息だった当時の彼の名もあった。
グランツの話は本当だったんだ。
セザール殿下はもう、帰ったのかしら...。
「はあ、やはりな」
グランツが一つの手紙を読み終わると、大きな溜息を吐いた。
「どうしたのです?」
「これを読んで見てほしい」
渡された手紙には、側室制度を辞めるにあたって、邪魔な正室を殺害する計画があったことを証明するものだった。脅された王宮医の一人が、それを調合したらしく、その医者の自白文だ。使用したのは銀杏の芽を沢山集めて煮出した汁だ。これは菓子に混ぜても味を損なわず、銀針では検出できないため、病死に見せかけることが可能だと書いてある。
「うそ、そんな...」
「義母もこれを私の母に盛ったのだろ。ディーン夫人にも使われたかもしれない毒だ。前陛下から提案された側室廃止令は、これから不幸な結婚がなくなる良い案だったが、今まで寵愛を受けていた側室達にとっては、その地位が揺らぐ非情な案だったんだろう。前陛下は、狡猾で証拠もなく裁けない沢山の痛ましい事件をお聞きになり、側室制度を無くされた」
セザール殿下から聞いた話では見えてこなかった、側室廃止令の問題...。元陛下がゴリ押しされ可決された法案だ。
「お母様は、侯爵夫人に?」
「まだ、私の仮説だけどね。実は、側室廃止案はかなりの反発があった。世継ぎが生まれないなら、縁者から血縁者を選び後取りとすることになるだろ?まあ、普通の貴族なら問題ない。しかし、公爵家は別だ。彼らは女神の血筋である必要がある。その法案が通れば、王に必ず一人妃として差し出さなくてよくなったから、一人いれば良いのだが、その一人も産まれない可能性はあるからね」
「でも、陛下は...」
側室のみならず、愛人を持つことまで禁じられた。その影でどれだけの人が亡くなったのだろう。囲われていた愛人や側室達はどうなったのだろう。
「ああ、無理矢理にその案を通された。厳重な処罰付きで。今、エミリー嬢失われた権利を巡って、法廷は大荒れみたいだ。公女として振舞ってきたマリアンヌ嬢と、エミリー嬢の存在を隠蔽した、陛下の叔母であるルーズベルト夫人は非難の的だ」
ルーズベルト夫人の裁判に手心を加えることは困難なのね。マリアンヌ嬢の処刑も延期されているし、陛下のお立場は辛い状態ね。
「夫人は平民へ降格しての蟄居では済まないのでしょうか...」
「国外追放もあり得る。まあ、家だけを与えられ、平民としての生活を強いられる可能性すらありえる」
名家の夫人にとっては辛いバツだな。というグランツをツェツェリアは優しい人だと感じた。ルーズベルト夫人を憐れむとは、彼も10年近く平民と同じような暮らしをしてきたのに...。村への追放の方が、家と世話人を用意して貰えるだけマシよ!
「しかし、エミリー嬢は不運な娘だね。父親は別の事件で裁判にかけられているじゃ無いか」
薬草運搬事故の犯人として、裁かれているらしい。彼が故意に起こした事故で、沢山の人が薬に有り付けずに亡くたった。
「公爵は極刑でしょうか?」
「断頭台行きだろ」
「断頭台」
死刑を知らせる鐘が、ここ連日鳴り響いている。その一つにルーズベルト公爵のものもあったのだろうか...。
「今、王都では貴族に対する不満が高まっている。今年はイナゴの大量発生で麦が壊滅的だ。麦の値段が高騰し食糧難だ。贅沢をしている貴族は非難の対象になるだろう。ルーズベルト公爵家の失態に加えて、この状態でだ。民の陛下への忠誠心はかなり下がっているだろう。こんな時の貴族の処罰に、温情をかけるのは得策じゃないからね」
麦不足による蛮族侵略があるだろうから、セザール殿下はアーシェア国へ帰らないとならないと聞いていた。セザール殿下はもう帰られたのかしら?
セザール殿下や王妃様には、よくして頂いたのに申し訳ないことをしたという気持ちもある。でも、殿下も義務で結婚なさる予定だったから、私が行方不明でかえってほっとしてらっしゃるのではと、思わなくもない。
「エミリー嬢はどうなるのでしょうか?」
「陛下も彼女の存在を持て余しているだろう。悲劇のヒロインで、最近起こった事件に関わりの深い人物、市井での評判もいいから、下手な扱いができない。それなりの家柄の子息は、曰く付きの彼女を娶らないだろう。側室制度があれば、良家に側室として嫁がせて処理すればいいがそれもできない」
「持て余す、処理って、彼女に罪はなわ。エミリー嬢には幸せになる権利があるのに」
少し膨れてそう言えば、機嫌を取るようににこにこと笑いながら、髪を手櫛で梳いてくれる。
「彼女には恋人でも居ればいいのだろうが、そんな話しを聞いたことはあるかな?または、やりたいこととか?
ある程度は聞いて貰えるさ、きっと」
たらればの話でも、こうして機嫌を取ってくれるのが嬉しかった。




