塔の上 2
「貴方が言おうとしている言葉は、決して口にしてはいけない。ここを出たら、私のことは忘れなさい、いいですね。ああ、そろそろ家主と少し話しをしてきますね。続きは昼食の時に」
そう言って男が部屋からでると、入れ替わりにメイドが入って来てツェツェリアを案内する。部屋を出て連れて行かれたのは、螺旋階段を少し降りたすぐそばの部屋だった。そこには湯の用意がされていて、身振りで入るように促される。彼女達は一切の言葉を発しないが、こちらの言っていることはわかる様子だ。
湯浴みを終え、貴族が着る美しいドレスを着せられた。
ドレスはお母様が好むようなデザインだった。男がお母様と親密な関係であったことがここからも伝わってくる。
着替えが終わると、また、元の部屋へ案内される。ツェツェリアの頭の中は朝食時の話の内容でいっぱいだ。
私だけ、知らなかったんだ。レイモンドも乳母も私を騙していたの?いや、そもそも、男の話は本当だろうか?ただ、レイモンドの髪や目の色をした人物を、ディーン家の肖像画で見たことはない。ディーン家は女神の血縁でない為、一般的な茶系の髪に茶系の瞳だ。レイモンドの容姿はあり得ない。
今まで疑問にすら思わなかった自分の愚かさに、反吐がでる。間違いなく、お祖父様は知っているはずだ。お祖父様はセザール殿下を助けたように、レイモンドの命を助けたかったのだろう。なら、あの王宮で会った方々は、このことを知っているのだろうが?
ローランド公爵が私を気にかけてくださったのは、レイモンドの件があるから?本当の姉弟でないことを私に黙っていたのは、私がそれを知ったら病気のレイモンドを見捨てると思ったのかしら?
本当なら、急いで帰らなければならないのに、そういう気持ちになれない。それより、あの男が知っていることを聞きたい。私が帰えり、大公に嫁ぐことは正解なの?何もかも放り出して、このままルーディと旅に出てしまいたい。私が行方不明であれば、セザール殿下も処刑されたりはしないでしょうから...。
考えることに疲れて、ツェツェリアはソファーに倒れ込む。
これで最後という言葉と、食事の度に小出しにされる情報に、ツェツェリアは帰る機会を失う。そして、少しずつレイモンドや乳母、そして、陛下への不信感を募らせた。
「流石に、二晩ここで過ごすわけにはいきません。そろそろ帰らないと...」
ツェツェリアがそう告げると、男は非常に困った顔をした。
「わかっています。ですが、家主に王宮へ探りを入れて貰った結果、貴女を帰すことが難しくなりました」
「どういうことですか?」
「実は、昨日のうちに、貴女を攫った者を斬首すると王命が出ていたそうです。家に泊めた者も、その対象になると...、そうなれば、家主に迷惑がかかります。この屋敷の馬車で帰せば、家主が誘拐犯だと疑われまし、辻馬車を呼んでも、この屋敷に呼ばれたことは明るみに出るでしょう。いくら無実と訴えたところで、私を匿っていることがバレれば、彼やその家族の名誉は損なわれるでしょう」
ツェツェリアはそのまま崩れ落ちそうになったところを、男に抱きとめられる。
「そ、んな...」
「私と家主で、貴女が帰れるように手立てを考えます、ですから、しばしお時間を下さい」
「申し訳ございません。私が神殿で眠ってしまったばかりに、とんだご迷惑をおかけしてしまって」
彼は表に出れない存在。だから、大事にならないように、神殿で話をしてそのまま別れる予定だったんだ。私が眠ってしまわなければ...。
悔やまれるが、後悔先に立たずでもう取り返しはつかない。
「そんな顔をしないで下さい。私が婚約者に一目会いたいと思わなければ、いえ、もう、元婚約ですね。あの頃の私は幼い貴女が、私の妻になる日を楽しみにしていたのです。もう、その願いも叶う事はありませんが...」
少し寂しそうに笑う男に、ツェツェリアは全く覚えていない自分が申し訳く感じた。彼は私の両親への思いと、彼の親への嫌悪感から約束された地位を捨てたのだ。その事実がツェツェリアの胸を締め付ける。
「ですが...」
言葉を発しはしたものの、何を言っていいのか分からず、続かない。
「そんな顔をしないで下さい。私にとって貴女は守るべき存在なのですから、今も昔も。申し訳ございませんが、貴女を帰す日まで、この塔から出して差し上げることは出来ません。というか、私も自由に出られないんですけどね」
逃亡中の身なのでと、冗談めかして笑う男に、ツェツェリアの心はいくばくか助けられた。
男は常にツェツェリアに寄り添い、気を遣ってくれる。レイモンドのように甘えるでもなく、セザールのように強引に接してくるでもない。常にツェツェリアが心地よいように気を配り、会話する相手が二人きりというこの状況で、退屈にならないように、外国の話やお母様のことを話してくれた。
「ここは、塔の上の方にある部屋でね。下の部屋を使うわけにはいかないんだ。家主の家族に私の存在がバレてしまうからね」
「家主さんのご家族も、貴方の存在を知らないんですか?」
「ええ、知りません。ここにいるメイド達も口の聞けない者達だけですら、かなり徹底してある。私の存在は家門の存続そのものを揺るがす可能性がありますから。まあ、ご家族からすれば、他国の訳あり貴人が間借りしているくらいの認識でしょうか?」
その言葉に、『帰りたい』と言う台詞が引っ込む。
「そうなんですか。本当にここは高い塔ですね」
窓から下を見下ろして、そう言えば、男はにっこりと笑って遠くに視線を向けた。
「そうです。高い塔なのです。ここを出たら、この塔も私のことも全て忘れてしまいなさい。それが貴女の為です。私は貴女と過ごしたこの時を生涯大事に、これからを生きて行きますから。この思い出があれは、私は充分幸せです。本来なら、この時間でさえ、手に入らなかっだのですから」
そう言うと、男は遠慮がちにツェツェリアを抱きしめた。その言葉が、行動が、彼が今もツェツェリアを婚約者のように大事に思っているという事実として、彼女の心に重くのし掛かる。
『早く帰らないと、結婚式まで、日にちがないのです』と言う言葉を言わなければならないのに、彼を前にすると、その言葉を発することを躊躇ってしまう。
ツェツェリアは男が日に一度、塔の下へ降りていることを知っている。それは、いつも同じ時間帯で、家主に会いに行っているという。
後をつけようにも、ドアに鍵はかけられていないようだが、ツェツェリアは未だ部屋のドアを開けることはできないでいた。男に聞くと、建て付けが悪くコツがいる上、扉自体が重いからかもしれないねと言われた。
「あの、家主の方へご挨拶したいのですが...」
「私も合わせてあげたいのはやまやまですが、貴女が彼のことを知ってしまうと、お帰しした後、どこかで会ったらリアクションに困られるでしょう?万が一にも、陛下にそれを気づかれると、彼の首が飛びかねます故、ご辛抱下さい」
困ったように、眉尻を下げてそう言われたら、それ以上、ツェツェリアに追求する術はなくなる。だが、結婚式の日程は刻一刻と迫って来る。ツェツェリアの中で焦りが生まれるのは致し方ない。




