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脱出

 明日の夕方、神殿へ一人で行くのは難易度が高い。見つからないように、ここから脱出するのは不可能に近い。ディーン家に帰ってから、こっそりと神殿へ向かうのが一番妥当よね。神殿までは徒歩で行けるのだけど...。まず、家に帰る許可を貰わなければならない。本当ならレイモンドと帰りたいんだけど、私が屋敷から抜け出したことが、万が一セザール殿下にバレてレイモンドが咎められるようなことがあってはならない。あくまでも自己責任じゃなきゃならない。


 グダグダと考えてみるが、中々良い案は浮かばず、とうとう夕食の時間になってしまった。

 

 この時間までに願いでないと、明日の帰宅は不可能になってしまう。


「あの、明日、帰宅して自宅で一泊したいのですが、明日を逃すと、もう当分ディーン家に帰る事は叶いませんので、お世話になった皆にお別れをしたいと思いまして」


 それらしいことを慌てて言い繕うツェツェリアに、セザールはいつもより無関心だ。何か思い悩むことでもあるかのように反応が鈍い。


「そうだな、出発するまでには最後の機会になるだろう。持って行く荷物の整理もする必要があるな。護衛を付けるから、一度帰るのもいいかもしれん。犯人は捕まったとはいえ、絶対に一人で出歩くなよ。もう、あんな思いは懲り懲りだ」


 アッサリと許可するセザールの対応に、ツェツェリは引っ掛かりを覚えたが、小さな違和感に目を瞑ってディーン邸へ帰宅した。


 久々に帰ったディーン邸は、ツェツェリアが子供の頃の活気ある姿に戻っていて、売りに出したピアノまでもがリビングに置いてあった。


 あまりの嬉しさに涙が頬を伝う。


 ピアノの上に、よく似たピアノの形をしたオルゴールが置かれていた。


 もしかして、セザール殿下は昔、家に来たことがあった?


 あの頃の記憶は曖昧だ。幼かったのもあるが、国内は他国からの侵略にバタつき、その上、流行り病まで蔓延し、情勢は混乱を極めていた。そんな中、お父様が戦死し、お母様が何者かに襲われて、不運が重なり私の精神状態は良くなかった。


 このピアノは幸せの象徴だ。お母様がピアノを弾いていたときは、まだ、レイモンドは居なかったけど、お父様もお母様も健在で家の中は明るく幸せに満ちていた。レイモンドは確かに産まれてない。なら、一緒にこの家に暮らしていた男の子は?あれは誰だったのかしら?


「お嬢様、こちらは持って行かれますか?」


 ユアがお母様の手記を持ってきた。最近、お祖父様の手記を城へ持ち込んだからだろ。


 お母様の手記に、何故、私がセザール殿下と婚約に至ったのかが書いてあるとは思えないけど、読んで損はないわよね。何より、この屋敷に一緒に暮らしていた男の子の存在が気になるし、それは、書いてありそうだわ。


「それは、城へ持って行く荷物に詰めて、あっちの小箱は、ユア、貴方にあげるわ。耳飾りが入っているの、良いものじゃないけど、長年、私の世話をしてくれたお礼よ。あと、レイモンドをよろしくね」

 

 裏口から抜け、少し歩くと神殿の西門に着く。西門は相談目的の人達のためにあり、入口は奥まった所にありは上、簡素で人目につきにくい。人目を避けるように神殿に入った。


 閉門時間の間際ともあって、人の出入りはほぼない。祈りの間に入るとステンドグラスの明かりを浴びた、一人の祭司の姿があった。王家の象徴とも言える美しい金髪と碧眼を持ち、少し憂いを帯びた美しい男性。


 ツェツェリアの顔が驚愕に固まる。


「待っていました。私の愛しい人」


 男の口から紡ぎ出される美しいテノールに、ツェツェリの足が竦む。


「怖がらないで?」


 クスクスと笑いながら、男はゆっくりとツェツェリアへ近づき、その髪を一房手に取ると恭しく口付け、そのまま鍵をかけた。


 聞きたいことがたくさんあるのに、蛇に睨まれた蛙のように声が出ない。


「椅子に座ったらどうだい?紅茶でも淹れよう」


 腰に手を回されテーブルまで促され。椅子を引いてツェツェリアを座らせると、男は目の前に温かな紅茶と、リンゴベリージャムをたっぷりあしらった、搾り出しクッキーを置く。


 ツェツェリアの母親の大好物であるリンゴベリージャム。たったこれだけのことで、ツェツェリアの警戒心が一気に緩む。


「一つ摘むといい、君も紅茶には砂糖を二つでいいかな?」


 砂糖二つ、これはお母様が紅茶を飲む際に入れる砂糖の数。


 ツェツェリアは、促されるままクッキーを1枚手に取る。


「はい。二つお願いします。あっ、あの、貴方は一体だれなのですか?」


「私かい?ふぅ...君は、私のことを母君から聞いたことは無いんだね...」


 男はカップにブラウンシュガーを二つ入れると、クルクルと金色のティースプーンでかき混ぜ、それをツェツェリアの前に置く。ツェツェリアはそれを眺めながら、クッキーを一枚齧った。ツェツェリアの口いっぱいに甘酸っぱいリンゴベリージャムの味が広がった。


 ツェツェリアの母親はリンゴベリージャムのクッキーを食べる時にのみ、紅茶にブラウンシュガーを入れていた。


「わかりません。幼い頃にお母様を亡くしましたので、もしかしたら、聞いたことがあるやもしれません...」


 リンゴベリーと、言ってもいないのに選んで貰ったブランシュガー入りの紅茶で、ツェツェリアの警戒心はほぼ溶け、落胆する男に申し訳なくすら感じるようになっていた。


「そうだったね。まだ、君は幼かった。私も当時は、真っ直ぐに物事を考えることしかできない残念な若輩者だった。先王が戦の中、崩御され、若き王の誕生に敵国は勢いづき、流行病が蔓延して、情勢は混乱を極めていたな...」


 急に眠くなり、男の言葉が遠くに聞こえる。

 

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