殺害
静寂の中、ペンを走らせる音と紙を捲る音のみが聞こえる。
ツェツェリアは耐えかねて、ソファーから腰を浮かせた。
「どこへ行く」
ペンが止まり、セザールと視線が交差する。
「お祖父様の手記の続きを取りに行こうかと思いまして」
「マニエラ、持って来い」
微動だにせず控えていたマニエラが、ホッとしたように足速に部屋から出て行った。入れ替わりに、この部屋の雰囲気をぶち壊すように、王妃が満面の笑みで入って来た。
「重症化したわね。こんな人だったとは、ビックリだわ」
王妃はセザールに、軽蔑したような視線を向ける。
お二人の間に何があったのかしら?
「眩いばかりの午後に御座います。王妃殿下」
セラに習った挨拶の言葉とカーテシで、王妃を迎えると、王妃ははんなりと笑った。
「ツェツェ、身内だけの時は堅苦しい挨拶は抜きでよい。そのうち其方、誰にもにも会わせてもらえなくなったりするかものぉ」
気安く、愛称で呼ぶ王妃をセザールは無遠慮に睨みつける。
「そう睨むものではないわ。結婚式用のドレスを持ってきてあげたのですから。セラに言って、向こうの部屋に準備させた。安心するがいい、私とセラが同席しましょう。そんなに心配なら、ドアの前で張り付いていたら良い。それとも、同室にパーテーションでも用意させようかしら?」
えっ、嘘でしょ?パーテーションの向こうにセザール殿下、座って待ってらっしゃるつもり?
「あゝ、たのむ。で、事件の進展はあったのですか?」
「ええ、睡眠薬を盛ったメイドは見つかったわ。街道の小さな町で、金貨で宿代を払ったから訝しんだ宿屋の主人が人相書きと照らし合わせて通報したそうよ。」
王都ならいざ知らず、小さな町で金貨を使う者はまず居ない。我がディーン家でも、長い間金貨を見ていな買ったわね。
「で、だれから命令されたと言っているのですか?」
「マリアンヌと自白したわ。ツェツェが生意気だから、少し懲らしめる為ですって。マナーも礼儀作法も拙いくせに、ここに居座っているのが許せなかったそうよ。眠り薬で、ちょっと警告するだけだけですから、そんなに重い罪には問われないと諭されたようね」
私のマナーが気に入らなかったからって、やりすぎよ!確かに、まだ人前に出れるように仕上がっているとは言い難いけど...。拙いと自覚があるからこそ、セザール殿下がお茶会や夜会を相談なく断ることを黙認してたのよ。
「昔はここまででは無かっただろ?」
マリアンヌ嬢のことよね。ご自分が絶対の正義であるという雰囲気だったことを思い出す。
「妙に正義感に強い傾向ったが、あの子の婚約者になり拍車がかかったようね。お義母様の望みだったとはいえ、彼女を選んだのは間違えだったかも知れないわ」
「姉であるジャネット殿と比べられて育ったからなぁ。努力もかなりしていたみたいだから、前王妃様も、その憂いが少しでも晴れればとの気遣いだろ」
「王妃であり、当主でもあったお義母様は、いつもルーズベルト公爵夫人を心配されていらしたわね。ご自分が王妃の座と当主の座両方を手に入れてしまったからと。でも、ジャネットとマリアンヌでは、根本から差があるから...」
生まれ、財力、身分、貧富、美貌、そして、親。これらは自分の努力ではどうしようもない。
「確か、マクレーン侯爵夫人のお父様は、ローランド公爵家のご出身でございますよね」
「そうよ、我が国の頭脳、ローランド公爵家の出身。財務大臣だったわ。流行病で亡くなるなんて、本当に残念でならないわ」
我が国の重要ポストには、必ずローランド家の人間がいると言われるぐらい、優秀な人物を輩出している。一介の会計課の課長でしかないルーズベルト公爵と財務大臣では能力も雲泥の差ね。
「流行り病で亡くなったのですか?」
私のお父様も流行り病で、亡くなったと聞いている。父は軍人だったから、遠征中に掛かって薬が間に合わなかったと思っていた。でも、ジャネット様のお父様は文官、病気が蔓延していたとき王都へ居たのでは?
「ええ、そうよ。よく覚えているわ。薬を運んでいた運搬部隊が谷底に沈み、薬が間に合わなかったんですの。お義母様の嘆きようは凄かったわ」
「何故無理をしたのだ?補給部隊が谷底に沈むなど滅多に無いぞ?」
驚いたようにセザールが声を荒げる。
「ああ、貴方は遠征中だったから知らないわね。先王であられるお義父様がお義母様の憔悴ぶりを見兼ねて、補給部隊に急ぐよう指示を出し、それを大袈裟に受け止めた補給部隊が、昼夜を問わず道を急いだからよ。夜の雨の中、道が脆くなっているのに気が付かず、道が崩れて谷底へ落下。責任者だったクライネット男爵も、かなりの損失を被ったと聞いているわ」
「それで、本来なら、薬が切れることのない王都で、薬が足りない事態が発生したのですね」
雨の中、夜道を進むなんて自殺行為だわ。
「ええ、結果的にそうなったわ。そのせいで、何人もの人が死ぬことになったわ」
流行り病は初期に薬さえ飲めば、死に至ることは殆どないと言われている。その事故さえなければ、ジャネット様のお父様は亡くなることは無かった。
「クライネット男爵といえば、エミリー嬢の」
「ああ、お祖父様にあたる方よ。確か、補給部隊の指揮を執っていたのが、今のルーズベルト公爵だったわ。彼は、補給部隊が壊滅状態になり、その後処理のため王都に留まることになったはずよ」
もし、自分の任務失敗で亡くなった方の奥様と知っていた?いえ、ご存知なかったのよ、きっと運命の悪戯で...。そう、思いたかった。
「はあ、嫌な野郎だ。自分の失態で夫を亡くした未亡人二人を手玉にとったのか」
セザールの言葉に王妃の顔色が悪くなった。
「当時、エミリーの母親にクラリネット男爵子息(マリアンヌの父親)が、想いをよせていたのは有名な話しよ。彼女も満更では無かったわ。ただ、彼女には生まれた時からの婚約者がいて、その恋は始まる事もなく終焉を迎えたのですけど。彼が故意に事故を起こしたのなら、いえ、そんな恐ろしいことあってはならないわ」
「もしかして、エミリー嬢のお母様の元旦那様も」
バクバクと心臓が五月蝿い。
「そう、その時、薬を待っていた人物の一人よ」
ああ、もし、彼がそのことを知って、敢えて補給部隊が事故に遭う様に無謀な指揮を取っていたのなら...。
嫌な考えが頭から離れない。
コンコンとドアをノックする音が聞こえる。
「ドレスの試着の準備が整いました」
侍女の声に王妃はいつもの淑女の顔を取り戻した。
「付き添ってやりたかったが、やる事ができた故、失礼するわ。デザイナーとお針子は置いてゆくから、不都合があれば遠慮なく申せ」
そう言うと、王妃様は慌ただしく宮から出て行った。
結婚式のドレスの試着を行う。バージョンの向こうにはセザールが座っている。二度もあんな事があったの為、セザールが一歩も引かなかったのだ。
「大公殿下はツェツェリア様にベタ惚れですね。ふふふ」
「本当、ツェツェリア様のことを片時も離したくないって、噂本当だったんですね。もう、王都中の令嬢の悲鳴が聞こえきそうですわ」
楽しそうに話しかけてくるお針子達の言葉が辛い。そういう設定だから無闇に否定も出来ないし、この前のお茶会での事件は公になると、王妃様の体面に傷が付くから話す訳にはいかないし。
「はあ、あの大公殿下の心を射止めるなんて」
「王都では、お二人の出逢いの話がもう、もちきりで、ツェツェリア様はみんなな憧れての的なんですよ。新聞も、ツェツェリア様と大公殿下のことを書いた記事はすぐに売り切れになるんですから」
え?
「私、ツェツェリア様のドレスを縫えるって言っただけで、もう、みんなに羨ましかられて。今日も、ツェツェリア様に会えるって自慢して、鼻高々で参りました」
キャッキャしながら、お針子達はテキパキと手を動かす。
「はあ、お美しい。大公殿下、ご覧になられますか?」
デザイナーは、ニコニコと自分の作品を身に纏ったツェツェリアにご満悦の様子だ。
「ああ、みたいな」
セザールの一言で、サッとパーティションが取り払われる。
「ああ、綺麗だ。だが、背中が空きすぎではないか?胸元も」
「今はこれが流行っているんですよ?大公殿下」
ニコニコと笑うデザイナーを呼びつけて、何やら注文をつけていた。
「ふふふ、承知いたしました。ちゃんとご要望にお応え致しますわ」
デザイナーはご機嫌に帰って行った。




