街へ
「奥様、申し訳ございませんが、私は別の用事があるため、本日は一緒にいけません。代わりにマニエラを連れて行って下さいませ」
セラはそう言うと、可愛くめかし込んだマニエラを、ツェツェリアの乗っている馬車へ押し込んだ。楽しく二人で買い物をして来いというセラなりの気遣いだ。
「ツェツェリア様、十字貿易商会へ行きましょう!素敵な便箋が置いてあるんですって!」
マニエラが興奮気味に捲し立てる。
「ええ、行きましょう」
ツェツェリアが同意に満面の笑顔でマニエラは、御者へ十字貿易商会へ馬車を進めるように言う。
「他には、何を買われますか?今の流行りは、手紙をリボンや押し花で飾ることなんです。ローランド公女様が始めらたことで、ローランド邸では、良くお茶会が開かれいて....」
マニエラは買い物がよっぽど嬉しかったのか、饒舌に今日回る店を提案してくる。
「ふふ、マニエラに任せるわ!あと、刺繍用の糸も欲しいの」
「わかりました!とっても良い店を知っているんです!ジャネット様がよく行かれる店で....」
マニエラに話を聞きながら、ツェツェリアも楽しい気分になる。
十字貿易商会は相変わらず繁盛していて、若い令嬢や裕福な商家の娘達が楽しそうに品を見ていた。ツェツェリア達も便箋を出して貰う。ツェツェリアはマニエラの目を盗んで定員へ手紙を渡した。
気を抜いたのがいけなかった。店の外へ出る時人にぶつかりこけそうになったところを、抱き止められ、布で口と鼻を塞がれ気を失った。薬品を染み込ませた布だったのだろう。
どれほど時間が過ぎたのか、目が覚めた時、周りは薄暗かった。カーテンは破れ、家具は朽ち、あちらこちらに誇りが貯まっている。長年放置されたとわかる廃墟の一室に置かれた不似合いな真新しいベッド。ツェツェリアは手足をそのベッドにくくり付けたまま寝かされていた。
意識が朦朧とする中、頭上から糖蜜のように甘やかな男の声が降ってくる。
「あーあ、もう、見つかっちゃったか。本物は、紛い物とは違って本当に可愛いね。そんな怯えた目で見ないで、愛しい人。怖がらせたいわけじゃないんだ。今回は仕方ないから諦めるよ。だけど、絶対に諦めない。君を必ず手に入れるから待っていてね?」
神父服の男はそう言うと、ツェツェリアのおでこにキスを一つ落とし音もなく立ち去った。
しばらくすると、ドタドタと走り回る音と、乱暴にドアを開ける音が聞こえてきた。
「ツェツェリアはいたか!」
セザールの怒鳴る声が聞こえ、ほっとしてまた、意識が途切れた。
次にツェツェリアが目覚めたのは、ホワイト宮のいつものベッドの上だった。横には、泣きそうな顔のマニエラの姿があった。
「奥様!」
マニエラはツェツェリアの手を握って泣き出した。
「良かった、気がつかれて。どこか痛いところはありませんか?」
「お水、貰える?」
マニエラは慌てた様子で水差しからグラスへ水を注ぎ、ツェツェリアへ手渡す。ツェツェリアはグッとそれを飲み干した。
「大丈夫よ。少し手首が痛いけど、大事ないわ」
「あっ、大公殿下を呼んできますね」
マニエラは手の甲で涙を拭って、急いだ様子で部屋から出て行った。
神父服の男性、彼はいったい誰だったんだろう?私を手に入れるとは?面識があるとは思えないけど、彼は私を知っているようだった。
ドアが開き、心配そうな顔のセザールが室内へ入ってきた。
「大丈夫か?」
「はい、大事ありませんわ。あの、私を誘拐した方はどうなったのですか?」
セザールはベッドの端に腰を下ろし、ツェツェリアと視線を合わせた。
「逃げられたよ。だれも、姿すら見ていない」
「そうですか、あの、私が連れ去られていた場所はどこだったのですか?」
「ああ、あそこはブロード侯爵家の邸宅だった場所だ。売りに出しているようだが、あんな事件があった後だ、買い手がつかなくて、今も一応、ブロード侯爵の持ち物になっている」
また、ブロード侯爵家。
「あんな事件とは?」
「知らないならいい。簡単に説明すれば、ブロード侯爵の長男の失踪だ。忽然と姿を消し、未だ死体さえ見つかってない。それより、犯人の顔はみたか?」
ツェツェリアの顔を覗き込むように尋ねてくる。
「顔は髪で隠れていて、よくわかりませんでした。ただ、神父様の格好をした男性でした」
「髪の色は?目の色は?他に特緒は?」
穴が開くように見つめられ、耐えれなくなったツェツェリアは視線を逸らす。
「髪の色は黒かったと。瞳は髪で隠れて見えませんでした。ただ、薄暗く...」
「わかった。ゆっくり休め。そろそろ、マニエラが食事を持ってくるだろう」
セザールはゆっくりと立ち上がり、部屋から出て行った。
翌朝、食堂へ行くともう、セザールは朝食を済ませて出かけた後だった。セラから、今日は一日中、王太子妃教育に時間を費やすと告げられる。今日、セザールと会うことがないということだ。このホワイト宮に来ているから初めてのことだった。
「ディーン令嬢、我が国の神話はご存じですか?」
カロが絵巻物を見せて尋ねてくる。
「ええ、大体は」
「神話の女神達が公爵を指します。で、神話には続きがあるのです。まあ、あくまでも、神話としてお聞き下さいね」
そう言うと、カロは絵巻物を話しに合わせて広げだした。
「女神達の戦いは、戦いの女神マリウスの勝利に終わりました。マリウスは太陽神の他の女神達との間にできた子供達を次々と殺し、その首を自分の腰に下げ、太陽にその座をマリウスの息子に譲るようにつめよります。ここから、この国が二つに分裂した戦いが始まります。戦いの女神マリウスvs他の女神達と太陽の争いです」
「それは、聞いたことがあるわ。女神マリウスが負けてこの地から追い出されたのよね?」
カロは、巻物をその場面より先に広げる。
「はい、ただ、追い出されたのは、女神マリウスだけでその子供は父である太陽に仕えます。それが、侯爵家の始まりといわれています。まあ、厳密にいえば、いくつかの公爵家はなくなり、侯爵家は増え、今は神話の通りとは言い難いですが」
そう言いながら、カロは絵巻物を片付け、次に貴族名鑑を広げる。
「今の話を踏まえて、これをみて下さい。先王の時代までは、存在する全ての公爵家から何らかの形で妃を出していました。出すことが義務付けるられていた、と言って良いと思います。そして、最も多くの王を輩出しているのがルーズベルト公爵家です。財の女神の末裔と言われるだけあって、その商才は中々でこの国では最も財産を持っていました」
「いましたとは?」
カロは、家系図の公爵を指差す。
「夫人が病床に臥し、事業を公爵が請け負ってから芳しくありません。前王妃の威光にも、最近のスキャンダルで陰りが見えます。今、勢いがあるのが、王妃の生家である知性の女神の末裔ブルボーヌ家と慈愛の女神の末裔ローランド家です。そう言われているだけで、その門家がそう言う方々とは限りませんので」
辛辣なカロのもの言いに、ツェツェリアは吹き出してしまう。
「失礼では?」
「大丈夫ですよ。ここには、私とディーン令嬢しかおりませんので」
シレっと、そうのたまうカロにツェツェリアは我慢できずに声を上げて笑う。
「あははは、もう、お腹が痛いわ」
「ふむ。家事は大丈夫そうですね、流石、ディーン家をまわしていらっしゃっただけはあります。予算の規模は違いますが、なれれば、どうにかなるでしょう。貴族名鑑はゆっくりと覚えてくだされば、大丈夫ですよ。ブルボーヌ家とローランド家以外、中央とはそこまで関わりがないので」
砂漠を挟んだ飛地だものね。
「今日、セザール殿下は?」
いつも横に控えているカロは、ずっと私の横にいて、学習を手伝ってくれている。
「ああ、陛下とご一緒ですよ。夕食も陛下と召し上がられると伺っておりますので、今日は、ディーン子爵と夕食はご一緒なさったらいかがでしょう」
「まあ、ありがとう。そうするわ」
久しぶりに、レイモンドとゆっくり話ができる。
ツェツェリアの気分が上がる。




