マリアンヌと王妃 【マリアンヌ視点】
王太子妃教育が終わった後、マリアンヌは王妃の部屋へ呼ばれた。
「眩いばかりの午後に御座います。王妃様」
「どうぞ、座って」
薄っすら笑みを浮かべた王妃に、正面に座るように促される。マリアンヌが座ると、侍女がサッとお茶を入れてくれる。
「ここへ呼んだのは、婚姻後の貴女の侍女についてです。だれか、宛はあるのかしら?」
本来なら、王宮侍女を探すのは苦慮するものではないが、今回は少し特殊なため難しい。だが、マリアンヌには前王妃の侍女であるセラがいる。
「セラにお願いするつもりです」
「あら、そうなの?セラにはもう了承は得ていまして?」
何故、セラに了承を得なければならないのかしら?セラは叔母様がうちから連れて行った侍女。なら、うちの使用人でしょう?
「いいえ、まだです」
「そうよね?セラが了承したのかと思って驚いたわ」
クスリと王妃は訳知り顔で、閉じた扇を口元に当てて笑った。
「それは、どう言う意味でしょうか?セラが私の侍女を引き受けないとでも言ったのでしょうか?」
「引き受けないでは、なく。引き受けれないのよ、セラは」
王妃は優雅な仕草で扇をテーブルに置くと、ゆったりとティーカップを持ち上げる。
「何故か、お聞かせ願えますか?」
苛立ちを隠し、マリアンヌは笑み浮かべるがその瞳からは怒りがありありとみてとれる。そんなマリアンヌを嘲笑うかのように、王妃はお茶を一口飲んだ。
「今日の紅茶はとても美味しいわ。良かったら、マリアンヌ嬢も飲んでみて?セラはもう、ディーン令嬢の侍女なんですもの。セザールが是非とセラを口説き、雇用契約を結んだのよ?まあ、セラの城での身分も曖昧だったから、私もホッとしていたの。セザールにとってもセラは母親のような存在でしょ?そんな人物の所在があやふやで、とても心配していたみたいでしたの...」
マリアンヌは王妃にしてやられた悔しさを、なるべく表に出さないように噛み締める。
先手を打たれてたなんて!確かに、お母様が病気でお姉様は嫁ぎ、正直なところセラの処遇に気をつけてあげる余裕がなかった。いや、そんなこと微塵も気にしていなかったというのが正解だ。セラから、頼ってくることも無かったですし...
「そうだったのですか」
セラが引き受けれないとなると、かなり困ったことになるわ...。乳母は屋敷から追い出されましたし...。追い出されなくても、あの騒ぎがあるから、私付きの侍女には難しい。また、ディーン令嬢なの?セラは私のだったハズなのに!ああ、もう、どれだけ私の大事な人を奪えば気が済むの?
マリアンヌの怒りの矛先は、ツェツェリアへ向く。
侍女を用意出来ずに嫁げは、王妃が準備した者を侍女長として任命することになる。そうなれば、マリアンヌの行動は全て王妃によって管理され、王室は金の鳥籠となることは容易に想像できた。
「あの、セザール殿下とディーン令嬢の婚姻は、契約のものと耳にしたのですが...」
マリアンヌの口から、ついこの言葉が漏れてしまった。王妃の顔色が一瞬変わるが、すぐにいつもの余裕のある笑顔に戻る。
「そんなデマ、どこで聞いたのかしら?ああ、ジャネットね...、まあ、いいわ。それが事実かどうかなんて?だって、あのセザールがやっと婚姻する気になったのよ?貴女も見た通り、セザールったら、ツェツェリアを片時も離そうとしないんだから。私がツェツェリアをお茶に誘った招待状でさえ、セザールに握りつぶされる始末よ」
全く困ってないのに、困ったポーズをする王妃にマリアンヌの怒りは最高潮だ。
ディーン令嬢、一体どんな手を使ったのよ!あの、セザール殿下をそこまで惚れさせるなんて!
「なら、私がディーン令嬢をお茶へ招待しても、来て頂けないでしょうね」
形だけの招待状ですむのは、正直助かるわ。ディーン令嬢を私のお茶会に呼びたくなかったから。向こうが断ってくれるのであれば、そこまで警戒せずに招待できる。
「そうね、セザール同伴のものでなければ、断られるでしょうね?それは、そうと...マリアンヌ嬢、王都民の評価がこの国の国民の評価に繋がることは、知っていますわよね?貴女は、他の貴族より努力する必要があるのですよ」
王妃はマリアンヌの市井での評判が、あまり良くないことを指摘した。努力とは、慈善活動のことだろう。それも上手く行っていない。それとは別に、マリアンヌの出生によって起こった悲劇が、市井の民達の格好の話題だとも言及する。
「はい。精進いたします」
マリアンヌには、こう答えるしか術はない。
「それは、そうと、公爵夫人の体調はどう?もう、不都合はないのかしら?」
王妃が遣わしたメイドが公爵夫人の侍女となり、彼女が一切を取り仕切るようになって、体調は一気に好転した。今では、公爵家の業務全てに目を通せるほどだ。
「お陰様で、だいぶ良くなりました」
「そう、なら良かったわ。ジャネット夫人が嫁いでから、ルーズベルト家も落ち着かなかったみたいですけど、夫人の病状が安定したら一安心ね」
マリアンヌの乳母の件、そして、エミリーを冷遇していた件が王妃の耳に入ったのだろうことは、容易に想像できた。暗に、ジャネットと比べて、マリアンヌの力不足を指摘する皇后に、怒りしか湧かない。
「はい、事業の方もだいぶ安定致しました。お父様もこれで公務に精進できます」
「そうそう、エミリー嬢ですが、彼女にやっと家庭教師がついたみたいてほっと致しましたわ。前回のクビはあまりにも可哀想ですもの、淑女教育が済み次第、次は貴女からのお願いと言うことで、城の侍女として来て頂こうかと思っているの。これで、貴女がエミリー嬢を冷遇していたという、噂は消えるでしょうから」
エミリーお姉様を王宮侍女に再抜擢するなんて!嘘でしょ?やっと王宮から追い出せたのに!エミリーお姉様は私やジャネットお姉様とは違うのよ?正式な身分もあやふやなルーズベルト家の厄介者なんだから!はあ、何で名乗りを上げて、我が家に来たのかしら?婚外子なら普通は見つからないように屋敷に閉じ込めとくんじゃないの?なのに、『お母様はエミリーには悪いことをした』と悔い。ジャネットお姉様は『最低限、ルーズベルト家の預かり子』として接しなきゃならないと言う。
エミリーお姉様が、自身の置かれた立場を理解していらっしゃるのなら、まあ、それでもいいのだけと...。私と張り合おうとするから、気に入らないのよ!それに、お父様は私よりもエミリーお姉様を可愛がっている。その事実が何よりも許せない。
「ありがとうございます、王妃様。私はこれで失礼させて頂きます」
「ええ、気をつけてお帰りなさい。ああ、そう、今度、私主催のお茶会を開くわ。是非いらしてね」
マリアンヌは沈んだ気分のまま、馬車の停めてある東側へ行くために足を進める。東側はホワイト宮のある方だ。マリアンヌの愛して止まない、セザールの宮である。
ひとめ見れないかしら?
そう思った矢先、セザールがホワイト宮から馬に乗ってこちらへ向かってくるではないか。
呪いが効いたのね。
沈んていたマリアンヌの心が一瞬にして浮上する。
「セザール殿下」
マリアンヌははしたないと思いながらも、つい大声で声を掛けしまった。
「これは、ルーズベルト公女。王太子妃教育の帰りか?」
ルーズベルト公女。
セザールのこの呼び方に、マリアンヌの浮上していた気分が一気にに降下した。その上、他の男と結婚する為の準備を指摘され、悲しくなる。
「いえ、王妃様にお茶に誘われて」
マリアンヌの口から,咄嗟に言い訳がましくそんな言葉が漏れる。
「そうか、では、もう帰るのだな?」
「あ、はい。あのもし宜しければ、昔のように少しお話しせませんか?」
他人行儀な会話、その上、馬から降りる気配もなく、では、と言って立ち去りそうなセザールをマリアンヌは慌てて引き止める。
「ルーズベルト公女、貴女は国母になるのだ。そして、もう何もわからない子供ではない。要件があれば、正式な手順を踏んでくれ。ああ、あと、今後、姻族になるとはいえ、未婚の男性をファーストネームで呼ぶべきではない。大公と爵位で呼ぶべきだ」
セザールはそう言うと、さっさと立ち去ってしまった。
マリアンヌはセザールと自分の間に大きな壁が出来たようで、ひどく悲しくなった。
ディーン令嬢、ディーン令嬢、ディーン令嬢、ディーン令嬢、何故、私の大事な人を奪うの?私が貴女に何かした?ああ、もう、おかしくなりそうよ!
急いで侍女長を任せれる人物を探さなきゃならないわ!打算的でなく、何より私の信頼を裏切らない有能な人物を。お母様やジャネットお姉様に相談したら、マーサを連れて行けっていうでしょうね...。でも、マーサはイヤよ!マーサはローランド公爵家の末端貴族。ジャネットお姉様に対する対応と、私に対する対応があまりにも違うのも信用ならないわ。
イライラしつつ家へ帰ると、出迎えてくれた家令にジャネットお姉様を呼ぶように頼む。なんだかんだ言って、マリアンヌは他に頼るとこはない。少し無理を言って、帰って来てもらい助言を頼めば今までだって正しい道を示してくれた。
「お嬢様、申し訳ございません。ジャネット様をお呼びすることはできかねます」
家令が申し訳無さそうにそう告げてくる。
「どうして?」
いつもなら、すぐに迎えの馬車をお姉様の所へ向かわせてるじゃない!また、お父様が苦言でも言ったの?でも、お父様くらいなら、家令が黙らせれるでしょ?
「宰相閣下がいらっしゃいまして、奥様もジャネット様を呼ぶのは控えるように、ジャネット様にご用意があるなら、手順を踏んで、自らお会いに行かれるようにとのことです」
まあ、お義兄様が苦言を申されたの?だから、お義兄様の邸宅に向かうのは、嫌なのよ。何を聞かれているかわからないし、私がお姉様に甘えるのを良く思っていらっしゃらないから。
「わかったわ。お母様に会えないか聞いてきて」
お母様には相談したくなかったけど、背に腹はかえられないわね。




