兄弟 1 【セザール視点】
視点変わります。
王の執務室に、黒髪の美丈夫がノックもなしに入ってきた。セザール殿下、王弟殿下。この大国の入り口にある小国を収める大公でもある。
「兄さん、いきなり婚姻しろとは、一体どう言う了見ですか?」
セザールは、王である兄とは違う軍人らしく逞しい身体に、着崩した白いシャツに黒いパンツという、謁見に相応しくないラフな出立ちで、王の執務室へ乗り込んできたのだ。
「セザール、もう良い歳なのだから、もう少し、ましな服装をしたらどうだ?それに、だいぶ前に王都入りをしたのだろう?すぐに、余に挨拶に来るべきじゃないのか?はあ、それに、いきなりでは無いぞ。身を固めろと幾度となく言った筈だ」
王はやれやれとでもいうように、でっぷりとした身体を背凭れから起こすと、執務室の椅子からゆったりと立ち上がった。
王は親子ほど歳の離れた弟であるセザールをとても可愛がっている。だから、多少無禮であっても一切気に留めることなどない。セザールもそれを踏まえてこの態度だ。
「だからって、相手が十も年下の小娘とは!」
「まあ、そう興奮するでない。取り敢えず、座れ。未婚のまともな同世代の令嬢など存在せぬぞ」
視線でソファーを指し、苦笑いをすると王は自分も向かいへとドサッと腰を下ろした。セザールとは一回り半も歳の離れた王は、先代王によく似た厳しい風貌をしている。若い頃は金髪だった髪や濃い体毛に白髪が混じり一段と威圧感を与えた。
この国の婚姻は女性は16歳、男性は18歳が主流だ。何も問題の無い三十の婚姻歴のない男性など皆無に等しい。セザールと同世代の問題もなく婚姻歴の無い淑女などいるはずがない。王が相手として打診したディーン令嬢も19歳と行き遅れの部類。
「俺に婚姻は必要ない!相手にも困ってないし、面白おかしく自由気ままに生きるさ」
王手ずから淹れたお茶に、セザールは遠慮なく口を付ける。
セザールは後継者問題を考えると、自分が未婚な方が争いが少なくて良いと思っているきらいがあり、また、結婚そのものを面倒だと感じている部類の人間だ。
「そうは言うが、今残っておる王族は、余とお前、そして我が子達だけだ。残念なことに、余は一人しか王子に恵まれなかった。わかってるとは思うが、側室を迎えることは余が法律で禁じた。その余が自らその禁を破れば、また、昔のような悲惨な出来事が起こるだろう。また、息子にこの先、何も起こらんとは限らぬ。王族の滅亡は国に存亡にも関わることだからな」
先王の時代まで、この国では婚姻という名の人身売買が行われていた。金持ちの豪商や貴族達は金や権力に物を言わせ、年端も行かぬ女達を婚姻という名の下、親達から購入していたのだ。また、王の後宮は沢山の妃で溢れかえり、国の財政を圧迫し、生を授かった王子達を命の危険に晒した。数十人いた先王の子供達で生き残ったのは現国王と、セザール、そして、外国へ人質同然に嫁いだ姫達だけだ。
国王自身も王座に座るまでに、何度も命を落としかけている。幼き頃に盛られた毒の後遺症で表情筋が強張り、その表情はいつも堅く変化が少ない。セザールは、唯一その幼さと妃としての母親の身分の低さゆえに、熾烈な椅子取りゲームから逃れることができたのだ。だが、現王であるサガード3世が王座に座って居なければ、その命は今は無かっただろう。サガード3世も、セザール以外の母親の違う兄弟を皆殺しにしていた。
セザールはサガード3世によって生かされたと言っても過言では無かった。セザールにとって、王であるサガードは兄であり、命の恩人であり、保護者であり、絶対的な存在なのだ。その命を差し出せと言われれば、黙って差し出すだろうし、兄の勧めである婚姻であれば、最終的には受け入れる用意はある。
はあ、また、面倒だ。妻を迎え入れるのは容易だが、迎え入れたからには、最低限の礼儀は尽くさねばなるない。兄の紹介なのだからな。女は面倒だ。楽しく遊ぶ程度で充分なのだが…。
「で、どこの令嬢ですか?」
ゴホ。
あっけらかんと尋ねる弟の言葉に、サガードは口をつけていたお茶に咽た。
「ん?お前は、手紙を読んでおらんのか?」
額に手を当て眉間に皺を寄せると、サガードは呆れたように溜息を吐く。兄のそんな様子に悪怯れるでもなく、セザールはへらりと笑うとお茶をぐいっと飲み干した。
「美味いな、この茶は。全く読んで無いわけじゃないですよ?読んでなかったら、今、俺は此処には来てません」
「冒頭を読み、文句を言いに来た訳か?呆れた奴だ」
「兄さんの命令なら、どんな女でも娶る用意はあるさ。わかっていらっしゃるのだろ?」
セザールはニャと笑うと、大袈裟に恭しく頭を垂れた。その様子にサガード3世は満足そうに笑う。
「相手は、お前の師でもあるディーン将軍の孫娘。ツェツェリア・デール・ディーン嬢だ。恩師の孫娘ならばお前も不満はあるまい。将軍が生前気にをしていた孫達を援助するつもりで組んだ縁談だ」
ディーン将軍。剣術をそして、戦で勝つ術を教えて貰った恩師。今の自分があるのは彼のお陰だ。クソ、その孫娘ならば当初の予定とは違い、適当な離れにでも放置して置くわけにはいかない。だが、兄さんが援助の為に縁談を組むぐらいだ。そんなに生活が逼迫しているのだろうか?
白髪の厳しい風貌の優しく笑う老師の顔が脳裏に浮かんだ。その恩師の宝である二人の孫。
「彼らの生活はそんなに危ういのですか?」
飛び地の小国を治めるセザールの耳に、ディーン子爵家の現状など届くことはないのだから、彼ら姉弟の暮らしぶりなど知るよしもないのは当然だ。
「ああ、ディーン子爵は不治の病に侵されておる。生命を維持するのに多額の医療費が必要だ。将軍が生きておった頃は、軍からの名誉職としての多額の金が入っておったが、今は少ない領地からの収益のみだ。代々あの家門は優れた騎士を輩出しており、その給金が主な収益だ。領地からの税収では、貴族としての体面を保つのが精一杯であろう。そこへ医療費が嵩んでおる。ディーン子爵家の家計は火の車であることは容易に推測できる」
なるほど、兄の恩師でもあるディーン将軍の宝を捨て置くにはあの冷徹な兄も良心が痛む訳か。だが、王という立場上、表立って援助する訳にも行かぬから、苦肉の策として不肖の弟と婚姻させ、裏から援助する算段か。子爵家であれ、恩師の孫娘であれば婚姻は難しくはない。また、俺の妻が力の無い子爵家の出であれば、この先、自分の地位を脅かす存在になり難いとの計算もあるのだろう。相変わらず、食えない人だ。まあ、万が一、俺が力のある家門の御令嬢と成婚したら、兄にとって可愛い弟から、目障りな人物へと変化するのだろうな。
「わかりました。ですが、ディーン令嬢と婚姻したら、誰が病気の子爵の面倒をみるので?」
「それは、心配いらん。ライラが喜んで世話をするだろう」
サガードは楽しそうにクックと笑いながら、セザールのカップにお茶を注いだ。
ライラック姫が?一体何故?
「そう、子供のように驚いた顔をするな。ライラがディーン子爵に一目惚れしてな、結婚させて欲しいと頼み込んできたのだ。可愛い娘の頼みだ叶えてやりたいと思うのが親であろう?さすれば、ルーディハルトも安心するであろう」
ルーディハルト殿下とはライラック姫の兄でこの国の王太子だ。彼は常に、自分より優秀な妹の存在に危機感を抱いて居た。その為、二人の兄妹仲は険悪、其れが一層ルーディハルト殿下の恐怖心を煽っているのだ。
下手に力のある公爵家や属国に降嫁させれば、ルーディハルト殿下は常にライラック姫の謀反に怯える日々を過ごすことになるのだ。それが、不治の病に侵された病弱な旦那を持てば、そんな余裕などなくなると踏んでいるのか。優秀であり可愛がってはいるが、いくら優秀であっても姫であるライラックより、王子のルーディハルトの前途を守るのが、一番と言っているようなものだな。恩師の子まで利用する気か兄らしい。
「そうですか、で、ディーン子爵家の姉弟の返事は?」
「明日、聞けることになっておる」
はあ、拒否しても上手く丸め込む算段なのだろう。兄にかかれば、令嬢など赤子の手を捻るより簡単なことだ。