ローランド邸【エミリー視点】
エミリーの願いは叶い。家庭教師として、ローランド公女を迎えることとなった。但し、公女に来て貰うわけにはいかない為、授業のある日にエミリーが出向くという形に落ち着いた。彼女はエミリーにとって、とても良い先生だった。基本的なマナーをわかりやすく教え、幼児が習うことでも、出来なければ遡って説明してくれる。マウントをとるようなこともなく、過度な要求も、思わせ振りな態度もなく、淡々と授業を進める。
ローランド公女は、自分の方が年下だが良いのかと、何度も尋ねて来たが、エミリーは年齢は関係ない。知らないのであれば、年下の方にも教えを乞うべきだと説明した。
「エミリー、基本的なマナーは理解できたかしら?はあ、残念だわ。エミリーは素敵な人なのに、何故、マリアンヌはエミリーの面倒をしっかり見なかったのかしら?年下の私のことも、先生として扱ってくれるますのに...」
ローランド公女の口から、よくマリアンヌへの苦言が出る。そのたびに、エミリーは内心細く笑む。
「マリアンヌは、私が姉だから、気を遣ってくれてるのよ。年下の自分が注意をするのは良くないと思っているのよ。多分」
エミリーはその度に、マリアンヌの肩を持った。
「エミリーは優しいのね。マリアンヌはエミリーに気を使うべきなのに。マリアンヌがこのまま王太子妃になるなんて、本当に心配だわ」
その度に、ローランド公女はこう返した。
ローランド邸では、週に2回はお茶会が開かれているらしい。その規模はまちまちだが、エミリーはそのお茶全てに出席するように言われた。エミリーにとって、今日は2回目のローランド邸のお茶会だ。
前回のお茶会はエミリーにとって行幸だった。ひたすらエミリーの境遇を憐み、それがマリアンヌによるものだと遠回しに伝える会だった。エミリーはマリアンヌを庇い。ローランド公女はルーズベルト夫人とマクレーン夫人は素晴らしい方なのに...という風に持っていく。これが、エミリーをお茶会のメンバーに紹介する流れとなっていた。
授業を終え、東屋に行くと、3人分のお茶の用意がされていた。
今日はローランド公爵夫人はいらっしゃらないみたいね。
先日のお茶会で分かったことだが、ローランド公爵夫人もマリアンヌのことは、お気に召さない様子だった。ルーズベルト夫人にも思う所がありそうな雰囲気だったわね。
「エミリー、お客様がもうすぐいらっしゃるわ。噂をすれば、ほら」
ローランド公女の視線の先に、今流行りのドレスに身を包んだディーン令嬢の姿があった。使われいる生地は、最上級のもので、身につけている宝石はどれも小ぶりであるが、その輝きから上質のものとわかる。背後にセラを従え、十字貿易会社で購入した物とわかる日傘を差され、歩いてくるその様は貴婦人そのものだ。
子爵令嬢で、殺される運命のくせに!という思いを必死で隠して、ローランド公女に教えて貰った貴婦人の笑みを顔に貼り付ける。
城での夜会で、けちょんけちょんにやり込められた件があるから、正直なところ会いたくなかったのに、彼女の私への印象は最悪だろけど腹を括るしかないわね。ローランド公女の耳にも、私がディーン令嬢に対してやらかした事件は入ってるでしょうに、この場に私を同席させるなんて、いったい何を考えているのかしら?
恨みがましい目を、ローランド公女に向けたいのを必死で我慢する。
「ディーン令嬢、エミリーとは会ったことがおありとか?」
「ええ、前に..」
気まずげに応える、ディーン令嬢に反省の意を伝えるようにローランド公女に促される。
「私が無知で、ディーン令嬢には迷惑をおかけしたの。あの時までの私は、自分の立場を履き違えていましたの、ディーン令嬢に傲慢な態度をとってしまって、お恥ずかしいかぎりですわ」
前回の行動を恥じるよう口にすれば、ローランド公女それで良いと合図をくれた。
「実は、エミリーは淑女としての教育を全く受けず、不幸なことに誤った知識のみを得ていたの...。ルーズベルト公爵夫人の調子が悪いのは、ディーン令嬢もご存知でしょう?これを幸いに、エミリーの出生をよく思っていない、ルーズベルト公爵の執事が彼女に家庭教師をつけるのを怠って...、その上、エミリーが耳にするのは...マリアンヌの話のみですから...それが、常識と勘違いをね?」
エミリーは恥いるように俯く。
「私、ルーズベルト公爵に御厄介になる前は、市井で暮らしていましたの...その為、貴族としての常識が全くわかっていなかったんです。ただただ、真似をするしかなくて...」
エミリーの言葉に、訝しげな表情を浮かべるディーン令嬢に、ローランド公女はここぞとばかりに畳み掛ける。
「ディーン令嬢、言わんとすることはわかります。実はエミリーの世話を請け負ったのは、つい先日ですの、聞けばそれまで、エミリーは衣食住の世話は何の不都合もなく受けていたものの、教育面は一切放置され、マリアンヌ嬢の自慢話のみを聞いて過ごしていたらしく...。その上、縁談のみは世話をされ、エミリーも流石にこのまま嫁ぐのはルーズベルト公爵家に迷惑がかかると、それで、城の侍女になりたいと公爵様に頼んだらしいのですが...」
ここからは、もう、前回のお茶会と全く同じ流れだ。ひたすらに、ローランド公女がエミリーがマリアンヌに虐められているかを悪口にならないように、やんわりと伝えるエミリーはひたすらにマリアンヌは悪くないと庇えはいいだけだ。ローランド公女はマリアンヌの王太子妃としての資質が心配だと嘆くと同時に、エミリーは過去の行いを悔い、今、ローランド公女という素晴らしい師に出会い。学び中であり、まだまだ、未熟な為、失敗も多いが仲良くして欲しいとアピールする。
これにより、マリアンヌの評判に疑問を持ってもらい、エミリーへの同情をかう。
舞踏会でのエミリーの失態さえ、マリアンヌの不注意が招いたことにしてしまうローランド公女の手腕に舌を巻いた。
ここからは、お茶会は和やかに進み、エミリーでさえディーン令嬢と非公式の場では、名前で呼び合う仲になった。
これも全て、ローランド公女の思惑かと思うと少し怖いわね。ディーン令嬢の背後に控えているセラが口を開かないということは、ディーン令嬢にとっても、セラと裏で繋がっているだろう王妃様にとっても、悪くない結果だということなのだろう。
後は、何者かがディーン令嬢を殺してくれればいいんだろうけど、セザール殿下が片時もはなさいんじゃ難しいわよね。
お茶会を無事に終えて、エミリーはルーズベルト公爵家へ帰る。いつも通り裏口から中へ入ると、応接室から怒鳴り声が聞こえた。
「いい加減にして下さい。マリアンヌ嬢とお宅の元執事のせいで、我妻まで迷惑を被っているんですよ!夫人が闘病中で屋敷の中が回っていなかったことは、存知ています。ですが、いえ、ですから余計にです。マリアンヌ嬢の王太子妃としての資質が試されるのでは、ありませんか?そんな中、彼女の行動は国母となるには、些か目に余る物がります。彼女がそのような行動をすれば、私の妻がマリアンヌ嬢を諌めなかったのかと、非難を浴びるのですよ」
宰相閣下がいらしているのね。私の家庭教師の件が、宰相閣下の耳にも入ったのね。
エミリーはそっと中の話に聞き耳を立てる。
「あれは、元執事の独断。マリアンヌとは関係ない。しかし、それを諫めなかったマリアンヌにも非があることは確か、その点は、こちらで処理するつもりです。決して、ジャネットの名声を汚すことはないよう対処しましょう」
語気の荒い宰相とは対照的な、ルーズベルト夫人の淡々とした声が聞こえてくる。
「ほう、どう対処なさるつもりか?マリアンヌ嬢の為に、既に一人の令嬢と夫人の人生がめちゃくちゃになっているのですよ?それを償う為、我が妻がどれだけ尽力したか、貴女はご存知でしょう?まあ、夫人、貴女も精一杯の罪滅ぼしはなさっているのでしょうが?しかし、その、他人の人生を犠牲にして、今の立場を手に入れている人物の行いはどうなのです?」
マリアンヌの為に人生かぐちゃぐちゃになった令嬢とは私のことで、夫人とは私のお母様のことよね。それを償う為に尽力したとは?
「私の教育不足としか言いようがないですわ」
「ジャネットの人生は、貴女方の尻拭いをする為にあるのではないのです。貴女が再婚なさらなければ、私はそちらへ婿養子として入っていいと申し上げておりました。マリアンヌ嬢は慣例どうり、領地でいない子としてお育てになれば良かったものを。そうすれば、エミリー嬢は伯爵令嬢として、何ら不自由のない生活を送れていたのですよ?」
「エミリーには申し訳ないことをと思っています」
「では、何故、彼女を公爵家の養子として迎えないのです?」
「それは、彼女のお母様から彼女まで奪う気がして、申し訳なかったのです。勿論、エミリーの立場からすれば、我が家の養子にした方がこの先、生きやすいことは理解しています」
「夫人は、まだ抜け殻です。我が子さえ認識できない有様なのですよ?貴女達のせいで?そんな状態で、我が子を幸せになどできるのでしょうか?その子供すら苦しめるのですか?彼女が少しでも幸せになるように、手助けするべきではないのですか?」
責めるような口調で、宰相は夫人に詰め寄る。
「わかりました。エミリーと相談して、彼女が我が家の養子になりたいのなら、手続きいたしますわ。ジャネットにも、もう、気を追わなくても良いと言っておいて下さい」
ルーズベルト公爵家の養子になれる。これで、公女の身分が手に入るのね!やっと、マリアンヌと同等に扱われるわ!
「助かります。マリアンヌ嬢が落ち込む度に、呼び出されるジャネットの身になって欲しいですな!まったく、自分から出向けば良いものを、何様だと思っているのだか!」
宰相のマリアンヌに対する言葉はどれも辛辣だ。
「マリアンヌには弁えるように、言っておきます」
エミリーは良い気分で自分の部屋へと足を進めた。着替えをメイドに頼み手伝って貰い、お礼にローランド邸から貰ってきたクッキーをこっそり渡す。
いつも、エミリーはいつも帰りにローランド公女にお菓子を強請る。着替えを手伝ってくれるメイドに渡す賄賂がいると正直に公女に相談した。公女は専用の侍女すら付けて貰ってない有様に驚いていたが、帰りにお菓子を快く包んでくれる。この事実をいずれローランド公女は、自分の都合が良い時に使うだろう。
エミリーの世話をするメイドは勿論いる。だけど、その娘は家令の息がかかっていて、彼の意向どうりに動き、エミリーに対して不遜極まりない。
行きの着替えは手伝ってくれるのに、帰ってきてからは放置されるのよね。次に私の目の前に現れるのは、夕食時かしら?
着替えが済むと、エミリーはベッドでゴロゴロしながら、宰相の言葉を思い出す。
夫人とジャネット様が私達の為に尽力ね...。なんだろ?ああ、教会と孤児院の立て直しか!確か、お母様が預けられた時は、不正の温床で最悪の状態だったのよね。それを真っ当な状態までもっていって、尚且つ、王都で一番過ごしやすい教会と孤児院へと立て直したと聞いた。それには、多大なお金と労力が必要だったはずだ。それが、私とお母様が過ごしやすくなるようにと、尽力下さったのであれば世間体の為とはいえ、有り難いことに代わりはない。飢えることなくに、暴力に晒されることなく過ごせたのだから。
なーんだ。公爵夫人の人気は罪滅ぼしから、ジャネット様の人気は親の尻拭いからなんて、笑えるわ!それは、宰相閣下やローランド公爵家はマリアンヌに対して、面白くないわよねー。その方々からしたら不要な妹のせいで、大事なジャネット様はバタバタと踊らされるんですもの。
まあ、お父様はマリアンヌ以上に嫌われているみたいですけど。外でのお父様との距離感は、気をつける必要があるわね。
孤児院へ行きたいのだけど、許可がおりない。おおかた、マリアンヌの慰問活動が上手くいってないせいなんだろうけど、迷惑極まりないわ!そろそろ、ジャネット様へ泣きつく頃合なんだろけど、今しがた宰相閣下に注意されたばかりだ。夫人が許可するとは思えない。
孤児院へ行かないと、女神様のお告げも聞きに行けないし、テッドとも会えない。でも、今、無理をして屋敷をこっそり抜け出すのは得策でないし、悩ましい限りだわ。
夕食時、エミリーが食堂へ行くと、最近は執務室で食事を摂る夫人が席に座っていた。
「食事の前に、重大な話がある。エミリー、貴女を我がルーズベルト公爵家の養子に向かえようと思うのだけど、どうかしら?我が家の養子となり、このままマリアンヌに仕えて欲しいの。マリアンヌが王太子妃として、城へ上がるのは知っているわね?」
「はい」
「そこで、貴女にマリアンヌの王宮侍女になって貰いたいの。待遇は王太子妃付きの侍女長よ。貴女には、城の決まりに慣れて貰わなきゃならないから、淑女教育がすみ次第、王太子殿下の下で侍女として働いて貰うことになるけど、どうかしら?」
私が王宮侍女に?王太子付きなら籠絡するのも楽になる。
「私は一度クビになった身ですが大丈夫なのでしょうか?」
「マリアンヌが王妃様に頼み込んだのよ。貴女に家庭教師が付いていないのに、執事に注意を怠ったお詫びとして」
夫人がマリアンヌに視線を向けると、マリアンヌはにこりと笑った。
本当なんだ、やっと私の存在を認めてくれたのね!マリアンヌ、思ったよりも嫌なヤツじゃない?本当に前の執事が私のこと嫌ってただけなのかも...。公爵夫人の『エミリーの本当のお母様からエミリーを奪うような気がして』と言うことが、頭を過ぎる。養子の件も孤児院や修道院への多額の寄付も全て名声を得る為ではなく、純粋にエミリー親子の為だった。
「マリアンヌありがとう」
エミリーは嬉しくて堪らず、満面の笑みでお礼を言う。
「エミリー、養子の件はこちらで進めてもいいかしら?貴女のお母様の容態が落ち着いたら、しっかりとお詫びに行き、援助を申し出たかったのですけど、今の様子ででは....私が行くのは憚れて...こんなに遅くなってごめんなさいね」
女神様が言うほど悪い人達じゃないのかな?




