家
ツェツェリアは自室の質素な木製の椅子に座り必死で考える。両親が亡くなり、嫁ぐことなど考える余裕は正直無かった。
両親が亡くなった後、高齢の祖父がツェツェリア姉弟を育ててくれた。祖父は元軍人で、将軍まで勤めた人物だった。その風貌は厳しく素晴らしい体躯の持ち主だったが、ツェツェリア姉弟にとっては優しい存在だった。
祖父は生前、ツェツェリアの社交界デビューをと準備していたが病に倒れ、床に臥せた。治ったらと考えていたようだが、そのまま帰らぬ人となりそれも叶わなかった。
祖父の口癖は、『ツェツェリアに良き嫁ぎ先を、レイモンドに良き嫁としっかりとした後ろ盾を用意してやらねばならんな』だった。
今、正に、ツェツェリアはその良き嫁ぎ先と、レイモンドのこの上ない後ろ盾、そして、良き妻の打診があったのだ。
相手は王族、この話以上の良縁は無いことは良くわかっている。だが、婚姻など全く考えず、姉弟で二人助け合い身を寄せて暮らしてきたツェツェリアにとって、大公殿下の領地はあまりにも遠かった。
いずれレイモンドは妻を娶り子爵家を継ぐ身、小姑であるツェツェリアが居座る訳には行かない。その事は、頭ではわかっている。だが、気持ちが付いていかない。
期限は一週間。
レイモンドに相談しなくては。
重い腰を上げ、ツェツェリアはレイモンドの部屋へと向かう。
部屋へ入ると、レイモンドはベッドの背もたれにもたれ書類を見ていた。
「レイ、体調はどう?お昼はちゃんと食べれた?」
「お帰り、姉さん。大丈夫、今日はましだよ」
「そう、ならいいけど。無理しないでね」
ツェツェリアはそう言うと、レイモンドの横へ座り、レイモンドのおでこに手を当てて熱がでていないか確かめる。ツェツェリアのそんな様子にレイモンドは微笑むと、ツェツェリアを抱きしめた。
「大丈夫だよ、心配性だな姉さんは。それより、陛下は何と?」
「私と貴方の結婚の話だったわ。貴方の相手はライラック姫、この上無い相手よ。陛下が貴方の後ろ盾になって下さると仰ったわ」
努めて明るく笑う。
そう、この結婚はレイモンドにとってこの上無い良縁なのだから、私のエゴで壊しては駄目。
「良縁って、僕は結婚したくないよ。姉さんさえいてくれればいい。何なら、子爵家を誰かに譲って、どこかの田舎で姉さんと二人過ごせたらそれでいいんだ。どうせ僕に貴族など務まるわけがないんだから」
レイモンドはツェツェリアを抱きしめ、その肩に顔を埋める。
「そんなことを言うものでは無いわ。貴族で無くなったらどうやって生きていくの?貴方は労働など出来ないし、私に貴方を養うだけの甲斐は無いわ」
「ごめん。姉さん、僕が不甲斐ないばかりに。でも、僕は姉さんさえいればいいんだ。結婚などしたくない。それに、僕が結婚したら姉さんはどうするんだい?我が家に嫁を養うお金なんてないじゃないか。姫様なら尚更だよ、我が家の経済状況で満足なんか出来ないさ。それより、姉さんの相手は誰なんだい?うちには、姉さんを嫁にやるだけの持参金など用意でいないんだ。きっと、破談になるよ」
レイモンドの言葉にツェツェリアは喜びを感じる。
私もよレイモンド。
だが、レイモンドにこの言葉を伝えてはならない。
ツェツェリアはその言葉を無理矢理飲み込むと、胸の内をレイモンドに悟られ無いよう必死に笑顔を浮かべ、努めて明るい声を出す。
「持参金も嫁入り道具も要らないわ。全て陛下がご用意下さるそうよ」
ツェツェリアの言葉にレイモンドは目を見開くと、ツェツェリアの両腕を掴み珍しく声を荒げた。
「嘘だろ?誰だよ相手は?」
「大公殿下よ」
「大公殿下…って!姉さん、断ってよ、そんな婚姻。姉さんには僕が居れば良いだろ?そんな遠くに行ってしまったら、僕が倒れた時どうするのさ。今までだって二人で頑張ってきたんだ。これからだって、そのままでいい。二人で力を合わせれば、今迄みたいになんとかなるよ」
捲し立てるレイモンドを落ち着かせるように、その背を撫でながら、ツェツェリアは重い空気と共に口を開く。
「全て、陛下がご準備下さるとおっしゃって下さったわ。断る手段が見つからないの」
貴族の婚姻なんて、やよもとから愛なんてないのが普通だ。好きな人がいると嘘を吐いた所でどうにもならない。結婚したくないなんて…。ましてや、相手は王族、拒否権すら最初から無い、それに王命と言われればどんな理不尽なことでも従わざるを得ない。
レイモンドも同じ気持ちなのだろう。これ以上言葉を発せぬが、その目には不満の色がありありと見てとれる。
「そもそも、僕にも姉さんにもこの婚姻は、不相応だよ。我が家はしがない子爵家だ。姫の降嫁なら公爵が妥当だろ?それに、大公殿下の妃だって、せめて伯爵家以上じゃないと釣り合いがとれないんじゃないかな?」
レイモンドは苛立ちを隠せない様子で、親指の爪を噛む。
「ああ、レイ、爪を噛んじゃダメよ。貴方の綺麗な手が傷になってしまうわ」
ツェツェリアは慌てて、レイモンドの爪を噛んでいる方の手を両手で握り締めた。レイモンドは姉の必死な様子にふにゃりと表情を緩めた。
「姉さんは僕の手が傷になるのは嫌なの?」
「当たり前でしょう!貴方が傷つくのも悲しむのも見たくないわ。だって、たった二人の姉弟なのよ。だった二人の家族なんだから!」
声を荒げ、怒った様子のツェツェリアとは対照的に、レイモンドの顔は緩む。
「僕も姉さんが悲しむのも、傷付くのも嫌だな。何より、姉さんが僕の側から離れるのは僕には耐えられないよ。想像するだけで、寂しくて死んでしまいそうだよ」
レイモンドはツェツェリアの頬を両手で優しく包むと、少し瞳を潤ませ眉尻を下げて、その顔を覗き込んだ。
「私もよ。レイ」
そうよ、この婚姻はお断り致しましょう。レイの言う通り、身分も不相応だし、何より、レイが心配でそんな遠くに嫁げないわ。素直にそう陛下へ申し上げれば、きっとわかって下さるわ。