ルーズベルト家の姉妹 【マリアンヌ視点】
「お姉様、私、セザール殿下のこと諦めるなんて、辛過ぎて出来そうにもありませんわ」
姉であるジャネットに縋りつく、マリアンヌの大きな蜂蜜色の瞳から涙がとめどなく溢れてくる。
「可哀想なマリー、沢山泣いてもいいから、もう、殿下のことは諦めて、今後の貴方の身の振り方を考えなければならないわ」
ヒクヒクとしゃくり上げるマリアンヌの背中を優しく撫でながら、ジャネットは諭すように言葉を紡ぐ。
「身の振り方…」
「そうよ。これからどうするつもりなの?貴女が王太子に嫁ぐことを拒否するなら、お父様はすぐに我が家門から王太子妃候補を立てなければならないわ。叔母様の威光も翳りを見せているからね…。そして、貴女はその女に一生頭を下げ、媚び諂って生きていかなければならないのよ。言っている意味がわかるわよね?」
ジャネットの言葉にマリアンヌはビクリと身体を震わせる。18歳を目前とした年齢。高位で尚且つ、将来的有望な子息達には婚約者がいる現実。婚約者を亡くしたことの重みが初めて、マリアンヌの肩に大きくのし掛かってきた。
今の生活を維持したままでの、結婚という逃げ場がないわ。だいぶ格下の家門の跡取りか、海外の王族の側室。これが今の私に望める最良の嫁ぎ先。それですら、怪しいのが現実。
マリアンヌの涙が引っ込む。
「お姉様なら、どの選択をなさいますか?」
姉の答えなど分かりきっているが聞くことを止められない。自分のやろうとしていることが正解という確信が欲しくて。
「王太子妃よ」
そうよね。
「どうしてですの?」
「私、見下されて生きて行くのは、嫌いな殿方と床をともにするより耐えられませんの。それに、よく考えて、マリー。貴女が苦手とするのは、王太子の内面ではないのよね?貴女がときめかない面長すぎる顔と、細い突き出した顎は王家の特徴そのものよ。まさに、権力の象徴と言っても過言ではないわ。そう思えば愛せないかしら?」
力強くはっきりと言い切った姉の言葉に、マリアンヌは決意を固める。
流石、ルーズベルト家の女。
ルーズベルト公爵家、商才には長けているが、高官を輩出できていない家門。その公爵の地位は何代にも渡り、王妃の座を射止めた女性の力によって維持されている。
「ふふふ、何んですの。それ?可笑しい。確かに、髪と目の色以外の王家の特徴ね。そうね、今、王子は一人。叔母様達の頃のようにその座に座れば、命を掛けて戦うことが無い分恵まれているわ。私、王太子と婚姻するわ。エミリーお姉様に頭を下げて、なんて真っ平御免よ」
「エミリーは王太子と結婚する気でいるの?」
ジャネットは真底驚いた顔をした。エミリーは婿養子に入った公爵の連れ子だ。デビュタント前になって我が家にやって来た経緯がある。その明確な理由をマリアンヌ達は知らない。そして、ジャネットは夫人と前の夫の子、マリアンヌとマリアンヌの弟であるマシューは現ルーズベルト夫妻の子だ。当然だが、エミリーはマリアンヌの姉に当たるが、ルーズベルトの血は一滴も入っていない。
「さあ、何を考えているのかさっぱりわかりませんわ。子爵家から縁談が来たのにお断りしていましたし…。お母様はいいかげん、縁談を纏めるようにお父様に詰め寄ってらっしゃったわ」
「この前はブルボーヌ公爵家パーティーに連れて行って欲しいと、お父様にお願いされていたけど、侯爵家以上の爵位の家門が集まるパーティーだから、お母様が許可なさらなくて…」
お父様とお母様の雰囲気が険悪になり、エミリーのいつもの『御免なさい私の我儘の所為で…、一人留守番は、除け者にされたような気がして寂しかったの』という言葉で、幕引き。エミリーはルーズベルトを名乗りたいみたいだが、勿論、お母様が許可をしない。お父様はエミリーだけ除け者は…みたいな雰囲気。
「それで、今回の大公殿下の為のパーティーは連れて行くと、約束なさったのね」
大きく肩を落として、ジャネットが信じられないという風に首を振る。
「ええ」
マリアンヌは申し訳無さそうに、姉の顔を見つめる他なかった。
名目は大公殿下の帰還を歓迎するパーティーだが、開催の目的は王太子妃選び。今回は二度目の婚姻とあって、伯爵家以上の16歳を過ぎた未婚の女性全員に招待状が送られている。だが、エミリーは爵位でいえば男爵家の娘。本来なら、参加資格は無い。今回はあくまで、付き添いとしての参加。
「さてと、マリー、貴女がここまで塞ぎ込む原因は、その白いチューリップだけではないわよね?」
マリアンヌもジャネットもセザールとは子供の頃からの付き合いだ。マリアンヌがセザールに袖にされるのは、今に始まったことでは無いことくらい、ジャネットは知っている。
マリアンヌはビクッと身体を強張らせる。
「貴女ことは誰よりもわかっているつもりよ」
「実は…西区にある雑貨屋で見てしまったのです。セザール殿下が女性といらっしゃるのを…、それも、仲睦まじい様子で…。帰ったらチューリップとメッセージカードが届いていまして…」
再びマリアンヌの瞳から大粒の涙が溢れ落ち始める。
マリアンヌが幾度と無く、セザールへの想いを拒絶されようともめげなかったのは、彼に特定の女性が居なかったからだ。
心のどこかで、自分は特別だとさえ思っていた。彼の側にいる女は自分だと…。相思相愛だとさえ思っていた。彼が自分の想いに応えてくれないのは、王太子に遠慮しているからだとばかり思っていたのに…。
だからこそ、あの光景は衝撃的だった。セザール殿下は女性の買い物に付き合うような方では無い。彼からの誕生日の贈り物は精々髪留めかブローチ、又は小物入れ。それも、カロが選んだ物と相場が決まっている。それでも、贈り物を貰える未婚の女性は、私と姪であるライラック姫のみだったから期待したのよね…。
王妃であった叔母様が生きてらっしゃった頃に、セザール殿下の婚約者になりたいと強請ったら、怖い顔をして『それだけは、なりません』と言われたことがある。それ以来、その事を口にすることは無くなった。そして、セザール殿下はあの年になるまで、誰もお迎えにならなかった。だから、聞いてはいけない何かがあるんだって思ってたのに…。なら、他の人と添い遂げようと…。
「そうだったのね…。辛かったわね、マリー。あのね、よく聞いて。大公殿下は婚姻なさるわ」
「嘘」
信じたく無い!
「嘘じゃないの。夫から聞いた話よ。大公殿下が生きていらっしゃるのは、その婚姻に関係があるの。本来なら、陛下以外の男児は死ぬ運命よね?それはわかるかしら?でも、陛下がディーン将軍との約束を果たす為にお命を守ってらっしゃったの」
ディーン将軍との約束。
「その約束が何故、結婚と関係があるのです?」
マリアンヌの口調が知らず知らずのうちに強くなる。
「ディーン将軍の孫娘が、二十歳までに婚姻してなければ、セザール殿下と結婚させて欲しいとう約束だったの。ほら、あの頃、ディーン将軍は息子夫妻を亡くされたばかりでしたから、残された孫娘のことを憂いていらっしゃったでしょう。また、もう一人の弟子であるセザール殿下の命乞いの意味もあったのでしょうね」
姉の夫は宰相閣下。その情報は確実なもの。
「なら、ディーン令嬢が他の誰かと婚姻したら…」
「そう、セザール殿下は死を賜ることになるわね」
マリアンヌの顔が蒼白になる。
「ディーン令嬢はそのことをご存知だったのかしら?」
「主人の話では、お知りにならなかったみたいよ。婚姻を断る予定だったみたいですし…。もともと、貴女と大公殿下は縁が無かったのよ。さあ、しっかりと前を向きなさい」
婚約を強請った時の怖い顔の前王妃。今まで独身だった大公殿下。ああ、全てが繋がるわ。本来、陞爵されて当然のディーン家。
マリアンヌは涙を拭くと、冷めた紅葉をグイッと飲み干した。




