家にて
湯に浸かり、落ち着きをとりもどしたツェツェリアは、御者から手渡された封書を開封した。そこには、美しい、いかにもお手本のような文字が綴られている。
この字を見るだけで、今日付き添ってくれた従者の顔が思い出せるわね。几帳面を絵に描いたようよう方だったから。まあ、私が陛下と話している間に書いて下さったのね。
陛下が今日、約束して下さったこと。明日、城から使用人が来ること、そして、今日、付き添って下さったゼロニアスが執事として、当面我が家を取り仕切ってくれること。レイモンドのために宮殿医を一人住み込みで置いて下さると。そして、家具や調度品が運び込まれるが、城で使われていなかったものなので、再利用できて自分も嬉しいと書いてあった。
ゼロニアスの細やかな心遣いに、ツェツェリアの緊張していた心は、幾分か軽くなったような気がした。
レイモンドのために、宮殿医を贈って下さるなんて…。完治せずとも好転するかも知れない。病状が少しでも軽くなれそのば、私も安心して嫁ぐことができるわ。ゼロニアスはライラック姫が嫁がれても、この家が安定するまではここにいてくれるみたいだし…。老齢の執事のこれからが心配だけど、これはゼロニアスが来てから相談すれば良いわね。
大公殿下との約束のことを書いた紙、お祖父様、何処かに残していないかしら?
ツェツェリアは昔、祖父が使っていた執務室へと足を踏み入れる。だいぶ前から、掃除の手が回らなくなり埃っぽい。窓を開けて空気の入れ替えをし、本棚を漁る。ソファーや机、椅子などお金に替えれる物は売ってしまった。ただ、本は手放すのに憚られ、全て残していた。
どうしても、薬代が用意出来なくなったら、これも売ろうと思ってたのよね。
ツェツェリアは脚立に座り、代々の当主の手記の中から、祖父が書いた物を手に取りページを捲る。祖父の手記には王家の王座争いの熾烈さが克明に書かれていた。
お祖父様がサガード陛下の剣術の師匠であったことは本当だったのね。サガード陛下はお祖父様が戦争の為、王都を離れる度に命を脅かされたことが書いてある。サガード陛下が生き残ったのは、王妃の実家の力が強かったことと、祖父の能力の高さが大きかったことがよくわかる。王妃様の命により、セザール殿下の師も引き受けることになったとも書いてあった。
セザール殿下の待遇は良くなかったのね…。そのおかげで、命を狙われる機会も少なかったようね…。
手記には、セザール殿下とツェツェリアの婚姻のことを書いてある文面は見当たらない。ただ、サガード陛下も先の王同様、血の粛清を行ったことがわかった。ただ一人、セザール殿下を残して。
これが意味することは…やっぱりそうよね…。サガード陛下は、生まれて一年と経っていない赤子まで手に掛けているのだから…。結婚せずに、無事解決する方法は無いのかしら…。
部屋の中がだいぶ暗くなって、窓から入る風が冷たく感じる。
もう、こんな時間ね。夕食の準備を手伝わなきゃ。
本を棚に戻すと窓を閉め部屋を後にした。
ツェツェリアは食事の準備を手伝い、レイモンドを起こしに行く。そっと部屋へ入り、ツェツェリアが近づくとレイモンドはツェツェリアが見たことのない怖い顔で、天井を睨み付けていた。
「レイ?」
ツェツェリアの声に、レイモンドはいつもの天使の笑顔を向ける。
「どうしたの?姉さん。ああ、夕食ができたんだね。さ、行こうか、上着を取ってもらえるかな?」
「あっ、ええ」
薄暗いから、影のせいであんな表情に見えたのかしら?
食堂への道すがら、ツェツェリアはレイモンドにゼロニアスの書いてくれた手紙の内容を伝える。
「はは、流石、皇帝陛下。有難い申し出だけど、それは断れないかな?」
「どうして?宮殿医が来て下さるなら、貴方の病状も好転するかも知れないじゃない!それに、乳母にだって楽をさせてあげれるわ」
不思議そうに見上げるツェツェリアに、レイモンドは少し申し訳なさそうな顔を向ける。
「姉さんだって知っているだろ?僕の病気は完治しないってこと…。月の草さえ煎じて飲めば、延命はできるけど、それにも限界がある。月の草は病状を抑えることがらできるけど、心臓に負担をかけるからね。」
「レイ」
そんなことを日々思っていたのね…。
「いつ、心臓が止まるかわからない。そんな不良品の僕に姫様に嫁いできてもらうのは、申し訳ないんだ。子供も望めないしね。だから、姉さんが嫁に行ったら、爵位を手放そうと思って、この屋敷と領地、家財道具を全て売ればそれなりになるだろう?執事には、それなりのお金を持たせて息子夫婦の家へ送り出せるし、メイドにだって退職金を払ってやれる。僕は、乳母と共に姉さんの嫁ぐ大公殿下の領地へ引越し、街に家でも買って暮らそうと思うんだ。大公殿下だって、義理の弟を無碍にはできないだろ?そうすれば、最後の時を姉さんと乳母の側で迎えれる」
ツェツェリアの瞳から涙が溢れる。
「レイモンド…」
もう一押しとばかりに、レイモンドは泣き落としにかかる。今迄、この手でツェツェリアは丸め込まれてきた。今回も、こうなれば、レイモンドに軍配があがる。
「僕は貴族としてこの家を守るより、最後の時まで姉さんと共にいたい」
レイモンドの駄目押しに、ツェツェリアは涙を溢しながら何度もうなづく。
「ええ、そうしましょう。レイ。街に家なんて言わず、一緒に暮らせるように大公殿下に一緒に頼のもう!」
「ほら、姉さん、涙を拭いて。乳母が心配する」
レイモンドはハンカチを取り出すと、ツェツェリアの涙を拭う。
「ふふ、そうね。ありがとう、レイ」
「さ、早く行こう。皆には僕から説明しておくよ。一応、当主だしね」
「お願いね、レイ」




