第5章
『5章』
八回目の公判。
シルフィとデニスの戦いは中盤戦へと入っていた。
この日は被告側の証人として、たたき上げの教育委員会メンバーである松谷が呼ばれていた。
「───だからな、イジメ問題はそんな重要じゃないんだよ。無くしたいとか減らしたいとか本気で思ってるわけじゃない」
「どういうことでしょうか?」
デニスが松谷にたずねる。
「例えば『イジメを減らす為にクラス割を廃止しろ』って意見があるだろ? 俺に言わせればバカの極みだぞ、あんなもの」
「続けてください」
「仮にクラス割廃止がイジメ減少に有効とするよな? だが生徒一人一人に配る目は大変なものになるぞ? 結果として管理コストがバカ高くなる。クラス割を廃止して単位制にすると落伍者が多くなって全体の学力が落ちるってのも問題だわな。単位制の大学なら落伍するなら勝手にしろで済むが、学力低下にうるさい奴が多い義務教育現場はそうはいかん。落伍者を出さないよう単位の履修計画を逐一指導すんのか? 付きっきりで勉強教えるのか? ハッ、バカバカしい。んな面倒なことやってられっかよ。教師の時間は無限にあるわけじゃねーんだぞ? 勝手なことほざく輩は現場の教師の苦労も知らない大馬鹿野郎だ」
松谷の勢いは止まらない。
「まだあるぞ。クラス割を廃止すると集団生活を練習する場がなくなるってのも大問題だわな。多くの会社、職場は毎日同じメンバーと過ごすことが多いだろ? なのにクラス割を廃止してみろ。集団生活を練習する場が奪われて、労働力のクオリティは確実に落ちるぞ。当然だわな。毎日同じメンバーの中で集団生活する技術が身についてないんだから。毎日同じメンバーと過ごす、会社のような状態におく事は大きな意味があるのだ。クラス割の廃止を叫ぶ奴は、こんなこともわからないクソったれだ」
松谷の暴走ぶりは、証人として呼んだデニスも苦笑するほどだった。
一方のシルフィは不安な気持ちになっていた。
(この証人かなり口が悪いんだけど、判事は口調の注意しないのね……)
口調をどれくらい注意するかは判事によってわかれる。
グレゴール判事は証人を楽しそうに見ていた。
デニスが松谷に言う。
「すみませんが、イジメとの関連性をお願いします」
「ああ、イジメとの関連性な。要するに、もしイジメが減るとしてもクラス割の廃止なんつーバカげたものはやる気がないってことさ。言い換えると、イジメの解決なんか問題じゃねーのよ。───いや、これでは語弊があるか。つまりイジメの解決よりも、管理コストや、学力を落とさないことや、集団生活を練習して労働力のクオリティを確保することのほうがよほど大切ってこった。それらに比べたら、イジメ問題の解決なんて屁みたいなもんよ」
「地上界はイジメ問題の解決なんて重視してない、イジメなど些末な問題だ───という事ですよね?」
「その通り」
「ありがとうございます。質問を終わります」
(オモロイ証人だな。こういう奴は好きだぜ)
グレゴール判事は証人に良い印象を抱いた。
自然と笑みが滲み出る。
「次、原告側、どーぞ」
笑顔の判事と対照的にシルフィは少し憂ウツだった。
(こういうネジが外れたタイプの証人、苦手なのよね……あまり対策も出来なかったし……)
苦手だからといって逃げるわけにもいかない。
立ち上がり、反対尋問を始める。
「先ほど『地上界はイジメ問題の解決なんて重視してない、イジメなど些末な問題だ』と、被告代理人の意見に賛同しましたよね?」
「ああ、したさ。まったくもってその通りだからな」
「イジメ防止対策推進法というのは御存じでしょうか?」
「知ってるよ」
「イジメなど些末な問題とするなら、この法律が出来たのは道理に合わないと思うのですが如何でしょうか?」
「アンタあの法律の中身知ってんのか? あれは現場を知らない輩が作ったザル法だぞ?」
「いえ、私が言ってるのは法律の中身がどうとかではなく、社会全体がイジメはダメですよというメッセージを発してるんじゃないか? という事です」
「メッセージねえ……んなもんあるわけねーだろ。あんなもんはただのお題目さ。くだらないスローガン以上の価値なんかねーよ。正直言うとな、俺もクラス割の廃止がイジメを減らすというのは同意なのよ。十のイジメがあったら七か八になる程度だとも思うがな。効果はあると思うぜ、あれは。……だがな、社会はそれをやろうとせんだろ? やろうとしないのは、イジメの解決よりも大切なモノがたくさんあるっていう証拠だ。そっちのほうが、よほどわかりやすいメッセージだろ。イジメが減るとわかっていてもクラス割は廃止しません。イジメを減らすことより大切なモノがたくさんあるからですっつー暗黙のメッセージだ」
「………」
突飛な論理展開が多く、シルフィは呆気に取られて無言になった。
無言になるのは非常に良くないのだが、どうもこの証人相手には調子が出ない。
この証人は本を出してるわけでもなく、何を主張するか読めなかった。
思想傾向がわからないと対策も立てにくい。
こんないろんな意味で厄介な証人とは思わなかった、というのもある。
ありていにいうとリサーチ不足なのである。
言い訳させてもらえるなら、他に対処しなきゃいけない証人が多かったということ。
ミウも頑張ってくれてるが、それでも仕事量には限界があるのだ。
「お嬢ちゃんに教えてやる。イジメを解決したかったら教師に圧倒的権限を持たせればいいのさ。悪いことしたら有無を言わさず鉄拳制裁。これっきゃないね。こうしないとクソガキどもは大人しくならんよ。あいつらの尺度はな、やるかやられるかなのさ。自分より強い者にしか本気では従わん。表面上は従順なフリもするが、腹ん中じゃ教師だろうが何だろうが、弱い奴なんか全て見下してるぞ? 強さこそが絶対なわけだからな。奴らはそれを本能でわかってるんだ。そういう奴をどう教育するよ? 拳でわからせるしかねーだろ。それをやれ体罰はダメだの個性を尊重しろだの、現場を知らないクソどもが好き勝手なことを喚きやがる。てめーらそのキレイゴトで、不良のクソガキを一人でもいいから心の底から更生させてみろってんだ。それが出来ないなら黙ってろって話だ」
話が脱線しすぎて、会話にならない。
「………」
圧倒的権限があろうがなかろうが、イジメを放置する教師はけっこういる。
そもそも規範意識に欠けてる教師もいる。
イジメっ子はDQNタイプだけではない。
鉄拳制裁はDQNタイプの子供には教育になっても、知恵のあるタイプには教育になりにくい。
鉄拳制裁を許すと、指導の名を借りた暴力に酔う教師が出てくる。
暴力で物事を解決しようとする子供が増える。
などなど。
軽く思いつくだけでもツッコミどころが満載だ。
しかし、ツッコミどころが多すぎると逆に何も突っ込めなくなってしまう。
不思議な現象だが、こういう事はあるのだ。
ネジの外れたタイプを相手にすると、シルフィはたまにこういう状態になる。
(クソッタレでバカの極みなのは、この人のほうだよね)
クラス割の廃止がイジメ減少に効果あるなら、やるべきだと思うし、イジメを減らすことを真剣に考えてる人に対して中傷するのも許せない。
全般的にこの人の悪口はものすごく不快だ。
(こういう悪口ばかり言ってる人は地獄へ落ちてしまえばいいんだ)
これ以上好き勝手に喋らせないほうがいいと判断したシルフィは、質問を切り上げる事にした。
笑顔で見てる判事は証人に好意的なようだけど、陪審員は証人に悪い印象を持ってるよう祈るしかない。
この証人は感情的な悪口が不快なので、この証人を嫌う陪審員は確実にいるはずだ。
「話にならないですね……勝手なこと喋らないでもらえますか? 会話にならないし、もう聞くことはありません。終わります」
強がってみるが、内心は面白くないものがある。
証人に好き勝手やられた感は否めない。
どんなトンデモ理論でも、判事や陪審員がどう感じたかが全てなのだ。
(おやおや、新人ちゃん。この程度の証人も粉砕できないようでは、俺に勝つことは永久にできないぞ?)
デニスは余裕の笑みを浮かべていた。
* * *
お互い証人を何人も呼びあい、公判は既に十二回目を迎えていた。
形勢はデニスが七割ほど優勢といった感じ。
シルフィが用意した証人は全てデニスに潰されたが、デニスが用意した証人をシルフィは潰しきることが出来なかったのだ。
裁判はある意味、証人の潰しあいなのである。
「───イジメは集団の中で生きていく為には必要な行為ですよ」
デニスが用意した証人である、ウォルフはハッキリ述べた。
「詳しくお願いします」
デニスが話の続きを促す。
「人間族は猛獣から身を守るために集団生活することで生き残ってきた種族です。力を合わせないと猛獣に対抗できない状況では、内部で争ってるヒマもありません。しかし常に猛獣の恐怖に晒され続けたわけではありません。武器や罠が発達し、猛獣の脅威が低減されると団結力は弱くなり、代わりに内部の争いが強くなってきます。オスもメスも、集団に対して非協力的な態度をとる個体は攻撃されます。人間族に限らずエサを食べる時、他の個体を攻撃して追い払う光景はよくあります。オスは交尾相手をめぐって争うことがよくあります。メスは育児の邪魔になりそうな他の個体や、オスが夢中になりそうな美しい個体を攻撃するという事がよくあります」
竜族のウォルフは天界におけるイジメ学の大御所だった。
証人としてのギャラはものすごく高額だが、デニスはこの証人を使った。
本気で勝ちにきてる証である。
「イジメはなぜ必要なのか? 理由はたくさんあります。集団内の争いは少ないほうが集団は維持しやすい。ところが食事、交尾、育児の度に争うと集団が維持しにくい。だから争いを事前に避ける知恵として、マウント合戦があります。順位が固定されて、下位がいつも上位に遠慮するよう振舞えば無駄な争いは起きないですよね? この順位付けの為の争いがイジメなのです。オスもメスもマウントとりたがる人は多いでしょう? あれは順位が上のほうが有利になるからであり、マウントとったと感じたら脳が快楽を感じるように進化してきたからなんです。つまりイジメというのは食事、交尾、育児で有利なポジションを得る為、大きな利益を得る為の争いの前哨戦、争いを先取りする為の攻撃行動なのです」
イジメが必要な理由は他にもある。
ウォルフは話を続けた。
「他にもイジメが必要な理由として、集団に非協力的な個体がいたら皆でイジメて追い出したほうが集団の運営は安定するし、集団の質は上がるというのもあります。ここでいう集団の質は遺伝子の質も含まれます。他にも、捕食者は弱者を狙うので集団の中で明確な弱者を作れば、自分が捕食者に狙われる確率が減る。だから捕食者から見てわかりやすい明確な弱者を作っておく為にイジメをするという理由もあります。集団の中でイジメられっ子を作れば自分がイジメられないから、自分がイジメられない為に明確なイジメられっ子を作るというのもあります」
ウォルフは自分の学説を得々と語った。
どんな時でも自分の学説を語りたがるのは学者のサガである。
「学校システムから受けるストレスの捌け口としてイジメが必要という説もあります。学校システムから受けるストレスを理不尽と感じれば感じるほど、自分が受けた理不尽なストレスを、誰かに理不尽にぶつけたくなってしまうのです。あるイジメっ子はこんな事を言ってました。『オマエらのくだらない学校ごっこに付き合ってやってるんだからイジメぐらいでガタガタ言うな!』と。───イジメが必要な理由はまだまだたくさんありますが、全部言ったほうがいいですか?」
デニスに向かってウォルフがたずねる。
「いえ、もう十分です。ありがとうございます」
話を次に進める為の質問をする。
「原告は自分が被害者で、被告が加害者だと主張してますが、ウォルフさんはどう思いますか?」
「間違ってますね。逆の面もありますよ」
「逆の面というと被告が被害者、原告が加害者という事でしょうか?」
「ええ。原告は最初、加害者だった可能性が高いです。イジメ問題というのは被害者と加害者が固定された構図もありますが、被害者と加害者が入れ替わる構図も多いのです。最初は加害者だったから攻撃されて、イジメられっ子の身分に落とされてしまったと。地上界の言葉を借りると『イジメられる側にも問題がある』ってやつです」
「どういう事でしょうか?」
打ち合わせ通りに話を進めていく。
「人間には攻撃衝動があり、これを抑制するのは非常に困難です。さっき述べた生物学的な攻撃性もありますが、現代風に言うとインターネットの匿名掲示板なんてわかりやすいですよね。露骨に攻撃する人もいれば、ちょっとした発言に攻撃性を滲ませる人もいます。やたらとマウントとりたがる人は、ものすごくたくさんいます。程度の差はあれ、攻撃的な人間は多いです。そしてこの攻撃行動というのは強い快楽性があります。では人間はそんな強い快楽性を伴う攻撃衝動をどのように抑え込んでるのかと言いますと、他者の攻撃力に依存して抑え込むことが多いんです」
(おい、打ち合わせと違うだろ。それは次のトピックだ)
話の順番が違ってるが、デニスは話を合わせることにした。
「攻撃衝動の抑制は、他者の攻撃力に依存することが多いという事ですね?」
「そうです」
「詳しくお願いします」
「攻撃したら攻撃をやり返される、という状態になるのが攻撃衝動の抑え込みには一番有効なんですよ。攻撃をやり返されると自分も傷ついてしまうリスクがあるんです。だからリスク回避の為に攻撃衝動を抑え込むというわけです。リスク回避と攻撃衝動を天秤にかけた時、リスク回避が勝った状態なのです。匿名掲示板で攻撃的な人が多いのは、リスクが少ないからなのでしょう」
「イジメについても、攻撃衝動とリスク回避の天秤が重要という事ですか?」
水をひと口飲み、ウォルフが話を続ける。
「その通りです。イジメられっ子は攻撃されても反撃しないことが多いです。ちょうど原告と同じように。でもこの反撃しないというのは非常に罪深いことなんです。だって他人の攻撃衝動の抑え込みに、まったく協力してくれないのだから。人間は普通『攻撃したら反撃されるのは嫌だな』という気持ち、そういう状態を作ることによって自分の攻撃力を抑え込んでますが、イジメられっ子は、そういう状態を作ることに協力しない。要するにイジメられっ子は協調性がないんですよ」
「攻撃衝動の抑え込みは、相互依存的なものだと?」
「そうです」
「しかし、攻撃衝動の抑え込みはモラルや優しさなどによって抑え込むことも可能なんじゃないでしょうか?」
「そりゃ可能でしょう。でもモラルだけで攻撃衝動を抑え込める人は少ないと思いますよ。特に脳筋タイプやサドタイプや、日々の生活に不満が多い人、惨めなリアルを送ってる人は難しいでしょうね。思い出してください。イジメが必要な理由はたくさんあるという事を。人間には攻撃衝動がたくさん溢れてるという事を。攻撃衝動の抑え込みはただでさえ難しいというのに、なぜモラルという曖昧なキレイゴトだけに頼らねばならんのです? どう考えたって無理でしょう。モラルだけで攻撃衝動を抑え込むなんてことは」
「攻撃したら反撃されるリスク、それこそが攻撃衝動の抑制には一番有効ということですね?」
「そうです」
「イジメられっ子だった原告の落ち度は、クラスメートの攻撃衝動の抑制に協力しないことだと? それが協調性のなさだと?」
「その通りです。攻撃されても反撃しない為、攻撃した側は攻撃衝動のコントールが狂って暴走してしまうのです。これは攻撃した側の人間にとっても不幸なことでしょう。攻撃衝動を上手く抑え込めないと、社会で上手く生きることが難しくなってしまうのだから」
話の順番も違うし、原告の落ち度については説明不足。
デニスは軌道修正する為の質問をした。
「原告の落ち度について、もうちょっとお聞きします。ウォルフさんが考える原告の落ち度はなんだと思いますか?」
「さきほど言った、攻撃されても反撃せずクラスメートの攻撃衝動の抑制に協力しなかったこと、これがまず第一点。そもそも集団に対して協力的な態度をとらなかった…というのが第二点。話の順番が逆になりましたが、二点目の理由が大きいのでしょうね」
「と、おっしゃいますと?」
「詳しく説明するヒマがありませんでしたが、集団に対して非協力的な態度をとる個体は攻撃されるってやつです」
「では詳しくお願いします」
「原告はボッチでいる事を好みましたね。クラスメートが仲良くしようと話しかけても、話を盛り上げようとする意思を見せない。自分からは一切話しかけない。ご飯を一緒に食べようと誘われても断る。遊びに行こうと誘われても断る。集団の空気を読まず、和を保とうとしない。仲良くやろうとする意思を見せない。これじゃ孤高を気取る、お高くとまったムカつく奴と感じるのが普通でしょうね」
最初の証人と違い、ウォルフは訴訟内容のレジュメを読み込んでる。
ギャラが高額な分、必要な仕事はきっちりやるのだ。
「原告に対して、ムカつくと感じるのは正当な怒りなんでしょうか?」
「当然でしょう。集団生活の場なのに、なぜ集団と上手く付き合おうとせんのです? 集団に対して非協力的な態度をとられたら、ムカつくのは普通だと思いますよ? 集団と上手く付き合おうとするのは、それなりに労力が必要です。自分を出し過ぎず抑え過ぎず、空気を読んで集団の和を保たねばなりません。神経をすり減らして大変なのです。コストがかかるのです。そして集団生活の利益を得たいなら、コストも支払わないとダメなのです」
ウォルフは水を飲んでから、補足を加えた。
「学校という集団生活は、閉鎖空間で人間関係を強要される場で、これは非常にストレスです。嫌いな人とも同じ空間で過ごさなければならないし、常に集団の和を意識して空気を読むのも疲れます。このストレスから逃げようとする個体に対しては、怒りや苛立ちを覚えます。人付き合いをせず、ひたすらスマホをいじってるとか本を読んでるとか、そういうクラスメートにイライラする感覚です。人間関係を強要される苦痛は、皆で平等にわかちあわないと不公平だと感じるのです。人間関係を強要される苦痛から逃げようとするボッチにイラっと来るのは、こういう理由もあったりします。”人間関係を強要されるストレスから逃げるな! オマエも苦しめ!”と言いたくなるのです」
「学校の集団生活、強要される人間関係は苦痛であると?」
「はい。楽しい部分もありますが、強要される状況下では辛い部分も多々あります。前者は利益、後者はコストに相当します」
別方面からの補足も加えておく。
「イジメられっ子に対する不快さについては別の側面からも説明が可能ですよ。人間にはパーソナルスペースというのがあります。電車や待合室や図書館などで、自然と距離を取って離れて座る現象のことです。これを侵害されるのは不快です。他に席が空いてるのに、隣に座られたらなんとなく不快になる現象のことです。でも隣に座ったのが親しい友人や恋人なら不快にはなりません。むしろ心地よくさえ感じます。親密さはパーソナルスペースの侵害を低減させるどころか、気持ちよさに変える有効な武器です。学校のクラスはパーソナルスペースが常時侵害された過密状態です。だから親密になることで不快さを低減させて───いや、不快どころか気持ちいいものに変えようと努力するのだけど、親密になることを拒否されると不快さだけが残ります。親密になることを拒否する奴がいたらムカつくのは当然でしょう。パーソナルスペースを侵害された不快さしか残らないのだから」
「だから集団と上手くやろうとしない個体を攻撃するのは、正当な制裁であると?」
「そうです。集団と上手くやろうとせずにボッチを好むなら、そもそも集団生活の場に出てくるな、参加するな、最初からボッチでヒキコモリでもやってろって話です」
ウォルフはたまに口が悪くなる。
デニスは慌てて質問を挟んだ。
「被告が原告をイジメたのは正当な理由があるという事ですね?」
「そうです。クラスメートであれば誰でも原告に制裁する権利があります。クラスメートというのはイコール集団だからです」
「話が長くなったので、被告の落ち度を簡潔にまとめて頂けますか?」
「いいですよ。被告の落ち度は、集団に参加しながら集団に協力する意思がないこと、行動もないこと。攻撃衝動の抑制に協力しないとか、強要される人間関係の苦しみに皆が神経すり減らして耐えてるのに自分だけ逃げようとするとか、パーソナルスペース侵害の不快さ低減に協力しないとか、いろいろありますが、あえて一言でまとめるなら───集団に参加しながら集団への協調性がないこと───これに尽きますね」
「協調性のなさが原告の落ち度だと?」
「そうです。”集団への協力姿勢がない個体は、ただそこにいるだけで不快”なのです。原告には大きな落ち度があると考えます」
「ありがとうございます。質問を終わります」
長い話がようやく終わった。
グレゴール判事が宣言する。
「次、原告側」
シルフィは気が重かった。
この証人はイジメ肯定論の本を何冊も出してるイジメ学の大御所で、これでもかというぐらいに理論武装してるのだ。
もちろん、矛盾と思える箇所を攻めることも出来るが、ああ言えばこう言うの展開になるのが目に見えてる。
それを思うと気が重くなるのだ。
(でも、やらなきゃならんのだよね……)
シルフィは水をひと口飲んで気持ちを切り替え、自分に気合を入れた。
「さきほどあなたは『集団と上手くやろうとせずにボッチを好むなら、そもそも集団生活の場に出てくるな、参加するな、最初からボッチでヒキコモリでもやってろ』とおっしゃいましたよね?」
「はい。言い過ぎでした。すみません。取り消します」
「………」
ひどい悪口を並べたのを大げさに攻めようと思ったのだが、先手を打たれてしまった。
咄嗟の切り返しが思いつかなかったので、構わず質問する。
「……集団生活に参加する権利、学校で過ごす権利は全ての生徒に保障されてると思うのですが?」
「取り消すと言ったのに……」
ウォルフは苦笑いを浮かべた。
デニスが異議を挟まなかったのは証人を信用してるからである。
この証人がヒヨッコ弁護士に負けるとは微塵も思ってないのだ。
「まあいいです。答えます。学校で過ごす権利は全員にあるでしょう。ここに異論はありません。でも義務は? 集団の中で上手くやろうとする意思と行動は義務ですよ? 集団生活に参加するなら、集団に協力的な意思や態度を示すべきでしょう? 非協力的な意思や態度を見せられたら、攻撃されるのも当然ですよ? そもそも学校で過ごす権利があるからといって、協調性は無くとも構わないという理屈にはならんでしょう?」
「義務というのは、どこに明言されてるのでしょうか?」
「明言の必要なんかないですね。集団に非協力的な個体に対しては不快に感じるのが普通だからです。あなたがどう感じるかは知りませんが」
「………」
これはあまりつつかないほうが良さそうだ。
攻め手を変えてみる。
「あなたは原告の落ち度を『集団に参加しながら集団への協調性がないこと』とおっしゃましたよね?」
「はい」
「それは間違いです。原告には中学一年生の途中まで友達がいました。集団への協調性はあったんです」
「そうですね。その友達が引っ越すまでは協調性があったと思いますよ。でもその友達が引っ越してからは協調性が無くなったと言えるでしょうね」
「違います。新しい友達を作ろうとしたけど、冷たくあしらわれたんです」
「当たり前ですよ。周りの人間にとったら、今まで俺たちと仲良くする努力を放棄してたクセに、急にすりよってきやがって…という感じにもなるでしょう。友達以外の人間と仲良くする努力を放棄していた原告の落ち度だと思いますよ。最初は仲良くする意思がなかった事へのペナルティと考えると、わかりやすいのではないでしょうか?」
これは実は、ウォルフの言う通りだったりする。
原告は特定の友達としか仲良くしなかった。
他のクラスメートを意図的に遠ざけてた部分もあるので、ここをつかれるとマズイのだ。
残念だけど、この話を広げるのは原告の印象が逆に悪くなりそうな感じがする。
違う方面から攻めたほうが良さそうだ。
「例えば職人や芸術家などは協調性の低い人が少なくないと思います。あなたが言った『孤高を気取る、お高くとまった』人のことです。でも社会は職人や芸術家の存在を好意的に受け入れてます。社会は協調性の低い人を好意的に受け入れてるのだから、学校でもそうすべきだと思うのですが、如何でしょうか?」
「社会は圧倒的規模のキャパがありますからね。キャパが大きければ協調性の低い個体を受け入れる余裕もあるでしょう。でも学校のキャパは小さいし、クラスのキャパはもっと小さいです。とてもじゃないけど協調性のない個体を好意的に受け入れるキャパなどありませんよ? 集団の利益になると思われる職人や芸術家は好意的に受け入れられます。でも集団の利益にならないと思われる職人や芸術家は好意的に受け入れられません。クラスも同じです。クラスという集団の利益になる個体は受け入れられるし、利益にならないと判断された個体は排除されます。その集団の利益になるかならないかっていう話です」
(ある程度は多様性を受け入れる社会のほうが健全だと思うけど、学校のクラスという概念を前提にされると多様性は肯定しづらいな。学校には学校の空気やシステムというものがあって、その辺がネックになるのよね……)
……と思ったが、そんな学校論を語りたいわけではないので、これは胸に秘めておく。
「『集団への協力姿勢がない個体は、ただそこにいるだけで不快』についてお聞きします。これは単純に対象と関わらないことで防げるものなんじゃないでしょうか?」
「関わらないとは、どんな風にですか?」
「例えば同じクラスでも付き合いがない相手はいますし、ほとんど話したことすらないというケースもあります。つまり距離を置いた付き合いが出来るのです。集団への協力姿勢がないからといって、だからイジメが許される、だから攻撃しよう───とはならないと思うのですが?」
「そりゃそういう個体もいますよ。器が大きいタイプや、攻撃衝動がもともと小さいタイプなんかはイライラを我慢する事が出来るんでしょうね。ただ、難しいとは思いますよ? 人間関係を強要されるストレスに晒され続けながら、そのストレスから逃げる人間を容認するというのは。例えるなら無理やり掃除をやらされてるなか、掃除をサボった者を見てどれだけ我慢できるかという話です。皆が耐えてる苦痛から自分だけ逃げた者に対しては、ずるい、許せない、ムカつくというのが普通の人間だと思いますよ? あなたがどう感じるかは知りませんが」
「人間関係を強要されるストレスって言いますけど、人間関係を楽しむ人だっているでしょう?」
「ええ、いますよ。だから前にも認めたじゃないですか。楽しい部分もあるけど強要される状況下では辛い部分も多々あると。”強要”というのがミソでね。普通、人間は何かを強要されるとストレスになります。これわざわざ説明必要ですかね?」
ウォルフはシルフィをバカにしたような目で見た。
(おやおや、新人ちゃん。相変わらずの雑魚っぷり。ウォルフはイジメ学の大御所だ。オマエみたいなヒヨッコが勝てるわけねーだろ)
デニスは法廷の片隅で、気付かれないようにシルフィをあざ笑った。
「人間関係を強要なんてされてるんでしょうか?」
「されてますねえ。クラス割のシステムもそうだし、共同で何かをやらせる機会は多いでしょう? 共同で何かをやらされる場合、必然的に人間関係が発生します。望む望まないに関わらず、ね。これを強要と言わずしてなんと言えば?」
流れで質問してしまったが、ここをつつくのはあまり意味がない。
話を本線に戻す。
「……話は戻りますけど、全ての人がイライラするわけではないと思いますよ」
「あのね、根本的なことなのでもう一回言いますね。仲良くしようと話しかけても、話を盛り上げようとする意思を見せない。自分からは一切話しかけない。ご飯を一緒に食べようと誘われても断る。遊びに行こうと誘われても断る。集団の空気を読まず和を保とうとしない。仲良くやろうとする意思を見せない。───こういう集団への協調性がカケラもない人間に対してはイライラもするし制裁を加えたくなるのが普通だと思いますよ? あなたがどう感じるかは知りませんが」
「私は制裁を加えたりなんかしません」
「それはご立派ですね。しかし協調性がない個体を放置すると集団は維持しにくくなります。距離を置いた付き合い───なるほど、器の大きさを感じさせる耳障りの良い、一見ご立派な意見に聞こえますが、集団にとってはハタ迷惑な言動ですな。協調性のない個体を制裁しないなら、その集団は確実に崩壊しますよ? あなたが協調性の無さを正しいと思い込んでるなら何も言いません。が、協調性の無さというのは良くない事と考える人のほうが圧倒的に多いと思いますね。あなたがどう感じるかは知りませんが」
このいちいち最後に煽るのはやめてほしい。
……と思ったが、そんな事を言う元気もなくなってきた。
この証人の話を聞いてると頭が痛くなってくる。
予想はしていたが、ああ言えばこう言うの展開になってしまってる。
それどころか、ちょっと押され気味だ。
「協調性のない個体と、なるべく関わらないよう距離をおく事は可能でしょう。しかし協調性のなさにイライラさせられる周囲の人間はたまったもんじゃないでしょうな。イライラを我慢させられる身にもなってみろと言いたくなります。協調性のない個体を放置すると周囲の人間がストレスを抱えるハメになり、協調性のない個体を制裁すると、協調性のない個体だけがストレスを抱えるハメになる。どちらの方法が集団を維持しやすいか、どちらの方法が集団の崩壊を招きやすいかっていう話です」
これ以上聞いてると頭がおかしくなりそうだ。
さっさと話題を変えたほうが良さそうに思える。
「……あなたは『集団生活の利益を得たいなら、コストも支払わないとダメ』とおっしゃいましたよね?」
「ええ」
「イジメ被害者が得る、集団生活の利益とは具体的に何なんでしょうか?」
そう聞くと、ウォルフは笑って答えた。
「それは原告に聞いてみたら如何でしょうか? あなたはどんな利益を求めて学校へ行ったのか? と」
「………」
そりゃそうだ。
もっともな回答をされてしまい、シルフィは何も言えなくなった。
実際のところ学校へ行く理由は、学校へ行くことによって得られる利益ではなく、学校へ行かないことによる不利益を回避したいから行ってるというのが実情と思われる。
(ダメだ。違う方向から攻めよう)
「ボッチについての話がありましたよね。『人間関係を強要される苦痛から逃げようとするボッチにイラっと来る』とおっしゃったのを覚えてますか?」
「ええ、覚えてますよ」
「”おひとりさま”という概念は御存じでしょうか?」
「はい」
「地上界はおひとりさま、一人で過ごすことに肯定的な評価をし始めています。学食もそうです。学食に一人用のボッチ席があるというのは御存じでしょうか?」
「はい」
「学食に一人用の席を設けるというのは、学校がボッチを好意的に容認してる証拠になると思うのですが、如何でしょうか?」
「学食のボッチ席って、大学の話なのでは?」
「………」
(……そうだっけ?)
記憶が曖昧なシルフィは無理やり押し通すことにした。
「高校にもありますよ、たしか」
「そうですか。では仮に高校の学食に一人用の席があるとしましょう。でもそれはボッチを好意的に容認してる証拠にはなりませんよ? 高校はクラス割を廃止してないし、共同で何かをやらせる機会も多いです。共同で何かをやらせる時、ボッチは惨めな気持ちになるだろうけど配慮は一切してません」
「………」
ボッチを容認する風潮からウォルフの理論を崩そうと思ったのだが、どうも思ったようにいかない。
これは結局、クラス割だとか共同作業の機会が多いだとか、そういったものを崩さないと学校がボッチを好意的に容認してる論に繋げにくいのだ。
(まぁ繋げたところで、イジメ肯定論を粉砕できるかはわからないんだけどさ……)
思考がトリップしてしまう。
(違う、そうじゃない。考えるべきなのは判事と陪審員をどう説得するか、どんなことを主張したら原告を勝たせたくなるか、だろ)
「………」
ウォルフは余裕しゃくしゃくで、こちらを見ている。
(せめてこの証人にプライベートの醜聞でもあればなあ……)
一応ウォルフの経歴は洗ったが、ほぼ真っ白で攻撃できそうな所もなかった。
過去に不倫をしたとか裏口入学の斡旋で捕まったとか、何かあればいいのだが何もない。
悔しいが、自分の力では攻め手を見つけることができない。
(……ダメだ。何も思いつかない……)
結局シルフィは有効な反論もできないまま、質問を終えることになった。
(………)
則人は落ち込んでるシルフィを悲しそうな目で見ていた。
* * *
依然として形勢は不利なままだ。
こちらの証人はことごとく撃破されてるのに、向こうの証人はイマイチ崩しきれてない。
正直、敗色濃厚だ。
このままでは負けてしまう。
シルフィは寝る間も惜しんで資料を読み漁り、勝つ方法を模索していた。
ミウはそんなシルフィを心配そうに見ていた。
(なんか最近のシルフィ、痩せてきてるよね……ダイエットとかではなく不健康な感じに……)
「大丈夫? シルフィ、顔色悪いよ? ちゃんと休んでる?」
資料を読みふけってるシルフィを、ミウが心配そうに覗き込む。
「大丈夫。休んでるよ」
「ホントに? なんかやつれてる感じが───」
ミウが言いかけたところでインターホンが鳴った。
「誰だろう? ちょっと見てくるね」
急ぎ足で入口に向かう。
食堂でも働いてるミウはフットワークが軽い。
少ししてミウが戻ってくる。
「シルフィにお客さんだよ。話があるんだって」
来客は則人だった。
「どんな話でしょうか?」
シルフィが則人にたずねる。
「………」
何か言いにくそうにしてる則人。
「?? なんでも気にせず、おっしゃってください」
シルフィがそう言うと、則人は申し訳なさそうに言った。
「……………あの、この裁判やめませんか?」
「!?」
「………」
ミウは目を見開いて驚いた。
シルフィは無言で固まった。
固まったあとに、素っ頓狂な声を出す。
「……………………………え?」
「───あのウォルフとかいう証人は、僕もふざけるなと思いました。僕の苦しみも知らないクセに勝手なことばかり言いやがって…と」
一呼吸置いて、則人が話を続ける。
「……でも、冷静になって考えてみると、たしかに僕にも落ち度はあったと思うんです。協調性がなかったというのは、その通りだし……。ものすごく腹が立ったけど、あの証人の言ったことのいくらかは頷ける部分もありました」
則人はどこか悟ったような表情をしていた。
「だから裁判をやめたいと……?」
「そうですね。ここまで頑張って頂いたシルフィ先生には申し訳ないのですが……」
シルフィはふるふると首を振った。
「私に対して申し訳なく思う必要はないです。依頼人の希望を叶えることが私の職務なわけですから。最終的な決定権は則人さんにあります。依頼人である則人さんが裁判をやめたいとおっしゃなら、私はそれに従うまでです。ただ───」
少しためて、言葉を選ぶ。
「───私は則人さんを勝たせてあげたいと本気で思ってるし、本気で取り組んでます」
「それはわかります。シルフィ先生がすごく真剣にやってくださってるというのは」
「私の力量が及ばず形勢は悪いですが、最後まで諦めずに戦い抜くつもりです。……私の力量不足については申し訳ないと思います。すみません」
頭を下げるシルフィ。
「あ、いや、そんな! やめてください! シルフィ先生にはベストを尽くしてもらってると感じてます!」
則人は慌てて、シルフィをフォローした。
「ありがとうございます。……個人的な意見を言わせて頂くなら、私はこの裁判の勝利を諦めたくないです。則人さん、証人の言葉に頷ける部分もあったとおっしゃいましたよね?」
「ええ」
「完全に納得したんでしょうか?」
「………」
則人は無言になった。
「………」
「………」
少し間があって、則人が口を開く。
「……完全に納得したわけではないです」
「ですよね。そうだと思いました。だって則人さんが受けた仕打ちは、協調性の無さだけで片付けるには、大きすぎる代償ですもん。三年間も叩かれ続けるとか悪口言われ続けるとか、どう考えてもやり過ぎですよ、あんなの」
これはシルフィの言う通りかもしれないと則人は思った。
たしかに三年は長すぎる罰ゲームだ。
「則人さん、あの証人にいくらかの説得力があったのは認めます。でも、じゃあ、完全に則人さんが悪いかっていうと、そうじゃないと思うんです」
「………」
これも頷ける。
自分も悪かったが、落ち度が自分だけにあったとは思えない。
だが、裁判をやめたいと思った理由は、自分の落ち度が見えたから───だけではないのだ。
「……正直に言います。シルフィさん、かなりお疲れですよね? ちゃんと休んでますか?」
「休んでますよ、ちゃんと」
「嘘ですよね。明らかにやつれてますよ。出会った頃に比べると」
「そんな事は───」
そんな事はないと言いかけた瞬間、ミウが口を挟んできた。
「───わたしも則人さんと同意見。最近のシルフィ、やつれてると思う」
「………」
自分のことはよくわからない。
よくわからないが、二人に同じことを言われるなら、やつれてるのもしれない。
「心配なんですよ。シルフィさんの体が。僕の為に頑張って下さるのは嬉しいですけど、頑張り過ぎに感じてます。もともと厳しい裁判だったし、十分良くしてもらったと感じてます。だからもう、裁判終わりにしたほうがいいんじゃないかなって……」
(……そうか。私はそこまで不健康そうに見えてるのか……。依頼人にこんな心配されるようではプロ失格だなあ……)
「心配させてしまって申し訳ないです」
頭を下げるシルフィ。
「でも、この裁判は最後までやり抜きたいです。白旗あげて勝負を投げるのは嫌です」
「どうしてそこまで?」
「許せないんですよ、イジメが」
「………」
「どんな尤もらしい理屈つけたって、あんな酷い仕打ちは絶対に間違ってます。則人さんに三年もイジメられるような落ち度があったとは到底思えません」
「………」
「イジメという災厄に巻き込まれて傷ついた人は多いと思います。でも一番の被害者は間違いなく則人さんでしょう。自分の胸に問うてみてください。受けたイジメは全てが正当なものだったのかを。それで則人さんが心から納得してるなら私は何も言いません。ただ、どうか、過去も含めて、ご自身の全てを大事になさってください」
「………」
「………」
「………」
シルフィ、則人、ミウ、三人とも無言になる。
「……………」
長い沈黙の後、則人が口を開く。
「……わかりました。シルフィさんがそこまでおっしゃるなら、最後までお願いします。ただ、僕からもお願いです。どうか無理はなさらないでください。シルフィ先生が体を壊したら、なんで裁判やめなかったんだろうと、僕はずっと後悔する事になっちゃいますから……」
「わかりました。気を付けます」
裁判は続行が決まり、則人は帰っていった。
「優しい子なんだね。自分の裁判より、私の体を心配してくれるなんて……」
窓から則人を見送るシルフィ。
(優しいのは、あなたもね)
シルフィに向かって優しく微笑みながらミウは心の中で呟いた。
イジメが許せないというセリフは全力で共感だった。
それを当たり前のようにサラっと言ったのもカッコ良かった。
シルフィに出会えたこと、事務所にスカウトしたこと。
スカウトを受けてくれたこと。
全てに感謝したくなる。
ミウはますますシルフィのことが好きになった。
「ねえシルフィ、最後に食べたのはいつ? なに食べた?」
「朝におにぎりと……」
「おにぎりと?」
「………」
言葉に詰まる。
「……おにぎりしか食べてないのね」
「付属の漬物も食べたよ」
「もう! それコンビニのやつじゃん! そんな事だろうと思ったよ。ちょっと待ってて。なんか作るから」
「ゴメンね。面倒かけて」
「いいっていいって。こういうサポートもわたしの仕事の内なんだから」
ミウはキッチンへ向かった。
事務所には一応、簡易キッチンがあるのだ。
キッチンへ向かったミウを見送って、資料の山に目を向ける。
(あれ? こんな本あったっけ……?)
疲れていて気付かなかったが、よく見ると見慣れない本が何冊か増えてる。
「お待たせ」
肉入り野菜炒め定食を持ってミウが戻ってきた。
「わたしは食堂の仕事に行くけど、ちゃんと食べてね?」
「うん、ありがと。ねえ、ミウ」
「なに?」
「このたくさんの本、どうしたの? 見たことない本ばかりなんだけど」
「図書館に置いてなかった本を買ってきたの。イジメに関する資料は多いほうがいいかなって」
「そうなんだ。ありがとう」
「まぁイジメ肯定論ばかりなんで、役に立つかはわからないんだけどね」
ミウは少し困ったように笑った。
「気持ちは嬉しいよ。ミウのサポートには本当に感謝してる」
これは心からの言葉だ。
彼女のサポートは本当に大きな力になってる。
「感謝の言葉はお兄ちゃんに言ってあげて」
「??」
「その本の代金は全部、お兄ちゃんのポケットマネーなんで」
「そうなの?」
「うん。忙しくて手伝えない代わりに、せめてこれぐらいはしたいんだって」
「そうなんだ……スレイが……」
ミウが帰った後、シルフィは買ってきてもらった本を読んでいた。
ご飯を作ってもらったり資料を買ってもらったり、ミウやスレイの気遣いは本当に嬉しい。
この事務所に来て良かったと改めて感じる。
ミウの言葉『イジメ肯定論ばかりなんで、役に立つかはわからないんだけどね』というのを思い出して、ちょっと笑みがこぼれる。
(たしかにイジメ肯定論ばっかだね。この『イジメ! やろう! ゼッタイ!』って本、すごいタイトルだな)
イジメ肯定論は変なタイトルのものが多く、笑ってしまう事も多々ある。
(裁判の役には立たなそうだけど気持ちは嬉しいよ、ミウ、スレイ)
二人に感謝しながら『イジメ! やろう! ゼッタイ!』の本をパラパラと流し読みする。
字面を目で追ってると、妙なことに気付いた。
(ん? なんだこれ……)
気になる箇所があって本を読み進める。
(え……この作者……え……マジで!?)
急いで本の発売日を確認してみる。
(最近出た新刊なのか。もしかして、これ……)
シルフィは何かを考え始めた。
(新刊ってことは、この本をデニスがチェックしない可能性はけっこうある。このままいけば確実に被告側が勝つ……っていう状況なら、油断する可能性はけっこうありそうに思える。私も勝ちが見えてる裁判で最後のほうに気を抜くことはたまにあるからな……いや油断は良くないんだけどさ。デニスは確実に私を舐めてるしバカにしてる。ここは一つ、賭けに出てみる価値はあるかも……)
* * *
十五回目の公判。
お互いの証人も尽きてきて、裁判はいよいよ終わりに近付いてる。
これが最後の証人で、後は最終弁論のみとなる。
形勢はデニスが優勢のまま。
このままいけば被告側の勝利である。
法廷にシルフィの用意した証人が現れる。
(新人ちゃんの雑魚っぷりが、いくとこまでいった件)
デニスはラノベ風にシルフィを嘲笑した。
(おいおい、新人ちゃん。証人リスト見た時は冗談かと思ったが、マジでその証人使う気なのか。言っとくが、その証人はイジメ肯定派のやつだぞ?)
この証人がイジメ肯定派というのは、知人の学者に聞いて確認済である。
(これはたぶん、わざと稚拙なイジメ肯定論を言わせて、それを粉砕することで印象を稼ごうという作戦なのだろうな)
過去のイジメ訴訟でそういう策を使ってきた弁護士がいたのを思い出す。
(だがそれは愚策でしかないぞ? 所詮は印象稼ぎでしかない、ごまかしだからな。イジメ被害者の弁護でイジメ肯定派の証人を使うという自爆。二年前も笑わせてもらったが、また新人ちゃんの新たな自爆伝説が生まれたようだ)
もう勝利は見えた。
デニスは笑いをこらえることが出来なかった。
「───イジメは必要な行為です」
シルフィが用意した証人である、レオンはハッキリ述べた。
この証人は不死族のバンパイア。
『イジメ! やろう! ゼッタイ!』の著者でもある、イジメ学における新進気鋭の若手学者だった。
「詳しくお願いします」
シルフィが話の続きを促す。
「イジメというのは攻撃行動の全てです。そして社会には許されるイジメと、許してはいけないイジメがあるんです。許してはいけないイジメというのは、例えばなんの関わりもない通行人に暴力を振るう。このイジメは理由なき暴力とでも分類しましょうか。これは許してはいけないイジメです。暴力を振るった人間を逮捕して刑罰を課す。この刑罰というイジメは制裁に分類されます。これは許されるイジメです」
「原告が受けたイジメは許されるイジメなんでしょうか? それとも許されないイジメなんでしょうか?」
「学校において協調性のない人間をイジメるというのは、許されるイジメだと思います。分類するなら制裁でしょうね。このイジメが許される理由については先の公判の証人、ウォルフ先生がさんざん説明したそうなので割愛します」
レオンはちゃんと膨大な公判資料を読み込んでいた。
読み込みは仕事の妨げになったが、シルフィにはそれなりの報酬をもらったのだ。
「協調性のない人間をイジメる、制裁することは許されるイジメだという事ですか?」
「そうです」
「原告の問題とされた行動を再提示します───仲良くしようと話しかけても、話を盛り上げようとする意思を見せない。自分からは一切話しかけない。ご飯を一緒に食べようと誘われても断る。遊びに行こうと誘われても断る。集団の空気を読まず和を保とうとしない。仲良くやろうとする意思を見せない───提示を終わります。このケースでは、どの程度の制裁が妥当なのでしょうか?」
「まず、態度を注意すべきでしょうね。集団に参加するなら集団に対して協力的な姿勢を見せてくれと。何度も注意勧告して、改善が見られなければ、精神的な制裁をするしかないでしょうね」
「それは精神的な制裁のみなんでしょうか? 肉体的な制裁はダメなんでしょうか?」
「ダメに決まってるでしょう」
(なんだと!?)
デニスは大きな衝撃を受けた。
まさかイジメ肯定派の証人の口から、イジメ加害者への批判に繋がる発言が出るとは思わなかったのである。
わざと稚拙なイジメ肯定論を言わせて、それを粉砕することで印象を稼ごうという作戦だと予想していたが、完全に予想が外れてしまった。
そんな驚き顔のデニスを見て、シルフィはしてやったりの表情を浮かべた。
(ふふ、予想通り『イジメ! やろう! ゼッタイ!』の本をチェックしなかったみたいね。新刊なうえイジメ肯定論の本というのもあってかチェックをサボったんだろうけど、実はこの本イジメ肯定論の体裁があるけど、イジメ被害者にも寄り添う内容があるのよね。私も読んで驚いたよ)
「原告の協調性のなさは精神的な問題です。原告から受けた協調性のなさという不快さは精神的なものに終始されます。なのになぜ、肉体的な制裁が許されることになるんです? そんなわけないでしょう」
「原告は三年間に渡り、頭を叩かれるなどの暴行を受けました。これは正当な制裁なのでしょうか?」
「まさか」
レオンは鼻で笑って否定した。
「どう考えても過剰制裁ですよ。オーバーサンクションってやつです」
(クソッ! コイツ!)
デニスは証人を苦々しく見つめた。
【回想・数日前】
レオンが勤務してる大学。
その大学のレオンの部屋にシルフィは来ていた。
「イジメ裁判の証人ですか……」
「そうです。是非レオン先生にお願いしたいです」
「しかし僕はイジメ肯定論を掲げてる、イジメ肯定派の学者ですよ?」
「でもレオン先生はこの本の中で、イジメ被害者にも寄り添った記述をしてますよね?」
シルフィは『イジメ! やろう! ゼッタイ!』の本を掲げた。
「それはまあ……僕の理論は全ての攻撃行動をイジメと捉えるものですからね。被害者に寄り添った記述をしても矛盾は生じませんので」
「でしたらお願いします。イジメ被害者を助けてやってはくれませんか?」
「うーん。難しいですね。訴訟内容を聞いた限りでは、被害者にも落ち度はあると思いますし。イジメ被害者に100%寄り添うことは出来ません」
「イジメ被害者に100%寄り添う必要はないです。イジメ被害者に非があるなら非があると言って頂いても大丈夫です。その辺は依頼人とも相談済なのです」
レオンに証人を頼むにあたり、シルフィは則人と事前に相談を済ませておいた。
則人はイジメ被害者である自分に非がある部分は、非があると言ってくれて構わないと言った。
よくある『イジメられる側にも問題がある』という言い方をしても構わないとまで言ってくれたのだ。
「法廷における主張でレオン先生の思想を曲げるようなことは絶対に頼みません。だから証人になって頂けないでしょうか?」
「そこまでおっしゃるなら、わかりました。僕でよければ、証人を引き受けます」
【回想終了】
「原告は三年間に渡って悪口を言われ続けました。これについては如何でしょうか? 正当な制裁なんでしょうか?」
「それも過剰制裁ですね」
「なぜ過剰制裁と思ったのか、理由を教えて頂けますか?」
打ち合わせ通りなのでシルフィの口調も滑らかだ。
「仲良くしてた友達が引っ越した時、原告は新しい友達を作ろうとしたけど冷たくあしらわれた───という事があったんですよね?」
「はい。ありました」
「ではそれで痛み分けでしょう。原告は当初、仲良くしようとしてきたクラスメートを無下に扱った。クラスメートは仲良くしようとしてきた原告を無下に扱った。これでトントンだと思いますよ? それ以降の三年に渡る悪口って、どう考えても過剰制裁でしょう」
「今回、原告が被告を訴えたわけですが、この訴えの内容は正当なものだと思いますか?」
「異議あり! 証人は法律の専門家ではありません!」
邪魔したい気持ちが先走ったデニスが強引に異議をとなえる。
「裁判長、別に法律の専門家としての意見を聞いてるのではなく、イジメ学の学者としての意見を聞いてるだけです」
シルフィがすかさず反論する。
「異議は却下。証人、答えていいよ」
グレゴール判事は証人の意見に興味を示した。
レオンが質問に答える。
「まあ法律についてはたしかに専門家ではないですけどね。イジメ学の学者として回答します。原告が被告に行ったイジメを許されるものと仮定するなら、過剰制裁の罰として被告に賠償金などのイジメを行うべき、制裁を課すべきだと思います。イジメを許してはいけないものと仮定するなら、これは普通に賠償金を支払わせるべきだと思います。イジメを肯定しようが否定しようが、いずれにしても被告は賠償金を支払うべきです。原告の訴えは正当なものであると考えます」
イジメは許されるのか、あるいは許されないのか。
どっちに転んでも被告は賠償金を支払うべきという論理展開はシルフィの発案である。
(クソ! 調子に乗りやがって!)
デニスは証人に憎悪の感情を抱いた。
いずれにしても賠償金を支払うべきというロジックはかなり厄介だ。
これではイジメを肯定しても否定しても、賠償金をとられる形になってしまう。
「ありがとうございます。質問を終わります」
シルフィは静かに着席した。
「被告側、どーぞ」
判事に促され、デニスがゆっくり立ち上がる。
(この野郎…イジメ肯定派のクセに向こうの肩を持ちやがって! 思い知らせてやるから覚悟しろよ!)
予想外の展開で最初は面食らったが、デニスにはイジメ加害者の弁護を多く手掛ける一芸弁護士としてのプライドがある。
やられっぱなしでいる訳には、いかないのだ。
「あなたは被告が原告に行ったイジメは、肉体的にも精神的にも過剰制裁だと言いましたね?」
「はい」
「過剰制裁であるから、原告の訴えは妥当なものであると?」
「はい」
「原告の訴えはある意味、被告への制裁です。これは正当な制裁なんでしょうか?」
「正当な制裁だと思います」
「へー、それを正しいとするなら、おかしな話になりますね。なぜなら仮に過剰制裁だとしましょう。過剰制裁なら何故、他のクラスメートはイジメっ子である被告に制裁しなかったんです? クラメートに正義の心はなかったんでしょうか?」
両手を広げて大げさに訴える。
デニスはたまにこういうパフォーマンスをする。
自分で投げかけた質問に、デニスは自分で答えた。
「いいえ、違います。クラスメートも認めていたのです。被告が原告をイジメることの正しさを。もし過剰制裁であるなら、他のクラスメートは黙ってなかったでしょうね。被告の原告に対するイジメを。被告の原告に対するイジメを他のクラスメートが容認してたのは、それが過剰制裁じゃなかった事の証ですよ」
「それは違いますねえ」
レオンは冷静に否定した。
「クラスメートが被告を制裁しなかったのは複数の理由が考えられます。一つ目は被告のことが怖かったからです。ヤクザに因縁つけられてる一般人を見ても、怖くて助けに入れないみたいなやつです。二つ目は自分がイジメられたくない心理があったからです。攻撃衝動を生贄に向けて集中させておけば、自分がイジメられるリスクは殆どなくなります。この既得権益を手放すのは難しいでしょうね」
言ってる途中でレオンは思い出した。
「この辺の話はウォルフ先生の話を思い出してください。『集団の中でイジメられっ子を作れば自分がイジメられないから、自分がイジメられない為に明確なイジメられっ子を作る』ってやつです。もっともこれはイジメを回避したがる理由であって、イジメが必要な理由ではないですけどね。という突っ込みも、ついでに入れておきます」
(あの先生、イジメ学の大御所だけど、ちょいちょい間違いがあるんだよね。主張も偏り過ぎだし)
「三つ目に傍観者効果があります。イジメ被害者を見ても誰かがなんとかするだろう、自分が動くのは面倒くさいという心理です。四つ目に逆恨みを恐れる心理があります。イジメを告発して逆恨みされたら嫌だな…という心理です」
レオンは話のまとめに入った。
「もっと理由はありますけど、要するに『被告の原告に対するイジメを他のクラスメートが容認してたのは、それが過剰制裁じゃなかった事の証』なんかじゃなく、単にヤクザが怖かったとか自分が被害者になるのは嫌だとか、切実な理由がたくさんあるんですよ。内心『過剰制裁だな…』と思っていても、被告を攻撃なんてできないでしょう。ヤクザを制裁するにはヤクザ以上の力が必要なのです。───お望みならばクラスメートがイジメを放置した理由をもっとお聞かせますが、どうしましょうか?」
「……いや、もういいです」
デニスは苦虫を噛み潰したような顔をした。
被告をヤクザ呼ばわりされたことを攻撃しても良かったのだが、あまり実りはなさそうだ。
雄一は中学生とはいえ、ゴツイ風貌をしてるのだ。
「………」
一度水を飲み、気を取り直す。
資料のメモを見ながら質問再開。
「あなたは肉体的な制裁は『ダメに決まってる』と言いましたよね?」
「はい」
「肉体的制裁がダメな理由として『原告から受けた協調性のなさという不快さは精神的なものに終始』されたから、という旨の主張をしましたよね?」
「はい」
デニスは証人に背を向けて法廷全体に語りかけた。
「なるほど。ちょっと聞くと、もっともらしい理屈に聞こえますな。目には目を…みたいな考えなのでしょう」
証人に背を向けていたデニスが、急に振り返って証人席へ詰め寄る。
「───だが、それは間違ってます。名誉棄損罪を御存じでしょうか?」
「はい」
「では名誉棄損罪が懲役もありえる罪だという事は御存じでしょうか?」
「いえ、知りません」
「ほう、そうするとあなたも気付いてなかったみたいですね。あなたの理論は矛盾してるという事に」
「!?」
矛盾してると言われたレオンは驚いた。
「名誉棄損罪は名誉を棄損する罪、つまり精神的な問題なのです。一方の懲役刑というのは肉体的な制裁に相当します。社会は精神的な問題に対して肉体的な制裁を認めてるのです。あなたの理論は破綻しています。肉体的な制裁はダメに決まってると言いましたが、それは誤りです。決してダメではないのです。それは現行の社会の法律が証明しています。つまり、あなたの理論は矛盾してるのです」
(決まった。完璧だ)
自分でも惚れ惚れするような論理展開。
デニスは自分の主張を自画自賛した。
(これはちょっとまずいかもな……)
レオンが困ったようにシルフィを見る。
そんなレオンに応えるかのように、シルフィは静かに手を挙げた。
「裁判長、被告代理人の発言には事実の歪曲があります。事実を知らされてない”陪審員の為に”ひと言だけ私見を述べてよろしいでしょうか?」
(陪審員の為ではなく証人をフォローする為なんだろうが、上手いこと差し込んできたな。そう言っておけば陪審員への印象稼ぎになるだろうし)
グレゴール判事はシルフィの言い回しの技に好印象を抱いた。
「いいよ。許可する」
判事はシルフィの発言を許可した。
「裁判長! こちらの反対尋問なのに、なぜ向こうの代理人が私見を述べるのです!?」
納得いかないデニスが異議をとなえる。
「この法廷は俺がルールだ。原告代理人の私見は異議の延長線上として認めるだけだ。この判断が気に入らなければ反対尋問をやめても構わないぞ? 反対尋問を終了するというなら向こうの代理人の発言も許さないが、どうするかね?」
(チッ! クソが!)
「……然るべく」
デニスは心底嫌そうに言った。
「んじゃ、発言を許可する。原告代理人、喋っていーよ」
改めてシルフィに発言の許可が出る。
「ありがとうございます。先ほど被告代理人が述べたのは”地上の刑法”の話です。天界の刑法における名誉棄損罪には懲役刑がありません。被告代理人はこの事実を混同することで証人の理論を歪曲しています。そもそもこの裁判は刑事ではなく民事なので、刑法を持ち出すことは例えとして不適当です。証人が述べた───原告の協調性のなさは精神的な問題であり、だから肉体的制裁はダメなんだという主張、及び証人の基本的な理論にはなんら矛盾がないと考えます。以上です」
スラスラ述べるシルフィがカッコ良い。
レオンはシルフィを尊敬の眼差しで見た。
一方、デニスはギリギリと歯ぎしりをしていた。
「裁判長、僕も喋ってよろしいでしょうか?」
シルフィの援護に勇気づけられたレオンがグレゴール判事にたずねる。
「構わないよ。これはキミの証人尋問なわけだし」
「ありがとうございます。制裁はどの程度が妥当なのか───というのは、結局のところ公平性の問題なんです。これぐらいの事をしたら、これぐらいの報いが必要だろうという感覚です。そして公平性というものは多くの種族に備わってるものであり、人間にもそれがあるという事を申し添えておきます。イジメ学と専門家としては、原告が受けた三年間にわたるイジメはどう考えても過剰制裁だったというのが僕の揺るがぬ見解です。以上です」
シルフィのマネをして話をしめる。
「………」
デニスは黙ったままである。
場は静寂に包まれた。
「………」
勝ちをほぼ手中にしていた最後の最後でデニスは大きなミスを犯した。
この証人のことをよく調べなかったのだ。
イジメ肯定派というのを聞いていたので、わざと稚拙なイジメ肯定論を言わせて、それを粉砕することで印象を稼ごうという作戦をとってくると決めつけてしまった。
過去のイジメ訴訟でそういう策を使ってきた弁護士がいたからだ。
だが、実際の作戦は全然違った。
小手先の印象稼ぎなどではなく、原告の正しさを正面から堂々と主張する論陣を張ってきたのだ。
イジメ肯定派でありながら、イジメ被害者に同情的な学者がいるとは夢にも思わなかった。
即興で二つ反論を作ってみたが、上手くいかなかった。
もろもろ全て、準備不足が露呈した形である。
ちゃんと証人を事前に調べて、対策を入念にするべきだったのだ。
圧倒的有利な形勢だったので、サボってしまったというのが実情だ。
これはデニスの大きな失点になった。
この辺はシルフィの読みがズバリ当たった事になる。
デニスが油断することも見越した上で、最後の証人を土壇場で、一見イジメ肯定論のような本を出していたレオンに変更したのだ。
(知識に善悪なんてないし、あくまでも使う人の心がけ次第───ふふ、その通りね)
ティターニアの言葉もヒントになった。
シルフィは妖精界の女王に感謝した。
「……被告代理人、質問はもうないの? なければ反対尋問、終わるよ?」
グレゴール判事がたずねる。
「………」
デニスは何も答えられなかった。
「うまくいったね!」
裁判所の出入口。
この日も応援に来ていたミウは笑顔でシルフィを迎えた。
「うん、こちらの証人が撃破されなかったのは初めてだよ。これもミウとスレイが資料を揃えてくれたおかげだね。ありがとう」
「役に立てて良かったよ! ね、これなら勝てるんじゃないかな? 私が陪審員なら原告勝利に票を入れるよ」
「いや、まだ油断はできないよ。この裁判は最初こちらが調子よかったけど、途中からはずっと向こうが優勢だったからね。これでようやく、いくらかは盛り返した感じ。形勢は良くて互角、悪ければまだ少しこちらが不利な感じだと思う」
反撃が遅すぎたというのはすごく感じる。
最後の証人だけは上手くいったと思うが、他の証人は全滅なのだ。
なのに向こうの証人は崩しきれてない者が何人かいる。
これらの印象はすこぶる悪い。
総合的な形勢はやはりまだ、こちらが悪いと考えるのが妥当なのかもしれない。
「そっか。まだまだ良くて互角な感じなんだね……」
「うん……だからまあ後は最終弁論の勝負になるね。最終弁論が引き分けでは負けの可能性がある。だから最終弁論は確実に相手のものを上回る必要がある」
「最終弁論の案はあるの?」
「いや、まったく」
「じゃ、作戦会議だね!」
* * *
それからは連日、則人も加えての作戦会議をした。
最終弁論は好きなことを一方的に主張できる強力な武器なので、なるべく則人の意見も盛り込みたいと思ったのだ。
しかし、皆で案を練ったが、これというものが出てこない。
悪くはないが良くもない。
どうもイマイチ決定打に欠ける感じなのだ。
議論が煮詰まった頃、則人がふとこんな事を言った。
「イジメ裁判の賠償金の請求額って、全額認められることはないんですよね?」
「そうですね。以前に説明した通り、なんだかんだと理由をつけて減額されるのが普通です。今回は形勢が良くないので、勝訴の場合でも350万から200万といった所かもしれません」
「良くて350万ですか……相場の700万から、そこまで減らされちゃうんですね……」
「それについては私の力不足です。すみません……」
「あ、いや、シルフィ先生を責めるつもりはないです! 逆になんかすいません!」
シルフィと則人はお互いに謝りあった。
「協調性がなかったっていう僕の態度が良くなかったのは自分でも認めてるので、200万か100万になったとしても受け入れるべきなんでしょうね……」
少し寂しそうにつぶやく則人。
「………」
シルフィは自分の力不足を嘆いた。
イジメという卑劣な行為に正義の裁きをくだしたい───そんな思いから本当は相場の700万を全額、相手に支払わせてやりたいのだが、形勢は未だに互角かこちらがやや不利なのだ。
(どうすれば判事や陪審員を説得できるんだろう? どんな言葉が響くんだろう? どう言えば、判事や陪審員が原告を勝たせたいと感じるんだろう……?)
これまでの公判を思い出しながら考えてみるが、既出の主張をなぞるような弁論しか思いつかない。
形勢はやや不利な可能性もあるので、これまでの主張をなぞる弁論ではダメだ。
判事と陪審員に、両者の最終弁論が互角という印象を与えてはいけないのである。
あくまでもこちらの主張が相手を上回る必要があるのだ。
シルフィが頭を悩ませてる頃、デニスは着々と準備を整えていた。
アトランティス法律事務所。
(最終弁論はこんなもんか)
最終弁論の出来の良さに、うっとりするデニス。
(最後の証人だけは失敗したが、形勢はまだこちらが有利なはずだ。だがあの新人ちゃん。思ってた程のバカではなかったらしい。同僚のスレイという奴は昔Aランクの弁護士だったみたいなので、たぶんそいつが入れ知恵してるんだろう。とするなら、ここは念を入れておいたほうがいいかもしれんな)
そこまで考えたデニスは秘書のリス女を呼んだ。
「おい。仕事だ」
* * *
最終弁論。
いかに原告に落ち度があって、被告に落ち度がないか、デニスは完璧といっていい程の弁論をした。
法廷にいた誰もが、デニスの見事な弁論に感服した。
「次、原告側……って、まだ来てねーのか。おい原告、代理人はどうした?」
原告側の席は、いつもシルフィと則人が並んで座ってたが、この日だけは則人だけが座ってる状態だった。
「わかりません……」
則人は不安そうに答えた。
実際、シルフィがいないのはものすごく不安を感じる。
(シルフィ先生……どうしたんだろう……何かの事故とかじゃなければいいけど……)
不安そうな原告を見て、デニスはほくそ笑んだ。
(クックック……)
【デニスの回想】
「おい、仕事だ」
デニスに呼ばれてリス女がやってくる。
「最終弁論の前日、これを相手弁護士の飲み物に入れろ」
リス女に薬のカプセルを差し出す。
「これはなんでしょうか?」
「睡眠薬だ。相手弁護士は疲れてるだろうからな。ぐっすり睡眠をとって休んでもらう為に、塩を送ってやろうというわけだ」
「……!」
リス女はなんとなく察した。
デニスは相手弁護士に塩を送るタイプではない。
勝利こそ全て。
勝たなければ意味がないという、勝利絶対主義者なのだ。
汚い手を使って裁判に勝ったことは数えきれないぐらいある。
これは要するに、相手弁護士を眠らせて最終弁論を放棄させる目論見なのだろうというのは容易に想像がついた。
過去にも二回やったことがあるのだ。
「上手くいけば昇給させてやるぞ」
「!! ……わかりました。やります」
リス女はニヤリと笑った。
汚い手段の片棒をさんざん担いできたので、思想もデニスに染まってるのだ。
加えて昇給させてもらえるとなれば、断る理由などあるはずがない。
リス女はシルフィを尾行し、よく行く食堂があるのを発見した。
客として紛れ込み、隙をついてカプセルをシルフィのコップの水に入れることに成功した。
カプセルは無色透明な上、瞬時に溶ける性質があったのでバレる心配はない。
(やった! やりましたよ先生!)
リス女は大喜びで作戦成功をデニスに報告した。
【回想終了】
(あの睡眠薬は一度眠りについたら、二十時間近くは眠ってしまう強力なやつだ。大事な最終弁論を寝坊ですっぽかして、師匠と同じ恥をかきやがれ!)
シルフィの同僚がスレイだという事を知って、スレイの過去を調べた上での作戦である。
シルフィに入れ知恵してるのはスレイだと思い込んだデニスは、師匠と同じ恥をかかせてやろうと思ったのだ。
「俺は待たされるのが大嫌いなんだ。あと五分で来なかったら、最終弁論の放棄と看做すからな」
険しい顔のグレゴール判事が則人に言い放つ。
(五分じゃ無理だろ。勝ったな)
デニスが勝利を確信した瞬間、法廷の扉が勢いよく開かれる。
「すみません! 遅れました!」
いかにも寝起きといったボサボサの髪のシルフィが登場する。
(なに!?)
シルフィの登場に驚くデニス。
傍聴席にいるリス女を(どういうことだ!?)という目で睨みつける。
睨まれたリス女は(ちゃんとやりましたよ!)という目をデニスに返した。
付き添っていたミウと別れ、シルフィが判事の元へ歩いていく。
リス女からミウに視線を移すデニス。
(その天使の女に起こしてもらったのか?)
理由はわからないが、遅刻作戦は失敗のようだ。
「すみませんでした」
シルフィはグレゴール判事に深々と頭を下げて謝罪した。
「あと五分で来なかったら弁論放棄と看做す所だったぞ。さっさと最終弁論をやれ」
「はい。すぐに用意します」
原告側の席へ行くシルフィ。
「ゴメンなさい」
則人にも謝る。
「いえ、事故じゃないかと心配しました。そうじゃなかったようで良かったです」
カバンの中から最終弁論の原稿を探す。
だが原稿は見つからない。
(!!)
何かに驚き、シルフィは青ざめた顔になった。
申し訳なさそうに判事に申告する。
「……裁判長、すみません。慌てて来たので最終弁論の原稿を家に忘れてしまったようです……。急ぎますので、取りに帰ってもよろしいでしょうか?」
「忘れた!? そんな言い訳が通用すると思ってんのか!?」
グレゴール判事は怖い顔でシルフィを睨んだ。
「すみません。お願いします……」
「ダメだ。覚えてる範囲でやれ」
ニベもなく言うグレゴール。
(おやおや、新人ちゃん、最後の最後でバカやってくれたな。その判事は時間に厳しいので有名なんだ。そんな事も知らずにやってたのかね。判決は今日の午後に出るので、最終弁論は影響が大きいんだ。土壇場で判事を怒らせるなど致命的すぎるミスだ。やはり新人ちゃんは新人ちゃんだったようだ)
「………」
シルフィは困った顔をした。
(最終弁論の内容って、ほとんど覚えてないのよね……)
「どうした? 早くしろ」
グレゴール判事が急かす。
「……あっと……あの……」
追い詰められたシルフィが判事に提案する。
「……裁判長、最終弁論の代わりに被告への証人質問をしてもよろしいでしょうか?」
「それは最終弁論を放棄するという事か?」
「……はい。正直申しますと、最終弁論の内容をほとんど覚えてないのです……」
グレゴール判事は少し考えてから、デニスに言った。
「被告代理人の意見は?」
「構わないですよ。それでも」
(最終弁論は相手に邪魔されず、好きなことを好きなだけ喋れる強力な武器だ。それを放棄するとは、やはり新人ちゃんは雑魚だったようだ。証人尋問の形だと、俺も意見を述べることが出来るってのはものすごく大きい)
「じゃ、いいよ。許可する。被告は証人席へ」
被告側の席にいる雄一がデニスを不安そうに見る。
デニスは小声で耳打ちした。
「大丈夫だ。最終弁論の紙を無くして、やぶれかぶれになってるんだろう。たいした質問など出ないさ」
雄一は証人席へ座った。
こうして最終弁論を放棄して証人尋問をするという、なんとも不思議な公判最終日が始まった。
「ええっと……それでは質問します。あなたは原告に対する罪悪感はありますでしょうか?」
「ありません」
シルフィの問いかけに対し、雄一はきっぱり答えた。
「申し訳ないという気持ちは少しもないという事でしょうか?」
「そうです」
「あなたには一切落ち度がないと?」
「はい」
「あなたは原告にお金を借りたことはありますでしょうか?」
「あります」
「金額を教えてください」
「小銭程度なので覚えてません」
「その小銭は返しましたか?」
「はい」
(なんだ? この女、俺が則人から金をせびった事を責める気か?)
「小銭という事は、原告との間に大金のやり取りは一切なかった、という事でしょうか?」
(大金のやり取り…恐喝を認めさせる気だな。だが、そうはさせないぜ)
「……ありましたよ。大金のやり取り。でもそれは貸し借りではなく、商売です」
「どういうことでしょう?」
「つまりですね、俺は則人の奴にゲームソフトを売ったんですよ」
「え? そうなんですか?」
「そうです。大金を無理やり取ったわけではありません。お互い納得した上での商売というわけです」
「商売だったんですか?」
「ええ。商売です」
「売ったソフトの内容を覚えてますか?」
「覚えてますよ」
「そのソフトで遊んだことはありますか?」
「あります」
「ゲームソフトはいくつぐらい売りましたか?」
「覚えてませんね、たくさん売ったので」
被告に質問するのをやめ、グレゴール判事に顔を向ける。
「裁判長、すみませんが十分だけ時間をください。原告に確認してみますので」
「三分間だけ待ってやる」
「ありがとうございます」
シルフィは原告側の席へ戻り、則人に言った。
「この紙に売ってもらったゲームソフトの名前と金額を書いてもらえますか? 覚えてる限りでいいので」
則人は渡された紙に覚えてる限りのゲームソフトと金額を急いで書き連ねた。
三分後。
大量のゲームソフトと金額が書かれた紙を、被告の雄一に見せる。
「確認をお願いします。この内容で間違いありませんか?」
紙に目を通す雄一。
「間違いないですね」
二十数本あったが、どれも売った覚えがあるものだ。
金額も8000円か9000円がほとんど。
定価と同じか、定価より少し高い程度で問題ないと思われる。
総額にすると約20万というところ。
「ありがとうございます」
紙を受け取り、グレゴール判事に渡す。
「証拠として提出します。もう一枚あるので、少しお待ちください」
シルフィは席へ戻り、もう一枚の紙を判事に提出した。
「これは統計局が調べた地上のゲームソフトの売買価格です。被告が原告に売りつけたゲームソフトの発売日と価格が載ってます。ただしそれは”定価ではなく中古品の平均価格”ですが」
ようやく下準備が終わった。
「裁判長───」
下準備が終わったシルフィは”あることを”静かに宣言した。
「!?」
「!?」
それを聞いた雄一とデニスは目を見開いて驚いた。
【前日・シルフィの回想】
リトルフェザーではギリギリまで作戦会議が開かれていた。
「うーん……原告を勝たせたくなる説得方法……なんかないかなあ……」
いくら練っても良いアイディアが出てこない。
シルフィは困り顔でつぶやいた。
「イジメ被害者である則人さんがいかに辛い目にあったか…っていうのを訴える戦術はダメなのかなあ?」
これはいかにも感情論で動くことが多いミウらしい意見だ。
「それは厳しいと思うよ。二年前の裁判はそれでダメだったわけだし……」
嫌な思い出が蘇る。
「でも前回は陪審員に偏りがあったからダメだったんでしょ? 今回の陪審員は偏りもないんだから、感情論も有効なんじゃない?」
「まあいくらか効果はあると思うよ。被害者に同情的な陪審員もいるだろうし。でもそういう感情論に訴えるのは、なんか決め手に欠ける感じがするのよね」
「そっかあ。わたしはシルフィの感情的な言葉って、心に響いて好きだけどなあ」
「ありがと」
好きと言ってもらえるのは嬉しい。
(陪審員がみんなミウみたいな子だったら、ラクなんだけどなあ……)
スレイが則人を伴って帰ってくる。
「そこで会ったんで一緒に来た。これおみやげ。マカロン買ってきた」
「お兄ちゃん、お帰り。則人さんいらっしゃい。お茶入れるね」
ミウがキッチンへ向かう。
「則人さん、いらっしゃい。スレイお疲れ。そっちの裁判はどう?」
「順調だよ。そっちは?」
「崖っぷち……かなあ。最終弁論の案、まだ思いつかない」
「そっか。でも俺は信じてるぞ。オマエが逆転ホームラン打てる奴だということを」
「うん、三振しないよう頑張るよ」
スレイなりに和ませてくれようとしてるのだろう。
シルフィは無理に笑った。
「紅茶入れたよ。休憩しよう」
紅茶を持ってミウが戻ってくる。
休憩中、則人はこんな事を言ってきた。
「逆転っていえば、そういうゲームありましたね。裁判で逆転するってやつ」
「ゲーム好きなんだ? 俺も地上のゲーム好きだよ」
スレイが乗ってくる。
則人は話を続けた。
「好きですね、ゲーム。その裁判のやつだけじゃなく人気作品はたいていやりました。どれもあまり良い思い出ないですけど……」
「なんで?」
そう聞くと、則人は言いにくそうに答えた。
「……雄一の奴に買わされたものが多かったんですよ」
「無理やり買わされたってこと?」
「うーん、まあ……僕もそのゲームやりたかった部分もありますけど……値段も法外だったし、実際は単なる恐喝だったような気もします」
シルフィが口を挟む。
「え、それ法外な値段だとしたら、まぎれもない恐喝ですよ?」
「そうなんですか?」
「そうなんですかって……当たり前じゃないですか!」
「でも当時の先生に言ったら、ゲームソフトは定価分の価値があるんだから、それはイジメではないって言われました」
「先生って誰です?」
「担任です。当時のクラス担任の先生です」
話が前後してイマイチわからない。
「ちょっと話を整理させてください。則人さんは被告にゲームソフトを買わされたんですよね?」
「はい」
「無理やりでしょうか?」
「ほぼ無理やりです」
「則人さんが法外な値段と感じた根拠って、なんなんでしょうか?」
「買わされたものが、時が経って安くなった中古ソフトだったからです」
「じゃあその担任教師が恐喝ではない───イジメではないと判断した根拠ってなんなんでしょうか?」
「買わされたゲームの値段が、元々の定価に近い値段だったからです」
話を聞いたシルフィは呆れた。
「それ間違いなく恐喝ですってば! なぜもっと早く言ってくれなかったんです!?」
「え、だって…担任の先生が、定価の価値があるからイジメじゃないって……」
「言い訳に決まってるじゃないですか! 自分がイジメを認めたくないっていう!」
「……すみません……」
則人は申し訳なさそうに俯いた。
「あ、いや、こちらこそすいません。言い過ぎました」
慌ててフォローを入れる。
「でも恐喝があったなら、もっと早く言ってほしかったです……」
「すみません……でもこれは目撃者もいないし、靴を隠されたのと同じで証拠にならないと思ったんです」
「証拠になりそうかどうかは、こちらで判断します。受けたイジメは全て言ってほしかったです」
「すみません……」
再び謝る則人。
スレイが二人に謝る。
「いや、それは以前のやりとりの、俺の責任なんだと思う。すまなかった」
「ううん、スレイのせいじゃないよ。私がもっと聞き取り調査を念入りにすべきだったのよ」
「待って。聞き取り調査はわたしの仕事だったんだから、それはわたしのミスだよ。ゴメンなさい……」
「ミウさんのせいではないです。もちろん、シルフィ先生のせいでもないしスレイ先生のせいでもないです。僕です。僕が言わなかったのが悪いんです」
自分の責任だという則人をシルフィが庇う。
「則人さんのせいではないですよ。イジメ体験を話すのって辛いですからね……。私がその辺を踏まえて、もっとしっかりしてれば良かったんです」
皆が自分の責任だと申し出る、妙な事態になった。
「………」
空気を変えようとミウが提案する。
「あ、ねえ、最終弁論でそのことを言ってみてはどうかな? 実は恐喝もされてましたって事を」
「どうだろう。恐喝が加わった程度じゃ、印象はそう変わらないかも。恐喝より酷い暴力は目撃証言で既に立証されてるけど、実際の形勢はこのありさまだし……」
シルフィが自嘲気味につぶやく。
「………」
最終弁論は明日だというのに、重い空気になってしまった。
「何でこんなことになっちゃうんだろうね。悪いのはイジメをしたアイツだっていうのに」
ミウが悔しそうに言う。
「シルフィだけじゃない。イジメを許せないと感じるのはわたしも同じ。加害者にはなんらかの罰を与えたいよ。イジメっ子には、イジメなんて卑劣なマネをすると高くつくっていうのを思い知らせてやりたいよ」
「気持ち、すごくわかるよ」
シルフィはミウに頷いた。
(……………ん?)
その時、シルフィの脳裏に何かが引っかかった。
(……………待てよ!? 罰!?)
天啓のように閃く。
「ねえ、スレイ!」
シルフィは急に大きな声を出した。
「なんだ?」
「最終弁論で証人尋問することって可能かな?」
「判事が許可すれば可能だと思うぞ。天界法廷には、最終弁論の代わりに証人尋問をしてはならないってルールはないからな。だが、最終弁論は相手に邪魔されることなく一方的に自分の主張ができる強力な武器だ。それを手放す奴は滅多にいないと思うが───シルフィ、何か思いついたのか?」
「かなりの賭けになりそうだけど、もしかしたら───」
思考を高速フル回転させて作戦を練り上げるシルフィ。
皆は静かにシルフィを見守った。
「……………」
しばらくして、シルフィは練り上げた作戦を皆に話した。
「これが最後の勝負になる。みんな、ちょっと耳を貸して」
「───そいつはまた……ずいぶん大胆なことを思いついたな……」
シルフィの作戦を聞いたスレイは腕組みをした。
「わたしはいいと思うよ! さすがシルフィだなって思った!」
ミウはシルフィの作戦に乗り気だった。
「僕は皆さんにお任せします。シルフィ先生が言うなら、やってみます」
則人もやる気になっている。
「俺はオマエの判断に任せるよ。この裁判の主任弁護士はオマエなわけだからな。この作戦をやるとしたら、判例を調べるのは俺に任せろ」
スレイは手伝いも示唆しつつ、シルフィに任せるというスタンスだ。
「よし、やってみよう。このままじゃ負ける可能性がけっこうあるんだから、賭けに出てみる価値はあると思う!」
【回想終了】
下準備が終わったシルフィはこう宣言した。
「裁判長───原告側は以上の証拠をもとに、被告に対し懲罰的損害賠償法十一条の二項を根拠に、懲罰的賠償金の支払いを求めます」
「!?」
「!?」
最初は驚き戸惑ってるデニスと雄一だったが、デニスはすぐに反論した。
「裁判長! 懲罰的損害賠償法は、企業と個人の商行為における係争を念頭に作られた法律であるはずです! こんなバカげた類推適用が認められるはずがありません!」
シルフィも負けじと言い返す。
「裁判長、懲罰的損害賠償法が企業と個人の商行為を想定して作られた法律である事は知っておりますが、個人間の取引に引用してはならないという規定はどこにもないはずです。これはロクシーVSカートの裁判記録です。個人間の取引で懲罰的損害賠償法が適用された判例です」
シルフィはスレイが調べてくれた判例の資料を提出した。
「裁判長! これは個人間の取引の裁判ではありません! イジメ裁判のはずです!」
デニスもすかさず反論する。
「裁判長、これは個人間の取引の裁判でもあります。だって認めたのは他ならぬ被告なのですよ? ”商売です”とね」
シルフィは雄一をチラと見た。
雄一は悔しそうな表情をしていた。
「いや、そうではなく、イジメ裁判で懲罰的賠償金を求めるなど異例過ぎると言ってるんだ! 慰謝料に加えて二重取りする気か!? 強欲にも程があるだろ!」
グレゴール判事は木槌をガンガンと叩いた。
「静粛に!」
ヒートアップしていた二人の代理人が黙る。
グレゴール判事は提出された資料に目を通した。
「ふむ…たしかに個人間の取引で懲罰的損害賠償法が適用された判例はあるみたいだな」
「裁判長!」
「少し黙ってろ」
またヒートアップしかけたデニスをグレゴールが制する。
「原告代理人、懲罰的損害賠償法十一条の二項は、悪質且つ暴利目的というのが要件だ。被告はそれを満たしていると?」
「十分に満たしていると考えます」
シルフィが答えると、デニスが割って入った。
「満たしてるとは思えませんな。被告は原告にゲームソフトを新品で売った可能性だってあるでしょう?」
「それはないですね。店から人へ売る場合と違い、人から人へ売る場合は中古品と解釈されるのが普通だからです」
「原告代理人の普通の感覚など知った事ではありません。例えばパッケージを破ってない場合は新品のはずです」
「新品である可能性は極めて低いです。なぜなら『そのソフトで遊んだことはありますか?』という私の問いに対し被告は『あります』と答えたのですから」
「そのソフトが売買品であると断定することは出来ません。被告は一般論として、そのソフトという言葉を使ったという可能性もあるでしょう」
(ホントに重箱の隅をつつくような反論してくるなあ)
シルフィは呆れると同時にデニスの執念に少し感心した。
「根本的な話をしますけども、そもそも新品を売るという状況がまずありえません」
「それはそちらの思い込みです。例えば遠い所にしか売ってなくて、頼まれて買う場合だってあるでしょう」
「ないですね。提出した資料のソフトの発売日を御覧ください。原告がイジメられた期間より、五年も六年も前に発売された古いソフトばかりです。通常、そんな古いソフトは中古で買うのが普通です」
「新品が欲しい奴だっているだろ」
デニスがなおも食い下がる。
「あのですね、原告は被告にイジメられていたのですよ? 原告に頼まれてゲームを買いに行った? そんなバカな話があるわけないでしょう。パシリじゃないですか。イジメられていた原告が被告をパシリに使ったなんて与太話、誰が信じるんでしょうね?」
「………」
(チッ! クソが!)
デニスは何も言えなくなった。
即興で反論するのは難しいのだ。
「被告代理人、まだ言いたいことはある?」
「イジメ裁判で懲罰的賠償金を認めた判例などないはずです。二重取りだって強欲すぎます」
「強欲という言葉は被告にこそ相応しいです。だって500円以下で買える中古品を9000円で売りつけたのですから。これを悪質と言わずしてなんと言えばいいのか。どうか提出した資料をご確認ください。被告の強欲さや悪質さがわかるはずですから」
喋りまくる二人に挟まれて、うんざり顔のグレゴールが二人にたずねる。
「両名、他に何か言いたいことは?」
「原告代理人の無理やりな言いがかりに聞く耳を持ってはいけません。皆さんには公平な判断をお願いしたいです」
「公平な判断は私も望むところです」
ゴタゴタしていたが、ようやく終わった。
公判最終日は誰も予想しなかったバトルになった。
「他になければ終わるよ。判決言い渡しは午後ね。休廷」
判事が木槌を叩き、休廷が宣言される。
あとは午後の判決を待つばかりである。
* * *
午後。いよいよ判決が言い渡される。
「じゃ、判決を言い渡すよ。判決、8対7で被告は原告に慰謝料として350万ギルの支払いを命じる。───加えて、10対5で被告は原告に懲罰的賠償金として1100万ギルの支払いを命じる。裁判費用は被告の負担とする。以上、閉廷」
「!?」
「!!」
(やった!! 勝った!!)
シルフィは拳を作ってガッツポーズをした。
普段は裁判で勝ってもこんなことしないのだが、それほど嬉しかったのだ。
「シルフィ先生! ありがとうございます! 大勝利です!」
則人は興奮気味に礼を述べた。
慰謝料と賠償金を合わせると1450万ギル。
当初の目標だった1400万ギルを超える結果が出たのだ。
ほとんど諦めかけていただけに、この結果は望外の喜びだ。
「力になれて良かったです」
シルフィはニッコリ笑った。
傍聴席にいるミウも、とても嬉しそうにしている。
片隅で判決を聞いていたレオンも小さくガッツポーズをした。
一方のデニスは大きく落胆していた。
ほぼ勝利を掴みかけてた裁判で、逆転負けを喫してしまったショックは大きい。
「負けてしまったじゃないですか!」
ショックなのは雄一もだ。
総額1450万も取られるなんて、頭が真っ白になる。
「………」
敗北のショックが大きいデニスは抜け殻のように呆けていた。
こうして紆余曲折、二転三転あったイジメ裁判は、最終的に原告大勝利という形で幕を閉じる事となった。
* * *
通常の慰謝料が厳しいなら、別方面から攻めればいい。
作戦会議の時、シルフィは則人が悪質な恐喝もされていたという新事実と、ミウの『罰を与えたい』という言葉から、懲罰的損害賠償法を使うことを急遽思いついたのだ。
最終弁論の原稿を忘れたのは、わざとである。
というより、最終弁論の原稿に完成品などなく、ボツにしたものしか無かったのだ。
最終弁論の原稿を忘れたフリをしたのは、デニスを油断させる為の芝居である。
最終弁論を放棄して証人尋問させてほしいと変更を申し出ても、デニスが警戒して拒否すれば、判事は変更を認めない可能性がけっこうあった。
だからひと芝居打って、最終弁論の原稿を忘れたフリをしたのだ。
結果、まんまと証人尋問への変更を認めさせた。
ここまでくれば後は商売だった事と、その商売が悪質且つ暴利目的だった証拠を被告の口から引き出すだけである。
判例はスレイが調べてくれて、おあつらえ向きの判例が見つかった。
個人間の取引で、懲罰的損害賠償法が認められたケースがあったので、イジメ裁判にも適用できると踏んだのだ。
デニスは最後まで抵抗したが、それも難なく撃破。
後は提出した資料から、判事と陪審員が懲罰的賠償を認めてくれることを祈るだけ。
結果は慰謝料も懲罰的賠償金も、両方認められての勝利。
慰謝料は僅差だったが、懲罰的賠償金は勝ちといっていい差がついた。
イジメ裁判で懲罰的賠償金が認められたケースは初である。
こうしてシルフィは新たな判例、新たな伝説を作った勝利を収めたのだ。
* * *
勝利翌日の夜。
リトルフェザーでは祝勝会が行われていた。
「おめでとう! シルフィ! 素晴らしい勝利だったよ! もう大好き!」
喜色満面のミウはシルフィにハグをした。
「うん。ありがとう。ミウのサポートにも本当に助けられたよ。ミウがいなかったらたぶん勝ててなかったと思う」
シルフィもミウをハグした。
実際、最後の策を思いついたのはミウのひと言のおかげなのだ。
「見事な逆転満塁ホームランだったな。おめでとう」
スレイも祝福する。
「ありがとう。判例調べてくれて助かったよ。それに昨日も───」
公判最終日、シルフィが遅刻したのは睡眠薬を飲まされたから。
そして、それでも起きることが出来たのはスレイのおかげなのだ。
スレイは常日頃からシルフィに、公判最終日の前日は飲み食いするなと言ってきた。
どうしても飲み食いするなら、前日はミウの部屋に泊まれと厳命していたのだ。
これが”例のルーチン”である。
これはスレイの過去の苦い経験からきたアドバイスで、そのアドバイスは見事に当たった。
シルフィはギリギリのところで遅刻失格を免れたのだ。
昨日の裁判後、シルフィはスレイに連れられて病院へ行った。
睡眠薬の証拠を探す為の検査である。
検査の結果、睡眠薬の痕跡が見つかった。
シルフィのよく使う、ミウが働いてる食堂の防犯カメラをチェックしたら、デニスの秘書がカプセル薬を飲み物に入れたのが確認できた。
シルフィがミウにあげた防犯グッズとは、防犯カメラだったのだ。
ミウが働いてる食堂は店主の許可を得て、シルフィのポケットマネーで防犯カメラを複数こっそり取り付けていたのである。
防犯カメラの設置は過去のライオン男のトラブルが起因している。
「まさか私みたいな奴に、睡眠薬盛られるとは思わなかったなあ。あんなマネしなくても堂々と戦えばいいのに……」
「それだけ警戒されてたってことなんだろ。あんなマネしたデニスと秘書にはいずれ重い処分がくだるだろうな。資格剥奪も時間の問題だと思う」
「そっか……」
実力は認めていただけに、戦った相手がそんな末路になるのは少しだけ切ない。
則人には何度も礼を言われた。
この経験を活かして、天界ではイジメ研究者を目指すのだとか。
イジメ対策には何が必要か?
クラス割を廃止する。
強制的な共同作業を撤廃し、共同作業は完全自由意志によるものとする。
学校生活のあらゆる場面において、一人で過ごす事を尊重する仕組みを作る。
学校にイジメ以上の娯楽をたくさん用意する。
などなど、予防的な観点からイジメを研究するらしい。
イジメについて語ってる時の則人は暗かった表情が嘘のように明るい笑顔だった。
明るい則人を見たシルフィはとても嬉しい気持ちになった。
「やっと暇になったので裁判資料を詳細に読ませてもらったが、最後の証人からの追い上げはすごく良かったぞ」
「あれはレオン先生のおかげだよ。もっと言えばスレイとミウが用意してくれた本のおかげ」
「裁判に使えそうな証人をどう見つけるか、どう使うかも実力の内さ。公判最終日の、最終弁論を放棄して証人尋問するというウルトラCも見事だった」
(三十年に一人の天才というのは、決して間違いではないのだろうな)
スレイの言葉にミウが反応する。
「あれー? お兄ちゃんがシルフィを褒めてる。雨でも降るんじゃない!?」
「バカ。言っただろ。成長したらちゃんと褒めるって」
「ツンデレお兄ちゃん、とうとうデレるの巻」
「その言い方やめろっての。ほら、シルフィ。おめでとう」
スレイがシルフィに手紙を差し出す。
「封筒じゃなかったんで、先に見ちまってすまんな」
「おめでとう?」
シルフィが手紙を受け取る。
それは法務省からのものだった。
内容はHランクからGランクへの、ランクアップの知らせである。
「ランクアップ……」
「え、シルフィ、ランクアップしたの!?」
手紙を覗き見たミウが我がことのように喜ぶ。
「すごいじゃん。とうとうランクアップだね!」
「うん、ありがとう!」
あの裁判を評価してもらったという事なのだろう。
シルフィもミウに負けないぐらいの笑顔を返した。
* * *
数日後。
リトルフェザー。
今日もリトルフェザーに悩める依頼人がやってくる。
ミウが依頼人を招き入れる。
シルフィ、スレイ、ミウは皆で依頼人を歓迎した。
「ようこそリトルフェザーへ。どんな事でお悩みですか?」
三人の活躍は続く。
END




